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安斉先生のカンボジアReport3

安斉先生のカンボジアReport3

気まぐれ通信No.3
 水江 様
 ご無沙汰しております。9月に入り、当地でも秋の長雨のように朝からぐずついた天気が多くなりました。
8月までは、朝はピーカンの晴れで、12時頃になると積乱雲(雷雲)が周囲のそこかしこに高く昇り、やがて2時頃から黒雲が拡がったな、と思うと驟雨(スコール)がやってきて、1、2時間は激しい雨となります。

が、9月にはいると朝から曇りがちの天気で、午後に何度か驟雨がやって来ます。
驟雨の前には強い風が吹き、急激に涼しくなり、雨に打たれることが多いため、風邪引きも増えます。私の学校でも体力ない子どもたちが風邪をこじらせ、長の休みとなりがちです。
 先日、水江様がアップしたカンボジア紀行を読ませていただきました。そのなかに私に関する記述があり、ちょっと面はゆい感がありました。私のカンボジア滞在は10年目となりますが、学校づくりとは時間がかかるもので、ようやく学校としての体をなしてきたかと思うと、既に私自身が晩年を迎えているといった有り様です。

「遠くまで往くんだ」と始めた学校づくりですが、いまだ目的の地は見えていません。
もう暫く前に進んでみようと思っています。
言葉で出会うカンボジア-3-
image006_20111011164320.gif お名前は?(チュモ・アヴァイ)

<問いかけ>編
 <あいさつ><呼びかけ>に続いて、今回は、<問いかけ>に挑戦してみよう。前回で取り上げた「お嬢ん」、「お兄さん」、「お子さん」等は、「あなた」と呼びかけるより敬称に近い語感であるのは、日本語と同様です。さて名前ですが、私たち日本人は、相手を呼び捨てにすることには躊躇があり、また、自分が呼び捨てにされることは、家族か友人以外からですと、どうも気分が悪いものです。
カンボジア語にも「さん」に当る敬称がありますが、かなり改まった言い方で、毎回、使う訳にはいきません。
そこで、どうしても先のような一般的な呼び方で終始し、後で『あの人の名前は誰だっけ?』と自問することもあります。

電話が一番困る
カンボジアでは、携帯電話が一般的です。固定電話は工事費や契約料が高く、電気すら享受できる世帯が全世帯も2割以下の現状では、高値の花です。そこで手っ取り早いのが携帯電話です。街中にある私設の公衆電話も置いてあるのは携帯電話です。
さて、電話がかかってくるのですが、「ワン・ギリ」が実に多いです。「ワン・ギリ」ならカンボジア人です。
当地の携帯事情が、SIMカード購入時の契約のみで後はプリペイドカード購入だからです。お金がないから相手にかけてもらうというのは実に失礼な事ですが、当地の人々の経済事情を考えると仕方がないのかな、とも思います。

「ワン・ギリ」の電話にかけなおすと、先ずは丁寧な人なら『チョムリアップ・スオー こんにちは』で、『もしもし』にあたる『Hello』です。そこで、相手を確認しようと、『image008_20111011163742.gif ナーケー(誰ですか)』と問いかけるのが、一般的です。が、中には電話をかけておきながら『image008_20111011163742.gif ナーケー』と逆に尋ねられると思わずムッとすることもあります。
会話では、image011.gif   (ネアックナー)image008_20111011163742.gif  (ナーケー)は失礼で、相手に応じて呼びかけの言葉を考え、例えば 『お嬢さん image006_20111011164320.gif (チュモ・アヴァイ) お名前は』と問いかけます。すると、笑顔で答えが返ってくるはずです。

名前はあっても氏名はない
名前ですが、文字通り<名前>で<氏名>が返って来ることはありません。
その<名前>も「こう呼んで!」という本人に好みで勝手に省略したり、別名を名乗ることも珍しくありません。タイなどでも、本名とは別に親が付ける<字(あざな)>を名乗ることが一般的ですから、注意が必要です。
名前を書いてもらえれば、本名かどうかがわかりますが、田舎では書けない人も多いです。

家族の歴史に無関心
名前を省略するのはよくあることですが、別名や字名を初対面の人でも平気で名乗るのには、どうも文化的な背景があるようです。
この点で、カンボジアとベトナムの間に明確な境界が付けられます。インドからカンボジアまで、<氏=苗字>に当るものはありません。中国・朝鮮・ベトナムでは、氏に当るものとして<宗>があります。

宗とは「父の党を宗族となす」というように中国では女系を排除した男系血族を宗族と言い、それ故、<宗>が家族の名となります。
日本では、それが<氏>になっています。が、インド的世界観を受け入れたカンボジア以西の東南アジアでは家族名がありません。その代わりに<父親の名>が家族名代わりになります。
つまり、<父親+固有名>が本当の名前となるのです。ですから、結婚して名前が変わることはありません。そして、一般のカンボジア人は、三代以上前の祖先の本名となるとほとんどわかりませんし、また、興味もないようです。それ故、<家>の存続という意識もありません。これでは、歴史意識というものを持ちようがありません。

当地の漢字新聞には、よく「○○宗族の会合」という広告が載りますが、それは一部の華人系で、見た目は華人系の人でも「自分はカンボジア人」と思っている人も多く、一般に華人もクメール人の血が入って、三代過ぎればカンボジア人となるようです。
「中国には史書があるが、インドには宗教書はあっても史書がない」と言われるのは、名前に見られる<家族>意識の違いではないか、と思っています。

稼ぐ人が偉い
「家」意識の希薄なカンボジアですから、兄弟姉妹間は概して平等です。「長男・長女」だからと言って、別段、重んじられません。強いて言えば、「稼ぎ手」が保護者です。「稼ぎ手」が年少であろうと他の者が逆らうことは稀です。「名前」よりも先ず、相手の姿、格好、持ち物等で相手を判断しがちです。そのため、見栄っ張りがカンボジア人の特徴とも思えるところが、あります。
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蓮取りの姉と弟 ―ちょっと声をかけたくなりませんか―