BLOG
MENU
お客様の声 pick up
世田谷区山崎小学校メンズクラブ(親父の会)
世田谷区山崎小学校の親父の会(メンズクラブ)様よりコメントを頂きました!!このたび、世田谷区山崎小学校「メンズクラブ(親父の会)」で、山形県舟形町への一泊二日のイベントに際し、マイクロバスをお借りしま... Read More
世田谷ボーイズ様よりコメントを頂きました!
世田谷ボーイズ様よりコメントを頂きました! 水江様お世話になります。世田谷ボーイズ父母会辺見です。ご依頼いただいておりました写真添付いたします。コロナの影響で全く出来なかった対外試合や公式戦も始ま... Read More
最新ブログ
☆シャチョウサン暫く!!
Mrナンダナさん来日!!数年ぶりに再会!Mrナンダナ・・新宿にて☆シャチョウサン暫く!9月29日(月)朝一番ミーティング中に聞き覚えのある外国ナマリノ日本語で電話が有った。オー、MRナンダナ!(スリラ... Read More
九都県市ディーゼル車に対する追加粒子状物質減少装置に関する条例について
なかなかこの問題は厄介な内容です。少し詳しく解説を致します。2003年(平成15年)10月1日から東京都、千葉県、埼玉県、神奈川県の1都3県と千葉市、さいたま市、相模原市、川崎市、横浜市の5市の合計九... Read More
”電力の鬼”松永安左エ門
8月14日はもう帰宅予定日だ。
船の便数が少なく否応なしにAM11:30発のジェットホィールで帰らねばならない。
宿の主人に1時間少々で観るところを聞いた。4分~5分のところに“松永安左ェ門記念館”が有るとの事。面白いから行って見たらどうですか?恥ずかしながら松永安左ェ門?聞いたことが有るような無いような。4分~5分のところに有ったまわりよりやや大きめの普通の住宅の為通り過した。来館者も少なく館長らしきオジサンが色々説明をしてくれた。
松永翁の遺品の数々
この人物の事が好きで仕方がない様子。来館者が少なかったせいも有りつきっきりで・・この壱岐の島の出身者らしく後に日本の電力業界を動かす“電力の鬼”と言われた人物らしい。国家管理されていた電力をGHQを味方にして分割民営化したり“産業計画会議”を主宰して今の日本の基礎を造った1人らしい。
当時民間主導の電力会社を起こし後に日本を動かす“電力の鬼”と呼ばれる人だった様だ。その後電気事業は国家管理に置かれる政策が取られ東邦電力の解散を機に現所沢で茶道三昧に明け暮れた。その後、池田勇人、木川田一隆らと一緒になって日本発送電公社が分割民営化を実現させた。昭和26年には“産業計画会議”を主宰し東名高速道路、名神高速道路の計画をした。・・とある。昭和26年と言えば日本に自動車が41万台道路は穴だらけ、ほこりだらけの人力車や牛や馬が荷物を運んでいた時代に現在8.000万台の自動車が行きかうイメージを持って居た人だ。
当時九州の路面電車
その先見性と行動力は卓越している。それだけに敵も多かった様だ。福澤諭吉の親戚から500円借りて「福松商会」を立ち上げ商品ブローカーや石炭で大儲けするがその為にインチキしたり談合破りをして拘置所にぶち込まれたり、日露戦争後株に手を出して大儲けするがその後大暴落して破産するが2年足らずで財界に復帰して九州北部の電気事業を掌握する等など聞けば聞くほど破天荒な人生を歩んだ人らしい。時にヤクザの女房を囲い命がけで守った等などの話を聞いた。ピンチを潜り抜けるたびにヒントを掴む明るい性格で肝が据わり美男子の為女性関係も派手で作家“梶山季之”が小説にしたらもっとも面白い財界人物と言わしめたとの事。それやこれや大きな人生の浮き沈みが有り最後の総決算としてなんと終戦後74歳で国を建て直すとの強い思いで当時の総理大臣吉田茂と対立しながらもGHQを取り込んで民間主導の電力会社の分割民営化を成し遂げたそうな。
松永の話を聞く”経営の神様”松下幸之助
その他政財学官トップで構成する「産業計画会議」を主催、専売公社の廃止、国鉄民営化、高速道路の整備など今の日本の基礎を築いた人らしい。「電力の鬼」と呼ばれた凄まじい人生を送った人だ。日本人の74歳と言えば退職後の人生を考え年金はナンボ入る?何処かにアルバイト先ある?等と考える人が大半の様な気がするが。彼には資金提供者も取り巻くブレーンもしっかりした人が居たんでしょうね?そんな大物がこの小さな壱岐の島の漁村から出生したらしい。・・この島の人達の誇りは判る気がする。
水江一正
久し振りの小豆島
久し振りの小豆島
エンジェルロード・・天使の散歩道?
今日は少し強行スケジュール朝6:00過ぎ朝食なし朝一番の小豆島向けの高松港フェリー乗り場へ向かったが年末のせいか大型トラックもかなり乗り込んでいる。ここのフェリー一日約1時間おきに15便の就航が有る。朝食はフェリーの中でうどんとお稲荷さんで済ませた(ハッキリ言って美味しくない)。人口14.000人少々のこの島に約1時間おきにこれだけの大型トラック、一般車両が運び込まれてる。
小豆島には50年ぶりに来た。
土庄港について早々感じたが他の島と違い魚の匂いがしない。普通港に着くと漁船が多くそこら中に干物を干しているイメージが有るものだがそれが無い。
いつもの漁港らしくない
名産はオリーブ、醤油そして手延べソーメンだ。チョットオシャレな島という感じ・・
早速四国の見どころTOP7の一つ“エンジェルロード”・・自分の年を考え今サラでもないが港から近いので寄ることにした。しかし残念!時間が早すぎて未だ潮が引いておらず散歩道は一部しか繋がっていなかった。
この島の見どころの一つに醤油で全国区の丸金醤油が有るが
丸金醤油さん
その他小粒では有るが輝いている醸造醤油屋で150年以上続く杉桶仕込みの“ヤマクロ醤油”と言う工場が有るらしい。カーナビでセットしたが迷って迷ってやっとたどり着いた。
想像したより小ぶり?
小ぶりな醸造元である。菌を外から持ち込むといけないので入口で丁寧にほこりを払ってもらい薄暗いモロミ蔵へ案内して貰った。高さ2m以上の杉樽の回りや壁にはびっしりと酵母菌が付着している。
びっしりと菌が付着
蔵はうす暗くあまりきれいな感じはしない。
薄暗い室内
説明を聞くと現在大手の醤油工場は殆どスティールのタンクで大量生産をしていて杉の樽を使っているところは無いらしい。これだけ大きな木の樽を造っている業者はもう日本では1軒から2軒しか無いらしい。
貴重な”樽”
今使っているこの樽も後数十年でダメになるとの事でここの社長は自ら樽工場に弟子入りして次の世代の為の杉樽を造っているとの事。若いのに相当なつわものだ。
この島の醤油はもともと大阪城築城に当たり石を切り出す為に訪れた人達がもたらしたとの事。瀬戸内海の晴天少雨な気候で良い塩が採れる。そして近県から集荷できる品質の良い大豆、小麦等が揃い今はブランド化しているとの事です。
見学を終えて試飲・・醤油なんてどれも同じ?と思っていたがこの豆は丹波の黒豆を使って・・等々と色々説明を受けながら小皿に有る醤油を付けて指をしゃぶるとなるほど違う。
試飲の醤油が無造作に並んでいる
当然土産にと4本セットで〇〇〇円、容器も小さく少々高いがたまには小豆島のブランド醤油も・・と買って帰った。持ち帰った醤油は今まで使っている醤油と分けて刺身、冷奴、卵かけごはん、おひたし等々とじかに味わえるものに使っている。確かに美味しい気がする。暫くしてフト、テレビを見るとあのNHKでここの社長の苦労話が放映されていた。アッあの社長が出ている。この醤油に非常に親近感を持てた。今ではこの醤油、食卓の真ん中に置かれ美味しく食事を楽しませてくれている。アッソウソウこの蔵を訪れる前には納豆を食べてはいけないらしい。納豆菌は強すぎてここの主役の酵母菌や乳酸菌を脅かすそうだ。
僕がお気に入りの”ヤマロク醤油”さんのHP
小豆島と言えば“二十四の瞳”の映画村、
”二十四の瞳”映画村
この島の分校で女教師を演じた高嶺秀子扮する大石先生と12人の子供たちのドラマだ。
”二十四の瞳”のポスター
僕も小学生だったのでストーリーはあまり覚えて居ないが小学校の推薦映画で見に連れて行かれた事を覚えている。

新任の女教師をこの子供たちが落とし穴を掘って怪我をさせる。・・くらいなレベルの見方しかしてなかったが実は反戦をテーマの映画だったらしい。田村高広、月岡夢路等の当時の大女優も出ていたのを今知った。
映画村の中は建物や日用品等、昭和の時代をそっくり残しており
子供の頃を思い出す!?
食べ物の少なかった戦後の子供の頃の何とも言えなさを思い出させてくれた。古い木造の分教場にはベルの代わりに木版を木槌でたたいて授業を知らせる等

校庭には今でも遊べるように竹馬や自転車の車輪回しが置いてある。僕も子供の頃には竹馬の経験はあるので試してみたが竹は回るし立ち上がるまでのバランスが取れなくて危ない。当時僕は竹節3段位まで乗れたのに・・しかし意地を張っても仕方がない怪我をする前に辞めた。
それにしても目の前の穏やかな瀬戸の青い海も素晴らしく気持ちが癒された。ギャラリーには昭和30年代の映画俳優の写真が多く飾られている。当時僕は松竹では無かったが片岡知恵蔵、長谷川一夫、嵐寛寿郎等主演の映画を多く見た覚えが有る。あの映画は誰と見たっけ?思い出そうとしたり・・そう言えば僕らの英雄、アラカン扮する鞍馬天狗は角兵衛獅子をしている美空ひばり(杉作)を連れて新撰組と戦っていた。今考えると鞍馬天狗は尊王攘夷派の志士だったのですね?子供の頃にはそんな意味も分からず”勧善懲悪”で最後は悪をやつけてくれると信じ見ていた、等と次々と子供の頃を思い出す。
この映画村の中に土産物を売っている茶店が有る、名産の醤油のアイスクリームを食べながら久し振りに心豊かな気持ちになった。
醤油のアイスクリーム
のどかに過ごしていたら昼近くになった。次の目的地を目指さないといけない時間になった。しかし折角来た小豆島旨いものでもを食って行こうと地元の人に魚料理の美味しい店を教えてもらいナビをセットして訪ねて行った。・・残念2件とも休みだった。そうだよね?今日は12月31日でした。では早く高松に帰り食事に有りつこうと急いで土庄港のフェリー乗り場に向かった。残念!大きなゲートが上がりフェリーがゆっくり離岸始まったばかりだ。これで全く無駄な1時間待ち!!遅い昼食は又まずいフェリーのうどん!?
水江 一正
”うどん県”と金毘羅詣で
キツネうどんと金毘羅詣で!
“騒ぐ年、酉年”の年末が来た。やはりこよみは当たるのか?弊社も色々の事が有り大変だった。しかし良い経験をした。
今年も年末近くになり息抜きの旅行、今回は四国を選んだ。今年も旅行業者には頼まずに往復のチケットは行きは高松空港、帰りは高知空港でまずは搭乗券を確保出来た。さて宿泊旅館が問題だ。NETで見てやはり良さそうなホテルは殆ど業者に抑えられている。しかし空いていると何故か不安になるがレビューをチェックして妥協する。“今年は少しグレードが下がるような気がする。
”温泉に入って時間が来れば食事”と・・気まま旅と言う訳で12月30日PM12:30頃高松空港に到着した.
日頃利用しているタイムズレンタカーのカウンターで“讃岐うどん”の美味しい店は?するとカウンターのお姉さん“すぐ隣に有ります。
地元で有名な”かわたうどん”
市内へ行く途中にも沢山ありますが隣の店も有名ですよ”歩いて2分、丁度昼時と有って20数人程が並んで行列が店の外まではみ出しているいる。
店の外まではみ出している行列!・・何時間待ち?
しかし店の造りは結構大きいし、さすがうどん専門店だけあって回転は速い。

12~13分程の待ちで席に着けた。店の造りの割には意外と品数が少なく気をてらわないところがイイ!好物の“きつねうどん”を注文した。

僕の大好きな”きつねうどん”
結構時間が掛かっている。注文を受けてから麺をでるらしい。店内を見回して見るとオデンの鍋や”お稲荷さん”が有り勝手に取ってきて後で櫛の本数で計算をするらしい(回転寿司と同じルール?)。ネタはスジ、大根、ナルト、コンニャク等関東と同じ種類だスジと大根、コンニャクを取って来た。出汁が違う薄口だが良く煮込まれて旨い・・待っていても苦にはならないし店も手がかからない・・上手いこと考えたものだ。その内きつねうどんが来た。どんぶりを覆うような1枚の大きなあぶらげその下にうどんが有る。かなり太麺だ、僕はラーメンでも麺にスープが良く絡む細麺の方が好きだ。しかしこれが讃岐うどんなら仕方がない。コシの有る麺を2~3本すくいよく噛んで、噛んで、噛んでスープ一緒にゴクリそして大きなあぶらげを一口これも薄味だがしっかりと出汁を含みジュワ―と一緒に甘みが口の中に広がる関東と違い薄口の出汁だが旨い!この地域の出汁にはコンブ、カツオの他イリコが入っているらしい。青魚には独特の匂いが有るらしいが何らかの方法で料理されているのだろう。美味しくてどんぶりの出汁を残さず頂いた。取りあえず“日本一のうどん県”香川の名物を先ず食した。関西に来た気がした。
さて今日の予定はここから40分~50分の先の“讃岐の金毘羅さん”の御参りだ。階段は全部で1,368段である。このスケジュールを決めた後、ハッキリ言って後悔をした。本宮まで“785段”の階段は絶対上らなくてはならない。毎日通っている弊社2階までの20段の階段でも登り切って一呼吸おいて2歩目を歩き出すのに・・下調べしたら途中まで「かご屋」が居るとか?しかし人の助けで御参りしても御利益はなさそうだし・・途中の店で“杖”を貸してもらえるともある。お年よりも多く御参りしていると聞く。
門前町にはいくつかの有料駐車場が有るが商店で土産を買うと無料になるとの事。

駐車場の呼び込みも必至である
さてと階段を数歩登る、
この階段・・ホンノさわりです!
この調子で780段か?等と思いながら登って行く途中参道の両側には商店街や飲食店が有り所どころヒッカカリながら登って行くと意外と進んでいる。商店街でビールも売っていたがさすがに今回は“ナマツバ”ゴクリで我慢した。
有名な”金陵”の店・・構えもGOOD!
小学生くらいの子供たち元気、元気“オバアチャンハヨウハヨウ・・あと何段?”等の会話が回り中で聞こえる。
僕にもこんな時代もあったよね~
若い男女のアベック達も多かった。何故か男の子より女の子の方が元気に見えたのは今の世の中かな?途中には“五人百姓”大きな傘をさしてべっ甲アメを売っている5人のオバアチャンが居る。何と800年前鎌倉時代から続く由緒正しい店だそうだ、境内で唯一店を出す事を許されているとの事。
”五人百姓”・・名前の由来は?
その後宝物館や表書院を見て、もう何段上ったか判らないが相当登ったと思う。やっと着いたと思った社殿は旭社とか言う別の重要文化財であった。
”旭社”
そこを過ぎると最後に百数十段の急階段となる。何回か御参りしている参拝者が“お爺ちゃんこの上だよ!”と声を掛け合っているのを聞いて階段を見上げると少しづつ本宮が見えて来始める。やっと無事着いたか!の気持ちと妙な達成感を感じた。参拝で達成感を感じた事は今までは無かった。
金毘羅さん”本宮”
ところで“金毘羅さん”は有名では有るが何の神様?実はあのヤマタノオロチを退治した“スサノウノミコト”の子供でイナバノ白ウサギでウサギを助けた“オオクニヌシノミコト”だそうだ。本来は“海の神様”で漁業、航海等海上の安全の神様だそうだがそのほか農業殖産の神、医薬の神、技芸(音楽、芸術)の神でも有るそうだ。即ちどんな願い事に関してもご利益があるそうだ。そう言えばオオクニヌシノミコトは白い大きな袋を背負っていらっしゃったからね?
785段の急な階段をコツコツ登って来ただけあって何かご利益が有りそうな気がする。
本殿までの最後の”階段”
しかし今年も又年末の御参りになった。
今日は12月30日だそのご利益、後2日で終わらなければ良いが・・
水江 一正・
輪島の朝市と白米千枚田!
輪島の朝市と白米千枚田
白米千枚田・・コントラストがサイコー!
輪島の朝市はAM8:00~PM12:00頃までやっているらしい。ここから120㎞で高速道路を使って2時間程だ。
市場近くで道に迷い山道に入ったので近くを歩いているオバアチャンに車を留めてドアーを半開きにしたまま道を聞いていた。
その留め方が悪かったのか巡回をしている石川県警のパトカーが来て不審尋問。訳を話すと快く市場までパトカーで先導してくれた。親切なお巡りさんだしっかり駐車場まで先導してくれた。既にその駐車場には白い大きなビニール袋を2つも3つも抱えて自分達の車を探している観光客で一杯だ。何となく“面白そうだな”道の両側に常設店舗が有りその前に400Mほどに渡り簡単なテント張りの出店が200軒程並んでいる。


ここが1.000年以上の歴史の有る朝市か?と感心しながら一通り見て回った。

大きく分けて生鮮魚、加工食品、農産物そして工芸民芸品に分かれている。時間が遅かったせいか生鮮魚店ではモズクとかアジの開きとか煮干し等、これなら2~3週間売れなくても問題なさそうな物が並んでいる。

農産物はキャベツが5~6個、いんげん豆、きゅうり、にんじんがそれぞれ20本程盛られている。余り迫力はない。
新鮮野菜!”コーテクダ~”
加工食品等は当然卸問屋から仕入れてここで販売されているのだろう。普通の小売り店と同じだ。工芸民芸品は常設店舗の商店だ。少々がっかりした。日本有数の“輪島の朝市”僕が期待したのは生鮮魚店では近くの輪島港で水揚げされたばかりのイカとか甘エビ、のど黒を目の前でさばきながら人だかりの熱気の中で売り買いしていると思っていた。しかしここで店を出している人達は漁師の関係者とはまた違う様だ。この場で相当永く商っているのだろう人の良さそうなオバアチャンの“コーテクダァー”の声につられて僕もこの後の旅行の酒の肴にホタルイカの干物を買っておこうと思い声を掛けた。


時間が遅かったので干物しか残っていない?
値段は書いていない。コレイクラ?無造作にその干物3~4匹を僕の手に乗せて旨いやろ?買う気になっていたせいか旨い!はかりにかけて大雑把にハイ500円、お金を払うと更に一握りのホタルイカをサービスしてくれた。これが観光客をひきつけているのだろう。その場で試食これが結構うまい、量も多かった為旅行先で食べきれず我が家に持ち帰って今でも酒の肴にしている。ここのオバアチャン達毎日ここに店を出しているが売れても売れなくても良いのかもしれない。多くの観光客とかかわっているのが楽しいのかもしれないと思った。“オバアチャンもっと安くしてよ”等と観光客も値切っているが本気の様子でもない。ノドかな日本の一コマに参加した気がした。
そしてここからもう一つの目的地“日本の原風景”と呼ばれる“白米千枚田”が有るらしい“世界農業遺産”にも登録されている。ここから7~8㎞の距離で“日本の美しい棚田10選”に選ばれているそうな。20分程で道の駅“千枚田ポケットパーク”へ着いた。


NHKの朝ドラ”まれ”の舞台だそうだ
店は広くなくかなり混んでいる。イートインコーナーもあっておにぎりとソフトクリームが良く売れている。


やはりここに来たからには”おにぎり”でしょ~
やはり棚田に来たならここで採れたおにぎりだろう?しかし先ほど輪島の朝市で色々つまみ食いした為余り腹は減ってない。梅、岩のり、キャラブキ等の中から岩のりのおにぎり1個180円を買った。少し大きめのおにぎりだ。みずみずしくモチッとした食感だ、“ウマイ”と感じたのは先入観かこの店で毎日大量のおにぎりを造っている技術なのか又は本当にこの米が美味しいのか?判らないが美味しく感じた。


千枚田の近くにある”塩の駅”・・ここの粗塩(てんぷらに付けて美味しく頂きました)
そして棚田の遊歩道へ“ワ~いいな~”普段東京でビルしか見て居ない僕には久し振りにすごく新鮮?いや自分の子供の頃の風景を思い出させてくれた。昔、出身地である岡山で町からから少し行くと段々畑が有りタオルと麦わら帽子をかぶったお爺さんが機械を使えないその急な段々畑を一日何度もクワを担いで往復し、狭い畑をコツコツと耕していた姿を・・まさしく我々の年代が知る日本の原風景だ。時間がタイムスリップしたような気がする。
棚田10選に選ばれている
特に今は8月、緑の稲に穂が付き始めすぐその先が日本海、青い海とのコントラストも日本の棚田10選に選ばれている理由だろう。美しい!入口の立て看板には1,001枚の棚田で年6tの米が出来るそうな。
オーナー制で年2万円払うと10㎏の収穫枚を受け取る事が出来るらしい。その中には小泉純一郎氏、安倍昭恵氏等の名前が有った。
田植、稲刈りは全国からボランティアが参加しているらしい。何となく汗臭さも感じさせられる場所で稲刈りに参加して見たい気もした。時々東京のイベントで見る数十万個のLEDで飾られたイルミネーションより数十倍感動した。日本創生を言われ始めて数年になるが我々が余り身近に感じることが無い、余り目にする事が無く旅行先で人づてに聞いて来てみたが、この様な日本の原風景をもっとアピールして日本人はもとより外国人観光客に知ってもらい喜んでもらうべきだと思った。何となく我慢強く耐え忍びこれまでになった日本人である事を誇らしく感じた1日でした。
水江一正
夏休み!加賀120万石を観光✾
夏休み!加賀120万石観光
金澤といえば”兼六公園”
今年の夏休み当社では8月13日、14日、15日を中心に前後に分けてそれぞれスタッフがローテーションを組んでバランスよく休暇を取る事にした。今年は気にもしていなかったが8月11日(金)が祭日だ?ン?そんな祭日有ったっけ?2016年、昨年から出来たのだって。「山の日・・山に親しむ機会を得て山の恩恵に感謝する」日だそうだ。8月の真ん中を休むと一カ月の売り上げがダメになる?等弱気になり僕は11日(金)から4日間先行して休暇を取る事にした。
2年前に開通した北陸新幹線に乗り新鮮な魚と温泉に期待して予定を組んだ。
昼過ぎに金澤駅に着いた。その足で“鮮魚の近江町市場”へ直行!

全国には似た様なスタイルの市場は有るがこの市場の活況は特別だ。何処が違うのだろう?平均的には多くの鮮魚店が店を出して“安いよ新鮮だよ”だがここは各魚屋がイベント会場になっている。店員が客と一緒に楽しんでいる様だ。
外国人も多い・・特に欧州系
タクシーで乗り付けた入口の近くに有る数件の食堂はどの店も既に30人以上並んでいる。各店舗は15坪ほどの広さしかない。物凄い熱気だ!
入る隙間ナシ!
地元の客より駅に近いせいか大半が観光客だ。・・これでは昼飯どころか晩飯になるかも知れない。仕方がないので食堂はあきらめて何軒か有る魚屋を選んだ。そこに岩牡蠣、ウニそしてかなり大ぶりなこの地名産のボタンエビが山積みされている。
ナ、ナント1個1,500円の岩牡蠣!
ここも20人前後の客が並んでいるが回転は良い、威勢の良い掛け声につられてポンポンと注文して発泡スチロールのお皿に入った岩牡蠣とウニ、ボタンエビを受け取った。モチロン缶ビール片手に・・が座るところが無い!もたもたしていると押し出されてしまう。グッと踏ん張って1個1,200円の大事な岩牡蠣を落とさないように抱えながら(旅先だからついつい気が大きくなる、懐も緩みっぱなし)先ずビール・・外気温は33度~34度・・ウメェ~!そしてかなり大ぶりなミルキーな岩牡蠣が口一杯に広がる。タンパク質、亜鉛、ミネラル等栄養たっぷりと聞く・・何となく疲れた体に効いて来た気がする。行儀は悪いが「お祭り」だカンベン!近くで蒲焼のいい匂いがしている。ウナギを串刺しにして焼いている。

ウナギのかば焼きの匂いについ足が・・
暑気払いにはウナギ!・・と言う訳でウナギとキモの串焼きを頼んだ。もう一度夏に乾杯!この人ごみの中で不便な食事。しかし気ままでハッピーな時間だ。
そして赤い顔をして東茶屋街(街並みの文化財)へ
レトロな街なみ
志摩・・重要文化財である
この地域は軍需工場が少なく空襲が無かったのか茶屋街や武家屋敷などが昔のままで残っている景観保護地区だ。


志摩の室内
日本風の古い建物は我々日本人には何となく気持ちを落ち着かせてくれる。時々浴衣を着た若い男女を見かけるが違和感がない。観光客用のレンタル衣装だろう。特にこの地域、自動販売機もコンビニも規制されているらしい。食べ歩きも禁止とか、茶屋とは休憩所の事らしい。甘味の店、抹茶と和菓子、うどんそば、アイスクリーム、コーヒー、雑貨屋などが今もその子孫達が今風に進化させながら営業をしている。


全てのお茶屋さんが店舗に・・
茶屋には相撲茶屋、色茶屋等が有るらしい。特に我々が昔から良く耳にするのは色茶屋の事だ。部屋を貸して芸者を呼んで仕出し料理を取って散々遊んで料金は後払い・・一見さんお断り。旦那衆が金に糸目を付けず優雅に心地よい時間を過ごしていたようだ。
いくら請求が来るか判らない飲み方は到底我々には出来ない遊びですね?それにうつつを抜かして請求書を見てビックリ!財産を取り上げられたり家族離散したり・・芝居にもなっている。そりゃそうだ!後払いだから覚えて居ないよネ?今でも赤坂・六本木等で似た様な事件を時々TVニュースで目にします。
極暑の中、忍者寺にも足を運んでみたが予約制で2時間待ち
・・・なんだコリャ~(2度と行かない!)
さて今夜の宿は福井の芦原温泉だ。
福井県は日本一幸せな県らしい。“幸せな県”とは生活、労働、安心・安全そして医療等を総合した得点らしい。2位富山、3位石川県と北陸3県が上位を占める、ちなみに最下位は大阪らしい・・何となくわかる気がする。
僕はこの地方、雪の多い裏日本で産業も観光地も余りない暗いイメージを持って居る、しかし行けば変わるかもしれない・・と言う訳で“ホテルM”を予約して貰った。
当初、僕が他のホテルを直接予約していたが新幹線の予約が不安な為、O旅行社に相談したところホテルとセットで無いと扱えませんとのこと、仕方なく僕の予約したホテルをキャンセルして取り直したホテルだ。建物、庭園はきれいだ。これは期待できるか?と内心思った。この地方の湯は当然良いに決まっている、しかし露天が無い。室内の湯船は30人以上が一度に入れそうな大きな浴槽で全体が大きなガラス張りになっているが直ぐ前は巨大な白い建物が建っている。都心の古いアパートで窓を開けたら直ぐに隣の壁になっている、そんなイメージだ。ゆっくり湯につかり外の雄大な景色を見てくつろぎながら入るのを楽しみにしていたがこの風呂は息苦しく長湯は出来なかった。僕の楽しみな時間を取り上げられた感じがして腹が立ってきた。食事にアイデアは無いし従業員は暗いし、ゆっくりと“くつろぎ”の空間を求めて来た筈なのにコノヤロー!〇旅行者の担当者の顔が目に浮かぶ。
旅行上手な人達はNETを通して効果的な予約をしているらしい。NETを見ると旅行業者RとかJが画面をシェアーしている。ホテルも安定的に客を呼びこんで貰う為、安く部屋をそれらの業者に売っているのだろう。あるホテルに直接電話した時に現在空いているが〇〇旅行業者へ電話して下さい。空いているならすぐ貸せよ!良く判らない仕組みが出来上がって居るらしい。NET業者が丸儲けになる仕組みになっている様に見える。しかしそのルールも今は少しづつ変って来ており力のあるホテルは自力で集客をしている様だ。早く予約をすれば良いのだろうが僕らの休みは早くは組めないし。やはり昔ながらのオーソドックスな予約しか無いのか?少しづつ経験しながら本物の“おもてなし”をしてくれる旅館を探すより仕方がない。何となく理不尽なNET環境にストレスを感じながらビールを飲んで早めに寝る事にした。
水江 一正
ベトナム中部の世界遺産
ベトナム中部の世界遺産
世界遺産のミーソン遺跡
ミーソン遺跡とフエの建造物群
ホイアンのホテルでAM8:00にガイドと待ち合わせホイアンの南西30㎞トゥボン川の流域のジャングルの中にミーソン遺跡が有る。
約2時間でミーソン遺跡、気温はやはり36度以上立っているだけででじわっと汗が噴き出る、入口の案内図を見ると結構広大だ。
ミーソン遺跡の入り口
ペットボトルは必須だ・・観光客の中にはハイヒールで参加している人もいる・・信じられない!赤土のジャングルの中を歩くのに?
その遺跡の入り口までは電動カートに乗せてくれる。風が心地良い、
遺跡現場までの電動カート
このままグルーッと回ってくれればよいが?等と不謹慎な事を考えて居ると数分で到着した。
当時のチャンパ王とヒンドゥ教シヴァ神を祭るチャンパ王国の聖地だ。

煉瓦創りの祠堂が70を超えて有るとの事、これらの建築は全て煉瓦を積み上げて造られているがセメントやシックイ等は使われていない。


同様の遺跡が無数にある
大した技術だ、しかし現在修復中の煉瓦はしっかりセメントで塗っている・・造りはカンボディアのアンコールワットに似ていると感じたのは僕だけかな?

現在修復中
ミーソン遺跡は4世紀~13世紀、アンコールワットは12世紀どちらかが影響しているのだろう?隣国カンボディアのシェムリアップ~このミーソンまで約350㎞~400㎞位しかない。このチャンパー王国がシェムリアップに攻め込んだこともあると聞いた。いづれにしろたまに木陰はあるが日差しの強いジャングルの中で同じような見える建物めぐりは結構きつい、ガイドは地元出身で無い為か?建物の説明は何も無い、他のグループのガイドは泡を飛ばして説明しているというのに。
思わずよそのガイドさんの話を・・
気になったのはこの近くに軍事基地が有ったそうでベトナム戦争で特にこの中部地区は激戦区となり、このミーソン地区も相当な被害をこうむったとか今でもあちこちに爆弾による大きな穴が開いている。


アメリカ軍が落とした爆弾と爆弾の跡
その他、盗掘等も多く保存管理も悪く相当大きな被害が出たらしい。
破壊されてしまった遺跡
今色々な国から援助、協力が有り少しづつ復活し始めているがこの調子ではしばらく掛りそうだ。新しく修理された煉瓦の色は白く丁度人が入れ歯をしたように見える。色は同じでなくても似た様な色に細工は出来るのではないかと思うがそれにしてもアメリカ軍のB52爆撃機、よくこんな所まで壊したものだ。
修復は日本のようには・・
そして次に訪問したのがベトナム最後の阮朝王朝“阮朝王宮”で有り中部ベトナム訪問の観光客は必ずこの地を訪れる観光スポットである。

阮朝王宮
紀元前より1,000年に及び中国の影響を受け、その中心が最後の王朝が有ったこのフエだったらしい。
この宮殿は中国の清国を宗主国としてあった為、中国風の建物が色濃く残っている。中国の風水で縁起の良いとされる龍と白虎が都を守ってくれているとの事。その後この王朝はフランスの傀儡政権となり143年間で13人もの皇帝が変ったそうな。


カイディン帝廟
フランス政府の言いなりになった政権は長続きをしており反抗的な皇帝は阻害され、植民地と言う立場で国民は苦悩の連続だったらしい。その後ベトナムの父と言われるホーチミン氏が登場をしてベトナム王朝は途絶えて“ベトナム社会主義共和国”となった。パンフレット片手によそのガイドの説明に聞き入った。現在の中国が南沙諸島を自国領と主張しているのもその流れなのだ。
紛争中の南沙諸島
さて、このフエはベトナムで最初の世界遺産登録をされたエリアでありベトナムで最も美しい町だそうだ。今でも高層ビルは少なく人々は穏やかで中華文化が多く残りその中にフランス建築も見る事が出来る何ともきれいな街並みだ(日本でいえば京都のような立ち位置らしい)。確かに古都ホイアンとは少し違う。
その中に観光としても有名な“フエの宮廷料理”が有る、当然ガイドはそのレストランを予約してくれていた。

もともと僕はベトナム料理を良く知らないが味は中華料理に近くこの地の料理は目で見て充分楽しませてくれる。“これは何?これは?”等と色々聞きながら食した。

フエの宮廷料理
ここでも大満足!今のベトナム人達、識字率が高く働き者が多く80%が仏教徒と言う日本人に近いと感じられる。僕も15年ほど前チョットした縁が有りこの国に“ホンダスーパーカブ”を毎月40フィートコンテナー数本を輸出をしていた身近な国であったが、ホンダが現地生産をする事になり中古バイクの輸出は禁止になった。


一般の中古自動車も“左ハンドル”の輸入規制で輸出禁止になった為、一気に遠い国になってしまった。現在当社が専門に扱っているマイクロバスバスはここベトナムでは右を見ても左を見ても“ヒュンダイ”を始め韓国製ばかりで残念だ。
今回お世話になった“サイトラベル”のオシャレなガイドさん達がトヨタの海外生産車“シエナ4WD”の左ハンドルで案内をしてくれたのがせめてもの慰めであった。
インドシナ半島、一つの経済圏にしようと世界が動き始めている中、ハンドル位右でも左でも良いではないか!まして高速道路が国境をまたいで繋がろうとしているのに!隣国の右ハンドルの国タイの人達は左ハンドルのベトナムには下車できないのか?等と何となくもやもやした気持ちで飛行場に向かった。
ベトナム人口9,000万人、今後世界はどの様に変わるか判らないが又この地の人達とビジネスで再び関わりを持ってチョクチョク来れるようになれば良いがと願っている。
水江 一正
世界遺産・熊野三山めぐり
世界遺産・熊野三山めぐり
「伊勢に7度熊野に3度どちら欠けても片参り」と言われている。
僕は伊勢には3回参拝しているが熊野は初めてだ。
先ず熊野本宮大社から参拝する事にした。日本全国に有る熊野神社の総本山だ。
熊野本宮大社
サッカーの試合などで良く見かける日本サッカー協会(JFA)のシンボル八咫烏(ヤタガラス)ののぼりを左に見て大きな鳥居をくぐる。
”八咫烏”ここが発祥の地?
整理された杉の大木の間の急な階段を息を切らしながら登る。朝早かったせいか辺りは静かで凛とした空気の中少々肌寒かったが登っている内に体が火照ってくる。
総門手前に手水場が有る。左手、右手、口すすぎ最後に柄洗いをして心を清め本宮へ・・

最近はこの作法を知っている外国人も・・
ここの本宮へ神が祀られたのはおよそ2千年前との事。総門をくぐると威厳に満ちた姿を見せるのは二殿四社の社殿は重厚なヒノキ葺きである。
主蔡神は“スサノウノミコトとの事、左ふすみの大神(イザナミのミコト)、速玉大神、(イザナギのミコト)中央、けつみみこの大神(スサノオノミコト)、左アマテラス大神が祀られているとの事。
この地に神の降臨が有ったとされている。とてつもない大変な神社なのだ。しかし社殿にしてはあまり大きくない。聞くと明治22年のこの地方の大洪水のお陰でここに移築されて当時の8分の1の広さになったそうな。
熊野本宮大社旧社
それぞれの神様に参拝できるように4か所に賽銭箱が有る。参拝の順番が示されていた。それぞれに御賽銭を入れて2礼2拍手1礼、・・(実は主祭神について後で案内書を見て知った。小銭を持ち合わせて無かったせいも有り“なんで賽銭箱が4つも有るんだ?”等と日本の国を興した神様の前で思ってしまった。反省をしている。事前にもっと知識を備えておくべきだった。小銭が無ければお札を入れるべき神社だった。
4ケ所の参拝は大変だ~(-"-)
今日は12月31日だったせいも有り参拝客は少ない。僕は今、来年のお願いをしている事になる。後ろで鬼が笑ってこの参拝は相手にされていないかも知れない?等と思いながら・・取りあえず無事参拝を終えた。
今でこそ道路は舗装されてマイカーや観光バスに乗って簡単に参拝できるが千年以上昔の道路事情はどうだったのだろう?この地、熊野は伊勢に比べ参拝するには都より離れており気の遠くなるような旅の末たどり着いたとの事。男女貴賤を問わず来るもの全て救うと言う寛大さが熊野の神々の魅力だったらしい。
一次途絶えたが江戸時代に徳川頼宣が熊野三山の復興に力を入れ“蟻の熊野詣”と言われるほど最盛期を迎えたとある。
ここの八咫烏は神武天皇東征の時に熊野から大和に入る険路の先導となったと言う。そしてその足で神が降臨されたと言う今の8倍の広さだったとされる元の社殿跡と日本一の「大斎原(おおゆのはら)」大鳥居を見て速玉神社へ向かう事にした。

”大斎原(おおゆのはら)”の日本一の大鳥居
案内書によれば熊野本宮大社に詣でた人々は熊野川を下り熊野速玉大社参拝後に熊野那智大社へと向かうとある。我々はレンタカーで移動した為、速玉神社へは30分程で着いた。
パワースポットの一つ速玉神社は鮮やかな朱色の社殿だ。
熊野速玉神社
今日は天気も良く朱色の社殿と良く澄んだ空の青とのコントラストが絶妙だ。


朱色が澄み切った空に映える!
仕事を離れてくつろいでいる・・って感じだ。入口には平重森のお手植えとされる国の天然記念物にもなっている樹齢千年以上の「ナギ」大木が有る。

そのナギの葉と熊野牛王を頂く事が難行熊野詣でを無事果たした大きな支えだったそうな。
侍JAPANの八咫烏(ヤタガラス)のお守り買い求めフト周りを見回すと案内書に有るあの大きな“コトブキ岩”が見当たらない。
熊野本宮の”八咫烏”
入り口でミカンを売っているオバサンに“コトブキ岩”は何処?アー神倉神社ね?
神倉神社・・行ってはいないがかなりキツソ~
そこはここから2㎞ほど先の山の上ですよ。山の上?石段が有る?ソー538段の石段が有るわ。観光客は皆行く?石段きついから1割か2割かしら?ソージャ我々も次回に?等とバチ当たりな判断をして那智大社に向かう事にした。
案内書によると熊野那智大社は那智の滝を神とする自然崇拝から起こった社で神武天皇が那智の海岸「にしきうら」に上陸された時に那智の山に光が輝くのを見てこの那智の滝を探り当てられた。


荘厳な”那智の滝”
那智の滝は「一の滝」でその上流に一の滝と併せて四八の滝が有り熊野の修験の修行道になっているとの事。この地もやはり世界遺産に登録されている。
熊野那智大社
広大な地域と聞き及んでいた為レンタカーで出来るだけ上に登る事にした。終着と思われる大きな駐車場も通り越し狭い急な上り坂を昇り切ったところに那智大社の駐車場が有った。
素晴らしい!
那智大社
朱色の3重の塔、那智の滝がバランスよく見える。絶好のカメラアングルだ。

ここ熊野那智大社はイザナミノミコト言われる夫須美神は万物の成長育成を司るとされ農林水産、漁業の守護神として崇められているとの事。
社殿は仁徳天皇の御世(317年)に現在の位置に創建され平重盛が造営奉行となって装いを改めた。その後、織田信長の焼打ちに会い豊臣秀吉に再興され徳川吉宗の尽力で享保の大改修されたとある。
拝殿の近くに平重盛が手植えしたと言われる樹齢850年と推定される楠の大木が有り幹には人が中に入れるほどの洞が出来ている。

樹齢850年!
この壮大な地域もその時代の政策により信じがたい盛衰が有った様だ。ここの那智大社には那智山青岸渡寺が隣接している。

那智山青岸渡寺
明治時代に廃止された後も熊野三山中神仏習合時代の名残を残しているとの事。そう言えば僕も色々神社仏閣を参拝する事が有るが”神社とお寺が隣接している”のは初めて見る。
今日一日を振り返り残念だったのは時間が無いからと入口の大門坂を素通りしてしまった。夫婦杉の間を通り抜け苔むした石畳の熊野古道を歩いて467段の階段を上り汗をかき茶店で団子を頂きながら・・

タップリと時間を取って那智大社に御参りをしなければ本物は味わえなかった。今度はゆっくり時間を取ってもう一度参拝をし直さなければならないと感じた。
昔から熊野三山は「黄泉還(よみがえり)」の地と言われ神々が隠れる深中霊地の地、熊野に入ると心を蘇らせる事が出来、新たな気持ちになる。又、熊野は「人生出発(たびたち)の地」と言われて神が住む場所とされていた。
「熊野本宮大社、速玉大社、那智大社」を参拝すると幸せになれると信じられていた・・そうな。
やはりこの神々が隠れる霊地、熊野三山を駆け足1日で参拝をするのは少し無理が有った様だ。そこで思い出す。「伊勢に7度熊野に3度どちら欠けても片参り」・・も一度ゆっくり時間を取って出直そう。これでは御利益も半分だろうな?
”日本での観光の始まりは巡礼の旅でありその起源は熊野詣であると云われている”
追記:ちょっと気になる話!
速玉神社入り口の樹齢千年のなぎの木と那智大社の樹齢850年の楠の木は共に平重盛に手植えをされたとある。すると平重盛は2百歳以上の長寿だったのだろうね?きっと桃太郎が桃から生まれたってことか?
いずれにしても一度は来て見たかった熊野・・何となく納得した様な出来なかった様な参拝だった。今年1年ご褒美貰えるように頑張ろう!
☆☆☆ミシュランガイドの三ツ星“わざわざ旅行する価値”がこの熊野には有る・・そうな 水江 一正
巣鴨地蔵通り商店街(おばあチャンの原宿)
巣鴨地蔵通り商店街(おばあチャンの原宿)

年を取ってもこれをはくと
”気が入る”
と言われる赤パンツ
日曜日、久しぶりに天気も良いし、な~んにもする事はナイシ・・・チョット気晴らしにどこか近間に行ってみようと思い、まだ年齢的にはその域には達していないけどよくTVで見かける巣鴨地蔵通り商店街(おばあチャンの原宿)にでも行ってみようか・・何か発見があるかもと思い冒険に出かけた。

やって来ました・・地蔵通り商店街!
とげぬき地蔵尊、400百年以上の歴史がある。おばあチャンだけでなく若いカップルや外国人観光客も多く往復800m位の商店街である。

ここで”おたきあげ”をします

某TV局がリポートを! ”すがもんのおしり”さわると良いことが・・・
丁度昼時でもあって巣鴨ときわ食堂(普通の大衆食堂)は長い行列ができている。メニューはアジフライやポテトサラダ、かつ丼などの丼物・・・これは!という物は見当たらない。やはりTVのおかげかこの商店街に2ケ所もときわ食堂がある。

巣鴨で有名な”ときわ食堂”
又一つ行列を発見!塩大福の店である。並んでいるのは女性ばかり・・その中の一人に話を聞いてみると”皮が軟らかくてまだあったかいし塩味が丁度良い”とのこと大福がそんなに好きでもないがチョットばかし好奇心で並んでみた。中には一人で5個も10個も買っている人も、私はつましく1個だけ買ってみた。食べてみると今まで食べたことのある大福と全然違った。さすがに並ぶ価値はある、あんの塩味も丁度いい皮も薄くペロリと食べてしまった。
さすがおばあちゃんの原宿、口の肥えたオバーチャンが並ぶだけある・・オイシカッタ!

ここの”塩大福”は本当にオイシカッタ!
丁度昼時お腹もすいたがときわ食堂には並ぶ気はしないし、何やらプーンとかば焼きの良いにおいが・・匂いにつられていった先はやはり鰻屋、メニューを見てビックリ1人前3,000円~4,000円?ウナギが取れなくなり高くなったと聞いてはいたが・・さすがにここには行列は無かった。
出てきたうな重は脂がのっていて口の中でとろける、タレも秘伝との事久し振りに美味しいお昼でした。
腹ごなしに散歩をと思い近くにある六義園まで歩いた。大都会の真ん中に3万坪の庭園、

大都会の中のオアシス
池と山とを見事なまでに配してあり、随所で庭師さんが松の剪定をしている。丁寧な仕事ぶりでつい見とれてしまった。



この静寂さは宝物・・ と感じる瞬間
外国の観光客も多く見かけられ、しかも欧米の人が多く(例の騒々しい近隣の外国の観光客)はいなかった。

海外の人たちも静かに鑑賞・・
庭園の中に茶室がありお抹茶と和菓子を頂きながら久々に日本の良さを満喫した一日でした。

花より団子かな・・
K・N
第46回衆議院の総選挙がありました!
第46回衆議院の総選挙がありました!
12月14日(日)今日は総選挙の投票日だ。心配された天気も良い。

街頭演説
東京20区は自民党、民主党、共産党の3人しか立候補をしていない。しかし3人共あまり知らない。
以前は久米川駅前で朝早くからハンドマイクを持ち政策を訴えていた候補者もいたが今回の3人は全く知らないし顔も見た事がない。集会も有った様子が無い。
公示後いきなり選挙カーで“地元出身の〇○ですどうぞよろしくお願いします!”の連呼連呼!どうも軽い様な気がする。この人達に本当に国を任せて大丈夫なの?
世界には百戦錬磨の政治指導者達がゴロゴロいる。本当に体を張って国益を守れるのかなー?
それとも各政党の1票でしかないのかな?安倍政権、3本の矢を柱にこの2年間、大分世の中の情勢が変って来つつあるように感じている。それがいきなり解散!そして後4年間計6年の長期政権になる。

与党圧勝!?
相当練られた行動の様だ。さすが政界のサラブレット、祖父の代から続く周りには選りすぐられた優秀なブレーンが色々なアドバイスをしているのだろう。
安部総理“金の匂い”がしないのも魅力だろう。しかし投票率50%はひどすぎる。他に受け皿が無いから仕方がない。
選挙に行ったが投票する人がいない。かといってそのまま返って来るのもシャクだし・・
そんな気持ちだったが取りあえず投票はした。我々の税金に寄生している利権者を早く断ち切って本当に必要なところに前向きな投資をしてくれる政策を取って欲しい。
安心して国を任せられる第二の政党も早く大きく育ってほしいものだ。
安倍政権発足後2年間で国内の為替が1ドル81円が120円になった。我々輸出業者にとってかなりの追い風になっている。しかし数年前2011年1ドルが75円だった事も有る。その時は中古車輸出の売り上げが読めずバタバタと潰れて行方不明になった輸出業者も多かった。
しかもリーマンショックでダメージを受けていたその後だったから弊社もかなりきつかった。今回は円安に加え原油が1バーレル50ドル代になっている。それがまだ下がりそうだ。

石油タンカー
我々の様な中古車業者や流通業者、農業漁業等の生産業者等も相当追い風になるのでは無いかと思う。
しかし各業界とも儲かり始めても値下げのニオイはしない。
特に電気、ガス等の公共料金等値上げは早いが値下げは遅い
!
この調子だと我々が身近に感じるには数か月遅れて来るだろうな?来年の春には実感する事になれば良いが?
今の日本の中古車の輸出業界は相当活発に動いている。特に在日の外人バイヤーのエネルギーは大変なものである。
アフリカや中南米から出張して来て日本人ブローカーと組んでオークションで買いまくっている。兎に角彼らの中古車に対しての知識、情熱、迫力が我々日本人業者とはまるで違う。

オークション駐車場 中古車オークション会場
確かに1台の中古車売買で彼らの母国の公務員の1年間の給料を稼ぐわけだから・・たった1台で!
彼らのビジネススタイルは今まで我々が日本で半世紀以上続いた自動車流通のスタイルを知らず知らずに変えている。
数百万円の車を大事に売って大事にユーザー管理をして・・では無く十数万円の車をひと月数百台~数千台動かすのだ。そういう業者が今日本国内に何社も出て来た。
弊社も知らず知らずのうちにこれらの業者との取引が大きくなって来ている。
そしてその柱をもとに事業計画を立てている。十数万円の車を数十台の取り扱いでも利益率は小さいが弊社の人件費の一部にはなる。
しかしメチャクチャ忙しい・・マッ、急がずゆっくりいこう!先を見据えて行こう中古車を満載した大型船がゆっくりと岸を離れるように進めばよいと思っている。

船積み前の日本の中古車
それに弊社には中古マイクロバスと中古教習車と言う大きな柱が有る。
今の中古車業界、非常にエキサイティングでおもしろくなって来ている。
ところで話は変わるが今日は日曜日、NHKPM8:00から“軍師官兵衛”の最終回だ!
雑用は早めに切り上げて帰ろう。

日曜の夜のお楽しみ!”軍師官兵衛”
ゆっくり風呂に入って冷えたビールを用意して・・サアーPM8:00だ!
アレッ!!テレビ画面いつもと違う?

楽しみは来週に持ち越し
官兵衛ゆかりの小倉城
“本日の衆議院議員の選挙速報をお伝え致します。”アッチャー・・そうだよな今日は総選挙だったよ?
ノー天気なタコオヤジでした
!
水江 一正
野火止め通りの秋
野火止め通りの秋
弊社事務所近くに野火止め通りと言う散歩道が有る。江戸時代川越藩主の松平信綱公により灌漑用水路として造成された現在の立川市から志木市に渡る25KMの用水路だ。

野火止め用水路
その用水路が東村山の弊社事務所の近くは一部ふたがされて遊歩道になっている。
僕は自宅から事務所へ向かうのに健康管理の為遠回りをしてわざわざここを通り通勤をする。

朝の散歩道・・
草花は無いがケヤキ、桂、カエデ等が街路樹として植えられている。ここは春と秋には特に季節を感じる。
巾5M~6Mの狭い遊歩道だが、早めの朝の通勤時間には犬の散歩やランニングなど結構同じ顔の人が通る。

ワンチャンのお散歩コースには最適!
立冬が過ぎてスーパーなどの店頭で柿、栗、梨、カボチャ等が豊富に並ぶ、しかも安くなるこの時期、この野火止め通りの木々が初冬を知らせてくれる。ついこの間まで青々茂った木にうるさいほどの蝉が鳴いていたのに・・

水鳥たちの憩いの場所
今迄開け放たれていた窓が閉められて、ジャージ姿でランニングをしていた人がダウンコートを羽織る様になった。
空は澄んで星はキレイになるがこの時期、自分一人取り残された気持ちになるのは僕だけかなー?
その野火止め通りの木々が黄色や赤の枯葉に変わりそして落葉する。あとひと月少々で今年も終わりだ。少々感傷的になる。

新緑の頃の野火止め用水
今年は少しは前に進んだのかなー?毎年反省ばかりの遊歩道だ。
そうだ!反省会にみんなと一緒に海鮮寄せ鍋で一杯やろう
!懲りないオッサンの反省会だ。

落ちはやはり”食欲の秋かな~”
水江 一正




