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壱岐の島の観光と聞きかじった歴史

壱岐の島の観光と聞きかじった歴史

壱岐の島の観光と聞きかじった歴史
この島の見どころは海と岩である。ここの海の透明度は普通でない。

2日目天気が良くなりツァーのトップランクに人気の“辰の島クルージング”と言うのが有る。
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40分位の行程を遊覧船で島めぐりをしながら無人島に渡り島の入江で海水浴をする事が出来る。
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                 まさにプライベートビーチ!
島に近くなるとエメラルドグリーンの透明度がさらに増し“そらふね”と呼ばれる現象が見える。透明度が高く岸から見ると船の底が見える為、船が空中に浮いている様に見えるのだ。
そらふね
                 そらふね
そして島の回りには玄武岩が数万年にかけて波に削られて色々に形どられて猿岩を始め鬼の足跡、左京鼻、蛇ヶ谷等など豪快な観光名所になっている。大自然の織りなした芸術は一景の価値が有ります。
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今回のイベントの一つに“スキューバダイビング”を組み込んでいた。数十年ぶりに海に入る事になるその上スキューバ―は全く初めてだ。
ジャケットを着て重りを付けてゴーグルをつける。“呼吸は口だけでして下さい”これが問題だ。普通冷静になる為には鼻で大きく吸って口でゆっくり吐いていく。

“鼻は使わないで下さい”海に入って行く・・気持ちが高ぶり呼吸が荒くなる。落ち着こうと知らず知らず鼻呼吸をしている。アッダメだ落ち着け自分に言い聞かせている。・・他にも参加者が居る。こりゃ迷惑を掛けるのではないか?無理ではないか?・・力を抜いて口でユックリ吸ってユックリ・・自分に言い聞かせながら・・皆と一緒に潜る事が出来た。
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目の前に鯛やイサキが泳いでいる。手で触れそうだがさすがに動きは早くかすりもしない。その魚達にウインナーをちぎって直接餌付けするパフォーマンスが有る。当然初めての経験だ。生きた鯛がこれだけ身近に感じる事は無かった体長は60cmはゆうに有る。近くにいるインストラクターと指サインでコミュニケーションを取る、その時一匹の鯛が僕の人差し指に食いついた。

あっ、いてぇ・・その次の瞬間鯛は頭を左に振りシッポを思い切り反対側に振って食いちぎろうとしていた。インストラクターが追い払ってくれたがドウモウな奴だなー、アーイテェー、いい経験をした。これからは料理で鯛のおカシラを見ると毎回この経験を思い出すだろう。
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この島は狭いながら何本かの国道が有りそれを一般道が繋いでいる。ビルは無くこの時期辺り一面が稲穂で黄色になっている。
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長崎第二の穀倉地帯だとの事、両側の棚田には稲が秋の収穫を前にタワワに実っている行きかう車も少なく空気はキレイ信号も少ない。
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               のどかだ~
本当に“のどかだ~”快適なドライブと言いたいところだが悲しいかな軽4輪のバン、エンジン音は室内にこもり加速はしないおまけに行く先が住所の無い観光地の為NAVIも殆ど機能しない。途中農作業中の男性(70歳前後か?)に道を尋ねた。
親切なオジサン+1
するとそれはそれは親切にていねいに教えてくれた。その上別れ際に頭に巻いたタオル地のハチマキを取っておじぎをして見送ってくれた。何とも・・車の中から道を尋ねた自分が恥ずかしくなった。住民を含めて“日本文化遺産?”じゃないかと思った。
壱岐島の元寇の役
郷ノ浦港で下船したところに平景隆公の馬上の武者姿の銅像が有る。
平景隆
イヤでも注意を引く。タクシーの運転手、地元の人に話を聞いたら壮絶な戦いに巻き込まれた島だった。マルコポーロが当時のモンゴル帝国のフビライハーンに日本には国中黄金があふれていると報告しその結果当時の北条時宗に元国の属国になれと要求した。
クビライカーン
それに対して無視つづけた為、2度に渡り日本に攻め込んだのが文永の役と弘安の役即ち“元寇の役”だ。攻め込む足がかりとして対馬、壱岐の島を経由して博多を目指したとの事。文永は4万人,弘安は14万人、3800隻の大群だったそうな。
しかし船は高麗(今の朝鮮)でにわかに造られた為、品質は悪く兵も寄せ集めの為統率力が無く士気が低かったとの事。
12万人が死亡3800隻が沈没
それにしてもこれだけの人数が一気に壱岐の島に押し寄せられると200騎足らずの平景隆軍はひとたまりの無く全滅したそうな。日本の武将は昔から“ヤーヤーとおからんものは音にも聞け、近くばよって目にも見よ”等と名乗り一対一の戦いその実績を後の土地分配の戦功の基準にしたらしいが敵方元の兵隊は集団戦の為ひと溜まりも無く瀕死の重傷を負ったらしい。
日本軍は1対1蒙古軍は集団
その上日本の武者に取って初めて知る火薬、弓矢の飛距離も日本軍の100Mに対して200M以上飛ぶその上矢じりに毒が塗られている。当然この島の武士達はたちまち全滅したとの事。老人子供、男は全て殺され女は集めて乱暴、暴行の後、手に穴を空けられ綱を通して数珠つなぎにされて船の横に吊るされ日本軍の矢玉よけにされたそうな。
老人子供男は全て殺され女性は暴行の上手に穴をあけ船の横に吊るされ矢
残虐ですね?(今日韓で問題になっている“日本人は歴史の現実を直視せよ!”等と言っているがこの時の朝鮮人の極悪非道は比べ物にならなかったと日本の歴史学者は言っている。何故かその様な話は表に出て来ない。)そしてその後、蒙古軍(元軍と高麗軍)は博多港に着いたが戦わずして翌日には引き返していたそうです。

武器も食料も充分では無く兵士は蒙古軍に滅ぼされた元軍と高麗軍の混成部隊で仕方なく来ている為、士気が上がらず恥じも無く直ぐに引き返したらしい。そして教科書にも出て来る台風に会い12万人死亡、3800隻が沈没したとの事。(この船も高麗で手抜きの突貫工事で造られた精度の高いものでは無かったようだ。)生き残った3万人の兵士は日本軍に捉えられ博多の那珂川で首をはねられたとか。この壱岐の島にはその戦場跡とか各武将の墓も多くある。
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大陸との中間に位置しており昔から交流も有ったはずなのに島民が全滅すると言う悲しい過去が有ったようです。今住んで居る島民の皆さんの親切な立ち振る舞いからは想像つかない悲しい歴史が有ったようです。
今年5月連休に訪れて何か感じるものが有り“顔を洗って出直して来た”かいが有りこの島が好きになりました。
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干潮の時だけ渡ることが出来る”小島神社”
本土の皆さんこの“日本文化遺産”の島はお勧めですヨ!
追伸)この島には(しまとくチケット)と言う20%引きのクーポン券が有ります。島中どこででも使える為これは必ず“買い”ですよ!
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しまとく通貨
                                                  水江 一正