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日光・鬼怒川温泉の旅 ♨

日光・鬼怒川温泉の旅 ♨

日光・鬼怒川温泉の旅 ♨

令和3年末、規制解除になり久し振りに自由な旅行が出来るようになった。それは日本中の人達が同じ思いだろう。

ヤット今年は・・との思いが有るだろう。当社の12月売り上げも順調とは言えないと後ろめたさは有るがそれはそれ、近くの温泉でゆっくりをテーマにキャンセルの利かなくなる年末2週間前を狙って12月20日過ぎ各ホテルに直接電話をかけて見た。やはりかなり混んでいて空き室はない。何件もかけ続ける内‟鬼怒川温泉ホテル“がやっと取れた。

新宿から乗り換えなし約2時間半の距離だ。天然アルカリ性単純泉で、神経痛、リューマチ、筋肉痛、冷え性、疲労回復等の効能アリ・・いいじゃないか。この地域今年は雪が多そうだし危険な為、今回レンタカー予約せず、バスとタクシーで移動する事とした。

栃木県か?・・いつもマイクロバスの納車や買い取りなどでやり取りしているお客様の多い地域だ。ご近所のイメージが有り旅行先のスケジュールなど逆に考え付かない。しかし、温泉三昧も良いが折角の旅行だしどこか観光もしないと勿体ない。華厳の滝は寒そうだし、ありきたりだが日光東照宮と江戸村を選択した。

12月30日久米川駅を昼少し前に出てPM4:00過ぎに鬼怒川温泉駅着、この温泉街では各ホテルの送迎バスは無く地域の組合で申し合わているらしく循環バスが30分に1本位発着している。後でこれが問題となる。

チェクイン早々、筋肉痛・疲労回復に良いと言われる温泉へ速攻。僕は色々なところへ旅するがそれぞれの温泉旅館の湯質・効能はもちろんだが湯舟、露天風呂の造りに期待する。最もワクワクする瞬間だ。

 

 

このホテルはそれぞれ1Fと地下に造られており男女が毎日交互に替わるシステムだ。さすが鬼怒川、湯の量は豊富なようで湯温の違う大きな湯舟が幾つかある。中で手足を伸ばしても他の人の邪魔にならなくゆったり出来る。特に僕の好きなのは露天風呂、当日、外気2~3度Cとかなり寒く雪がちらほら舞い始めている。・・これが良い!露天の為、ややぬるめだがユックリ、ユックリ・・数10分入りヒヤッと雪交じりの空の下で体を冷ます。そして又ユックリ、ユックリ・・こうした時間、無駄だが最も贅沢な使い方だと思っている。1時間少々これを繰り返していると。ポカポカと体の芯から暖かくなる。そしてその次の楽しみは地元食材を中心とした夕食だ。年末のこの時期、お爺ちゃんお祖母ちゃん等大所帯の家族ずれやヤングファミリーとかかなり混雑している。やはりこのホテルもビュッフェスタイル。

 

 

品数は豊富だ。目の前で焼いてくれる那須和牛ステーキや那珂川アユの塩焼き、

一般的な刺身ヒラメ、マグロ、イカ、イクラ等々の他、ご当地名産の梅干し、水戸納豆、湯葉そして栃木の餃子なども並べられていた。これらビールを頼みながら1時間半ほどかけてゆっくり食した。2年近く旅行も出来ず溜まったストレスを仕事離れて充分、至福な時間を持つ事が出来た。

翌日、鬼怒川温泉駅までは30分間隔で巡回バスが出ている。但し、このバスは事前に予約が必要との事。当日それを知りその場で予約したら簡単に出来た。鬼怒川温泉駅から電車、バスを乗り継いで日光東照宮へ

言わずと知れた徳川家康の祭られている墓だ。・・三河の小大名が260年続いた戦乱の世を収め近代日本の発展に貢献された武将である。

   徳川家康の墓

今では世界遺産にもなっている。表参道を進むと福岡・黒田長政から寄進されたと言う高さ9M、日本最大級の石鳥居(重機もリフトも無い当時、船や荷車等の人力だけでこんな大きな石を1.000KM近くの道のりをよくここまで運んできたもんだ大変な作業だったと思う)をくぐり小浜藩主酒井忠景から奉納された五重塔を左に見ていざ陽明門へ数十年前にも一度来た事が有るがこんなにきらびやかだったかな?何度か修復されたせいもあるのか金箔24万枚を施されていると言われる豪華絢爛な国宝だ。

陽明門

今から400年前江戸時代の建築様式、工芸、彫刻、絵画全て凝縮されているとの事。子供の頃親から教わった‟悪い事“は”見ざる・言わざる・聞かざる“ようにしなさい!と・・それは今でも守っているつもりだ・・がどうだか?

“見ざる、言わざる、聞かざる”・・無理!?

途中諸国大名から寄進されたと言われる幾つもの大きな石灯篭、中には伊達政宗から奉納された鉄灯篭もあった。‟鳴龍“が聞こえると言われる薬師堂へ特定の場所で拍子木を打つと堂内に響くこの音の事らしい。そして東回廊の出入り口にある左甚五郎作の‟眠り猫”これも良く写真などで見かける傑作だ。正面から見ると眠っているように見えるが左側から見ると獲物を狙っているように見えるとも?

“眠り猫”・・今にもとびかかってきそうに見えるけど

門をくぐり両側に樹齢600年以上と言われる杉の大木の間、苔むした石畳の回廊と207段の階段を上るといよいよ家康の眠る奥社だ当初木造だったが石造になりそして現在の金銀銅の合金になったそうだ。基礎部分は風水で縁起が良いとされる八角となっている。しかし本当に遺骨が入っているかどうかはいまだ論争中のようだ。パワースポットと言えば先程通り抜けて来た樹齢600年以上の杉の大木。

パワースポットの杉の大木

ここが本日最もパワーを感じた気がする。僕は観光で全国の寺社には良く参拝に行く。名の有る寺社の周りには必ず樹齢数百年の杉の大木がある。その近くへ行くと何故か気持ちがス―ッと安らぐのは僕だけかなー、この良く管理された荘厳でまっすぐ伸びた杉の大木こそが万民の苦しみ悲しみ等、不幸を全て吸い込んでくるような気がする。そして新しい生気を吹き込んで頂ける本当に神聖なパワースポットではないかと感じている。戦乱の日本中の大名達も様々な事を考えたろう。庶民の為を考えた人も自分だけの事しか考えなかった人もいるだろう。しかしそれぞれの武将たちにも色々立場が有り色々な時代背景も有っただろう。そしてそれら英雄たちの死後も色々な真実と噂が交じり合い色々な人間像が創り出され色々な戯曲や小説になる。それを400年後に我々がその時代背景を想像しながら崇め奉る事になる。戦乱の世に何十万人いや何百万人もの庶民や兵士と殺戮を繰り返して来て平和な世にしたから神になる?織田信長の”建勲神社や“豊臣秀吉の‟豊国神社”なども有る。

織田信長の”建勲神社”

少々違和感を感じる・・しかし一方で戦国時代を苛烈に生きた武将らを敬い力強く生きて偉業をなした事を神として崇め奉る人々も多いらしい。やはり神になる資格があるのだろう?いやその様な事を考えるとバチが当たるかな?

"東照宮御遺訓“に

‟人の一生は重き荷物を負うて遠き道を行くが如し急ぐべからず”

これは解りやすく無神論者の僕にもストーンと入ってくる。

この様に無理せず焦らずゆっくりと足元を見て攻めて行こう!

                                  水江 一正