桃太郎伝説発祥の地、吉備津神社へ!
岡山駅から1時間に3本のローカルな吉備線に乗って約15分程で吉備津駅、そこから歩いて約10分、この駅昔と全く変っていない。
しかし初詣の時期は岡山県内から大勢の参拝客が訪れ相当混雑をする。
僕も子供の頃親に連れられて何回もお参りに来た思い出が有る。
この時期、天気は良かったが吉備津駅からの参拝客は少ない。
ぶらぶらと松並木を抜けていくと当時から営業を続けている見覚えのあるうどんやが有った。
吉備津神社までの参道
時間を見るともうPM2時半過ぎている。他に店は無いし腹も減った、取り合えず入ろう。
昔ながらのうどん屋
オモチャの刀、鬼の面、駄菓子等雑多に並べられている。
どこの観光地でも良くみられる土産物屋も隣で営んでいる。早速ビールとおでんを注文こちらではおでんの事を関東煮と言う。醤油の種類が違うのかコンニャクも豆腐もよく煮込んで真っ黒だ。
見た目おしゃれではないがこれはこれで味がしみてビールとよくあって美味しかった。
そしてうどん、ソバも有ったがこの地方はやはりうどんだ。
子供の頃、日本ソバはあまり食べた記憶がない。ソバと言えばラーメンだった。
腹ごしらえが終わったところでいざ参拝、三十段ほどの階段を昇ると国宝の本殿が有る。
吉備津神社入り口
その広さは出雲大社の2倍以上だとの事、この本殿、過去二回の火事により焼失したが600年前、足利義光の時代に25年の歳月をかけて再建、それ以来雄大な姿をそのまま現在に残している。…との事・・相当威圧感が有る。
その本殿を右に曲がると有名な回廊(岡山県指定重要文化財)が有りそこを下って行くと雨月物語にも出てくるお釜殿、途中妙法塔等国宝が有る。
重要文化財「回廊」
お釜殿 如法経塔
ちなみに5.15事件で暗殺された犬飼毅氏の遠祖はなんと吉備津彦命の随神だったとか?
(犬養家の遠祖・犬養健命は大吉備津彦命の随神であったとして吉備津神社への崇敬の念強く、神池の畔に犬養毅の銅像が建ち、吉備津神社の社号標も犬養毅の揮毫である。)・・・とある。
そして臨済宗の開祖栄西もこの近く吉備津南部が生地だとか?
日本を動かした人達がこの地に数多くいるのですね?
吉備津神社
そもそもこの吉備津神社とは第七代孝霊天皇の皇子で、この吉備の地域を平定し、吉備山中の茅萱宮を造って住281歳で亡くなり山中山頂に葬られ、その後子孫が造営して吉備津彦を祭ったとの事。
≪鬼退治神話≫
当神社には、あの桃太郎のお話のもととも云われる温羅退治のお話しが伝わっています。
それは、諸説あるようですが大要は次のようなお話だ。
『むかしむかし異国よりこの吉備国に空をとんでやってきた者がおりました。その者は一説には百済の皇子で名を温羅(うら)といい、目は狼のように爛々と 輝き、髪は赤々と燃えるが如く、そして身長は一丈四尺にもおよび腕力は人並みはずれて強く、性格は荒々しく凶悪そのものでありました。
温羅は新山に城を築き都へ向かう船や婦女子を襲っていたので人々は温羅の居城を鬼の城と呼び恐れおののいていました。都の朝廷もこれを憂い名のある武将を遣わして討伐しようとしましたが、すばしこく変幻自在の温羅を誰も討伐できず都に逃げ帰る有り様でありました。そこで武勇の誉れ高い五十狭芹彦命が派遣されることになりました。大軍を率いて吉備国に下って来られた命は吉備の中山に陣を敷き、片岡山に石盾を築き戦いの準備をしました。
ついに命は温羅と戦うことになりましたが、不思議なことに命が射た矢と温羅が投げた石が悉く空中で衝突し海に落ちてしまい苦戦を強いられることとなります。そこで命は考えをめぐらし一度に二矢を射ることができる強弓を準備させ、一度に二つの矢を射ることにしました。すると、一つの矢はいつものように海に落ちてしまいますが、もう一つの矢はみごとに温羅の左目に突き刺さりました。温羅は驚愕し雉に姿を変え山中に逃げますが、命はたちまち鷹となって追いかけます。
温羅は命に捕まりそうになると、今度は鯉に姿を変え、自分の左目から迸った血で川となった血吸川に逃げ込みます。命は鵜に変化し血吸川を逃げる温羅を見つけ噛み上げついに捕まえることに成功します。捕まった温羅は命に降参して、人民から呼ばれていた吉備冠者を命に献上したので、これ以降命は吉備津彦命と呼ばれることとなりました。』
当社より北西の方角に鬼の城と呼ばれる朝鮮式の山城の石積が存在し現在も調査発掘がされています。また命が射た矢と温羅が投げた岩が空中で衝突し落ちた処には矢喰宮があり、その脇には血吸川が流れ血吸川を鯉となって逃げる温羅を噛み上げたところには鯉喰神社が現存します。他にも楯突遺跡、阿曽の郷、鬼の岩屋などこの鬼退治の神話に所縁ある遺跡や神社が数多くあり訪れる人たちのロマンと冒険心を掻き立てております。
鯉喰神社 鬼の城
≪鳴釜の神事≫
この神事は吉備津彦に祈願した事が叶えられるかどうか釜の唸る音で占う神事で志が叶うほど高くなる。室町時代には都の人々にも聞こえるほど有名だったとか。
この神事の起源は御祭神の温羅退治のお話に由来します。命は捕らえた温羅の首をはねて曝しましたが、不思議なことに温羅は大声をあげ唸り響いて止むこと がありませんでした。
そこで困った命は家来に命じて犬に喰わせて髑髏にしても唸り声は止まず、ついには当社のお釜殿の釜の下に埋めてしまいましたが、それ でも唸り声は止むことなく近郊の村々に鳴り響きました。命は困り果てていた時、夢枕に温羅の霊が現れて『吾が妻、阿曽郷の祝の娘阿曽媛をしてミコトの釜殿の御饌を炊がめよ。もし世の中に事あれば竃の前に参り給はば幸有れば裕に鳴り禍有れば荒らかに 鳴ろう。ミコトは世を捨てて後は霊神と現れ給え。われは一の使者となって四民に賞罰を加えん』とお告げになりました。命はそのお告げの通りにすると、唸り声も治まり平和が訪れました。これが鳴釜神事の起源であり現在も随時ご奉仕しております。
お釜殿にてこの神事に仕えているお婆さんを阿曽女(あぞめ)といい、温羅が寵愛した女性と云われています。鬼の城の麓に阿曽の郷があり代々この阿曽の郷の娘がご奉仕しております。またこの阿曽の郷は昔より鋳物の盛んな村でありお釜殿に据えてある大きな釜が壊れたり古くなると交換しますがそれに奉仕するのはこの阿曽の郷の鋳物師の役目であり特権でもありました。この神事は神官と阿曽女と二人にて奉仕しています。
阿曽女が釜に水をはり湯を沸かし釜の上にはセイロがのせてあり常にそのセイロからは湯気があがって います。神事の奉仕になると祈願した神札を竈の前に祀り阿曽女は神官と竈を挟んで向かい合って座り神官が祝詞を奏上するころセイロの中で器にいれた玄米を振ります。そうすると鬼の唸るような音が鳴り響き祝詞奏上し終わるころには音が止みます。この釜からでる音の大小長短により吉凶禍福を判断しますがそのお答えについては奉仕した神官も阿曽女も何も言いません。ご自分の心でその音を感じ判断していただきます。・・・との事です。
鳴釜の神事
こうして見ると伝説と空想が入交り太古のロマンを感じます。
これが世に言う桃太郎伝説なのですね?岡山名産の吉備団子を持った桃太郎が犬、猿、キジを引き連れて“目は狼のように爛々と 輝き、髪は赤々と燃えるが如く、そして身長は一丈四尺(3.15M)にもおよび腕力は人並みはずれて強く、性格は荒々しく凶悪そのもの”の鬼を退治したのですね?
桃太郎の鬼退治
子供の頃は“ご利益が有るから”と親に連れられて何も知らずにお参りをしていましたが、こうして改めていわれを知るとモデルになった人物は相当位の高い立派な方だったのですね?日本中の子供たちを魅了する“日本一の桃太郎”なのですね?
時計を見るとPM5時近くぼつぼつ帰ろうと・・しかしこの時間、電車は1時間に2本、路線バスに乗って“おばあさんが川で洗濯をしているとモモの流れて来た”と伝えられる笹が瀬川を見ながらゆっくり帰りたかったが、次の約束もあったため結局タクシーで帰ることにした。
今日も天気が良く、僕の知らなかった新しい桃太郎にも会えたし心が洗われたような清々しい気がした。
この伝説、東京へ帰ったらにわか“かたりべ”となって親戚の子供にも話してやろうと思いながら・・
水江 一正