シンプルな高野山駅
高野山と熊野三山めぐり
今年の年末年始は高野山と熊野三山めぐり即ち和歌山県を回って見よう。
と言う事で天空の聖地高野山へ向けて朝7:30の新幹線で新大阪経由高野山へその日の昼過ぎに到着、
12月29日標高900m時おり小雪舞う底冷えする日でした。
SNS等でしっかりと高野山の情報を取って来ているのだろう山頂へ向かうケーブルカーにはヨーロッパ系の老夫婦が多い、中には若い美人のお嬢さん達アベックもいて大きな声で会話している。
南海高野山駅と極楽駅をつなぐケーブルカー
英語でもフランス語でもない?(何となく・・・?)何処の国の人達だろう?長期滞在するつもりか特大のスーツケースを持って乗車してくる。
彼らは上手に旅行をしている。コンビニでパン、おにぎりやカップ麺を買い求めベンチで楽しそうに会話しているのが印象的だ(この寒さの中タフである)。
我々とすれば日本文化の一部でも感じ取ってもらえば良いと思うし日本を好きになって帰って欲しい。
この地には多くの宿坊が有る。朝の護摩祈祷、話法、落ち着いた畳の部屋にこたつ、そして立派な襖絵と日本庭園初めて見る外国人にはたまらない魅力だろう。
そして質素だが良質な温泉も出る。我々も案内書に添って壇上伽藍、金剛峰寺そして奥の院を回る事にした。
途中に立ち寄った”大門”
樹齢800年以上の杉の大木の間をバスとタクシーを使い先ず壇上伽藍へ、
壇上伽藍
案内書によると弘法大師が2年の入唐留学を終え唐の明州の浜より帰国の途につかれようとしたとき“伽藍建立の地を示し給えと持って居た三鈷(さんこ)を投げられた.
飛行三鈷杵(伝・弘法大師所持)
根本大塔前の三鈷の松
その三鈷(さんこ)は空中を飛行して現在の壇上伽藍の建つ壇上に落ちた”との事らしい。朱塗りの根本大堂に並び壇上伽藍が有る。
”根本大塔”
今から1200年前、弘法大師が嵯峨天皇から賜り高野山を開創された折り高野山の中心と見て真っ先に整備に着手した場所との事。
総本山金剛峯寺の境内は「一山境内地」と言われるらしくこの“金堂”がこの山の総本堂だそうだ重要行事はこの金堂で執り行われる
この”金堂”の中にお宝が・・・
との事。そこから5分程のところに金剛峰寺が有り門前で一礼をして階段を昇ると立派な正門が有る。
金剛峯寺参道入り口
この正門、昔は天皇、皇室、高僧しか利用できなかったとか、門の出入りもかなり厳しいルールが有ったのですね?そこをくぐると大玄関と小玄関が有る。観光客はその隣の出入り口から入室して拝観する。良く磨かれたずしりと感じる廊下に添って前に進むと各部屋の襖絵の凄い事、狩野探幽、狩野元信等など小学校の教科書で教わった絵が手を伸ばせば届くほどのところに有る。
1200年前のこの地はどんな山奥だったのだろう?そして全く何もないこの地で修行僧たちは相当過酷な修行を積んだのであろう平安時代のはじめ開かれて日本仏教の生地となっている。事業が大きすぎて想像つかないが紀伊山地霊場として世界遺産登録されるだけの事は有る。
そして最後に奥之院へ山門をくぐり参道に入ると両側に樹齢700年を超す杉の大木が立ち並ぶ。
心が引き締まる・・
この時期、参拝客が少なかったせいも有り会話も無く周りは静寂だ。杉の大木の間から木漏れ日がさしそしてお線香の香りが漂うその中を歩くと荘厳な緊張感と何かに包み込まれる様な気がする。
ガイドマップ片手によく見ると墓石だけでなく慰霊碑や供養塔が数多く見かけられる。
かっての武将達の名前も・・
親鸞聖人、法然上人の他、織田信長、豊臣秀吉、武田信玄、上杉謙信、石田光成、伊達政宗等などの戦国武将の供養塔等20万基のあらゆる階層の墓石と一緒に並び建っている。皇室から一般庶民まで宗派を問わない高野山の寛容さなのだろう。
弘法大師の足元に眠れば極楽往生出来るそうな。
そして弘法大師御廟が祀られている本堂へ御廟橋を渡る前に丁寧にお辞儀をしていよいよ聖域、
御廟橋と本堂
本堂の中では読経が響き護摩の炎が一気に薄暗い本堂を明るくしていた。
“へ~この方が仏教界のスーパースターの弘法大師様か!?”この雰囲気、何とも言えない気持ちになる。手を合わせて数分間色々お願い事をした。すると今僕がやろうと考えて居る事が何でもかなえてもらえそうな気がする。・・しかし、ろくな善行もしていないくせに虫のいい事を頼むな!(どこかから喝!の声が聞こえそうである)と諌められて気もした。
参拝を終えて外に出るとやや薄暗くなっていた。時間はもう午後5時過ぎ、今夜宿泊の竜神温泉へ行くにはもう一山を越えなければならない。冬場バスは出て居ないらしくタクシーで行く事にした。
雪が強くなり道はアイスバーンになっている。対向車は走って居ない当然道路に添った照明も無い。辺りは真っ暗だ。こんなところでトラブルでも有ったらと考えるとうかつにうたた寝も出来ない。1時間半ほどしたら竜神村の灯りが目始めホッとした。
ホテルについたがポーターが出て来ない?フロントには男性の社員がゴロゴロ居るのに失礼なホテルだ、しかしここの湯は有名らしい。
竜神温泉のホテル
群馬の川中温泉、鳥取の湯の川温泉と並ぶ“日本三大美人の湯”だそうだ。湯質はナトリューム炭酸水塩泉(重曹泉)?肌がつるつるしっとりするとのうわさだ。 日本三大美人の湯・・効能バツグン!?
神経痛、筋肉痛、糖尿病に効くとの事。確かに透明な湯で浸かると何となく身体全体に湯泉がじわじわ染み込んでくるような気がする。
湯船で肌をさするとヌルッとした感じが有る。気に入っていつもの様に露天風呂で出たり浸かったり時間をたっぷり使いゆっくりとした。気のせいか確かに身体が軽くなった気がする。そして美人に?なったところで食事に行く事にした。
結構今日は忙しかったが充実した良い一日だった!
弘法も筆の誤り
弘法とは嵯峨天皇、橘逸勢と共に平安時代の三筆の一人に数えられる弘法大師(空海)のこと。 その弘法が天皇の命を受けて応天門の額を書いたが、「応」の字の「心」の一番上の点をひとつ書き落とした。 そこから、弘法のような書の名人でさえ書き損じることもあるものだと、失敗した際の慰めとして、この句は使われるようになったそうな
水江 一正