ベトナム中部の世界遺産
世界遺産のミーソン遺跡
ミーソン遺跡とフエの建造物群
ホイアンのホテルでAM8:00にガイドと待ち合わせホイアンの南西30㎞トゥボン川の流域のジャングルの中にミーソン遺跡が有る。
約2時間でミーソン遺跡、気温はやはり36度以上立っているだけででじわっと汗が噴き出る、入口の案内図を見ると結構広大だ。
ミーソン遺跡の入り口
ペットボトルは必須だ・・観光客の中にはハイヒールで参加している人もいる・・信じられない!赤土のジャングルの中を歩くのに?
その遺跡の入り口までは電動カートに乗せてくれる。風が心地良い、
遺跡現場までの電動カート
このままグルーッと回ってくれればよいが?等と不謹慎な事を考えて居ると数分で到着した。
当時のチャンパ王とヒンドゥ教シヴァ神を祭るチャンパ王国の聖地だ。
煉瓦創りの祠堂が70を超えて有るとの事、これらの建築は全て煉瓦を積み上げて造られているがセメントやシックイ等は使われていない。
同様の遺跡が無数にある
大した技術だ、しかし現在修復中の煉瓦はしっかりセメントで塗っている・・造りはカンボディアのアンコールワットに似ていると感じたのは僕だけかな?
現在修復中
ミーソン遺跡は4世紀~13世紀、アンコールワットは12世紀どちらかが影響しているのだろう?隣国カンボディアのシェムリアップ~このミーソンまで約350㎞~400㎞位しかない。このチャンパー王国がシェムリアップに攻め込んだこともあると聞いた。いづれにしろたまに木陰はあるが日差しの強いジャングルの中で同じような見える建物めぐりは結構きつい、ガイドは地元出身で無い為か?建物の説明は何も無い、他のグループのガイドは泡を飛ばして説明しているというのに。
思わずよそのガイドさんの話を・・
気になったのはこの近くに軍事基地が有ったそうでベトナム戦争で特にこの中部地区は激戦区となり、このミーソン地区も相当な被害をこうむったとか今でもあちこちに爆弾による大きな穴が開いている。
アメリカ軍が落とした爆弾と爆弾の跡
その他、盗掘等も多く保存管理も悪く相当大きな被害が出たらしい。
破壊されてしまった遺跡
今色々な国から援助、協力が有り少しづつ復活し始めているがこの調子ではしばらく掛りそうだ。新しく修理された煉瓦の色は白く丁度人が入れ歯をしたように見える。色は同じでなくても似た様な色に細工は出来るのではないかと思うがそれにしてもアメリカ軍のB52爆撃機、よくこんな所まで壊したものだ。
修復は日本のようには・・
そして次に訪問したのがベトナム最後の阮朝王朝“阮朝王宮”で有り中部ベトナム訪問の観光客は必ずこの地を訪れる観光スポットである。
阮朝王宮
紀元前より1,000年に及び中国の影響を受け、その中心が最後の王朝が有ったこのフエだったらしい。
この宮殿は中国の清国を宗主国としてあった為、中国風の建物が色濃く残っている。中国の風水で縁起の良いとされる龍と白虎が都を守ってくれているとの事。その後この王朝はフランスの傀儡政権となり143年間で13人もの皇帝が変ったそうな。
カイディン帝廟
フランス政府の言いなりになった政権は長続きをしており反抗的な皇帝は阻害され、植民地と言う立場で国民は苦悩の連続だったらしい。その後ベトナムの父と言われるホーチミン氏が登場をしてベトナム王朝は途絶えて“ベトナム社会主義共和国”となった。パンフレット片手によそのガイドの説明に聞き入った。現在の中国が南沙諸島を自国領と主張しているのもその流れなのだ。
紛争中の南沙諸島
さて、このフエはベトナムで最初の世界遺産登録をされたエリアでありベトナムで最も美しい町だそうだ。今でも高層ビルは少なく人々は穏やかで中華文化が多く残りその中にフランス建築も見る事が出来る何ともきれいな街並みだ(日本でいえば京都のような立ち位置らしい)。確かに古都ホイアンとは少し違う。
その中に観光としても有名な“フエの宮廷料理”が有る、当然ガイドはそのレストランを予約してくれていた。
もともと僕はベトナム料理を良く知らないが味は中華料理に近くこの地の料理は目で見て充分楽しませてくれる。“これは何?これは?”等と色々聞きながら食した。
フエの宮廷料理
ここでも大満足!今のベトナム人達、識字率が高く働き者が多く80%が仏教徒と言う日本人に近いと感じられる。僕も15年ほど前チョットした縁が有りこの国に“ホンダスーパーカブ”を毎月40フィートコンテナー数本を輸出をしていた身近な国であったが、ホンダが現地生産をする事になり中古バイクの輸出は禁止になった。
一般の中古自動車も“左ハンドル”の輸入規制で輸出禁止になった為、一気に遠い国になってしまった。現在当社が専門に扱っているマイクロバスバスはここベトナムでは右を見ても左を見ても“ヒュンダイ”を始め韓国製ばかりで残念だ。
今回お世話になった“サイトラベル”のオシャレなガイドさん達がトヨタの海外生産車“シエナ4WD”の左ハンドルで案内をしてくれたのがせめてもの慰めであった。
インドシナ半島、一つの経済圏にしようと世界が動き始めている中、ハンドル位右でも左でも良いではないか!まして高速道路が国境をまたいで繋がろうとしているのに!隣国の右ハンドルの国タイの人達は左ハンドルのベトナムには下車できないのか?等と何となくもやもやした気持ちで飛行場に向かった。
ベトナム人口9,000万人、今後世界はどの様に変わるか判らないが又この地の人達とビジネスで再び関わりを持ってチョクチョク来れるようになれば良いがと願っている。
水江 一正