東日本大震災・・・一日だけの避難生活
AG様、ブログ拝見いたしました。
あの3・11からはや1ケ月が経ちました。
まさかとは思いましたが、あの日に東北方面に行かれていたとは・・・
奇遇だとは思いますが私も同様の体験を致しましたのでメールを送らせて頂きました。
私の場合は仕事ではなく友人のところに遊びに行くために東北方面に向かっていました。
旅行の醍醐味である、駅弁とビール、おつまみなどを買い込み、気軽な一人旅でしたので早速車窓から外の景色をつまみにし、弁当とビールに舌鼓を打ちながら食しました。
食後のコーヒーを車内販売のお姉さんから購入し、飲もうと思っていたまさにその瞬間に、新幹線が異常な動きを・・・ジェットコースターのように激しい横揺れが・・・そして前の席の人達が宙に浮きました。
隣の席の人たちは買ったばかりのビールが飛んで消えました。
永い・・・(一瞬だったかもしれませんが、本当に長く感じられました)揺れの後に停電・・・一体何が起こったのかわかりませんでした。
私はひたすら買ったばかりのコーヒーの行方を捜していました。
すると車内から地震だ~!!という叫び声、まわりが騒然としだしました。
何度となく続く余震、鉄橋の上に新幹線が乗っている状態なので、その揺れはまるで高層ビルの上で感じるようなものでした。
そのたびに皆の悲鳴、そんな中で冷静に乗務員さんがこぼれたものの後片付けをして回っていました。
車内放送で・・・新幹線は地震でも大丈夫ですから、落ち着いて下さい・・・と。
と、言われても・・・怖いとにかく怖い・・・
昼間だから外は明るいので停電でも何となく過ごせる・・・
でも、情報が何も無い、車内放送も1時間に1度くらい、それも「復旧の見込みはまだたっていません」だけ・・・
誰かが携帯で家族から情報を入手したらしく、宮城県で地震発生、かなりひどいらしい・・・と
私も自分の携帯にワンセグがついていたことを思い出し恐る恐るTVをつけてみた。
すると、青森県八戸が津波で流されている光景が・・・隣に座っている女性(彼女も青森の実家に帰るため
一人旅)とあまりの光景に声も出ませんでした。
私達の置かれている状況がこれでよく分かりました。
ジタバタしてもしょうがない、徐々に日が暮れていく・・・車内は暗闇、かすかな月明かりが頼りなだけである。
節電のため、非常灯もトイレの電気も消してある、水も流れない。段々と冷気が車内に立ち込める。
私の後ろに座っているおばあちゃんが一言「寒い・・・」、お年は86歳だとか広島からだそうで東京のお孫さんの所を経由して東北の親戚の所に遊びに行く途中との事だそうである。
私は思わず「これ使ってください」と持っていたカイロをあげた・・・寒がりの私にはカイロは必需品だからいつでも持っている。
そのおばあちゃんの家族からしょっちゅう携帯に電話がかかってくる、でも取り方が分からないので・・・
じゃ~なんで持っているのかな?GPS機能でもついているのかな??・・・
隣に座っている中年の男性が親切に教えてくれている。
その電話におばあちゃんは(声が異常にデカイので皆に聞こえる)「今、電車が止まっている、何にも説明が無いのでどうなっているのかチーットモ分からん!」・・・そんなこと無いよ1時間に1回くらいは放送が有るよって云ってあげたかったけど・・・私も疲れているので聞き流すことにした。
隣の中年の男性もおばあちゃんの相手に疲れたのか、寝たふりをしている。
夜は無常に深々と更けていく・・・今世の中はどうなっているのだろうか?
携帯のバッテリーが・・・柱が1本に・・・。 ・・・続く