世界遺産・熊野三山めぐり
「伊勢に7度熊野に3度どちら欠けても片参り」と言われている。
僕は伊勢には3回参拝しているが熊野は初めてだ。
先ず熊野本宮大社から参拝する事にした。日本全国に有る熊野神社の総本山だ。
熊野本宮大社
サッカーの試合などで良く見かける日本サッカー協会(JFA)のシンボル八咫烏(ヤタガラス)ののぼりを左に見て大きな鳥居をくぐる。 ”八咫烏”ここが発祥の地?
整理された杉の大木の間の急な階段を息を切らしながら登る。朝早かったせいか辺りは静かで凛とした空気の中少々肌寒かったが登っている内に体が火照ってくる。
総門手前に手水場が有る。左手、右手、口すすぎ最後に柄洗いをして心を清め本宮へ・・
最近はこの作法を知っている外国人も・・
ここの本宮へ神が祀られたのはおよそ2千年前との事。総門をくぐると威厳に満ちた姿を見せるのは二殿四社の社殿は重厚なヒノキ葺きである。
主蔡神は“スサノウノミコトとの事、左ふすみの大神(イザナミのミコト)、速玉大神、(イザナギのミコト)中央、けつみみこの大神(スサノオノミコト)、左アマテラス大神が祀られているとの事。
この地に神の降臨が有ったとされている。とてつもない大変な神社なのだ。しかし社殿にしてはあまり大きくない。聞くと明治22年のこの地方の大洪水のお陰でここに移築されて当時の8分の1の広さになったそうな。
熊野本宮大社旧社
それぞれの神様に参拝できるように4か所に賽銭箱が有る。参拝の順番が示されていた。それぞれに御賽銭を入れて2礼2拍手1礼、・・(実は主祭神について後で案内書を見て知った。小銭を持ち合わせて無かったせいも有り“なんで賽銭箱が4つも有るんだ?”等と日本の国を興した神様の前で思ってしまった。反省をしている。事前にもっと知識を備えておくべきだった。小銭が無ければお札を入れるべき神社だった。
4ケ所の参拝は大変だ~(-“-)
今日は12月31日だったせいも有り参拝客は少ない。僕は今、来年のお願いをしている事になる。後ろで鬼が笑ってこの参拝は相手にされていないかも知れない?等と思いながら・・取りあえず無事参拝を終えた。
今でこそ道路は舗装されてマイカーや観光バスに乗って簡単に参拝できるが千年以上昔の道路事情はどうだったのだろう?この地、熊野は伊勢に比べ参拝するには都より離れており気の遠くなるような旅の末たどり着いたとの事。男女貴賤を問わず来るもの全て救うと言う寛大さが熊野の神々の魅力だったらしい。
一次途絶えたが江戸時代に徳川頼宣が熊野三山の復興に力を入れ“蟻の熊野詣”と言われるほど最盛期を迎えたとある。
ここの八咫烏は神武天皇東征の時に熊野から大和に入る険路の先導となったと言う。そしてその足で神が降臨されたと言う今の8倍の広さだったとされる元の社殿跡と日本一の「大斎原(おおゆのはら)」大鳥居を見て速玉神社へ向かう事にした。
”大斎原(おおゆのはら)”の日本一の大鳥居
案内書によれば熊野本宮大社に詣でた人々は熊野川を下り熊野速玉大社参拝後に熊野那智大社へと向かうとある。我々はレンタカーで移動した為、速玉神社へは30分程で着いた。
パワースポットの一つ速玉神社は鮮やかな朱色の社殿だ。
熊野速玉神社
今日は天気も良く朱色の社殿と良く澄んだ空の青とのコントラストが絶妙だ。
朱色が澄み切った空に映える!
仕事を離れてくつろいでいる・・って感じだ。入口には平重森のお手植えとされる国の天然記念物にもなっている樹齢千年以上の「ナギ」大木が有る。
そのナギの葉と熊野牛王を頂く事が難行熊野詣でを無事果たした大きな支えだったそうな。
侍JAPANの八咫烏(ヤタガラス)のお守り買い求めフト周りを見回すと案内書に有るあの大きな“コトブキ岩”が見当たらない。
熊野本宮の”八咫烏”
入り口でミカンを売っているオバサンに“コトブキ岩”は何処?アー神倉神社ね?
神倉神社・・行ってはいないがかなりキツソ~
そこはここから2㎞ほど先の山の上ですよ。山の上?石段が有る?ソー538段の石段が有るわ。観光客は皆行く?石段きついから1割か2割かしら?ソージャ我々も次回に?等とバチ当たりな判断をして那智大社に向かう事にした。
案内書によると熊野那智大社は那智の滝を神とする自然崇拝から起こった社で神武天皇が那智の海岸「にしきうら」に上陸された時に那智の山に光が輝くのを見てこの那智の滝を探り当てられた。
荘厳な”那智の滝”
那智の滝は「一の滝」でその上流に一の滝と併せて四八の滝が有り熊野の修験の修行道になっているとの事。この地もやはり世界遺産に登録されている。
熊野那智大社
広大な地域と聞き及んでいた為レンタカーで出来るだけ上に登る事にした。終着と思われる大きな駐車場も通り越し狭い急な上り坂を昇り切ったところに那智大社の駐車場が有った。
素晴らしい!
那智大社
朱色の3重の塔、那智の滝がバランスよく見える。絶好のカメラアングルだ。
ここ熊野那智大社はイザナミノミコト言われる夫須美神は万物の成長育成を司るとされ農林水産、漁業の守護神として崇められているとの事。
社殿は仁徳天皇の御世(317年)に現在の位置に創建され平重盛が造営奉行となって装いを改めた。その後、織田信長の焼打ちに会い豊臣秀吉に再興され徳川吉宗の尽力で享保の大改修されたとある。
拝殿の近くに平重盛が手植えしたと言われる樹齢850年と推定される楠の大木が有り幹には人が中に入れるほどの洞が出来ている。
樹齢850年!
この壮大な地域もその時代の政策により信じがたい盛衰が有った様だ。ここの那智大社には那智山青岸渡寺が隣接している。
那智山青岸渡寺
明治時代に廃止された後も熊野三山中神仏習合時代の名残を残しているとの事。そう言えば僕も色々神社仏閣を参拝する事が有るが”神社とお寺が隣接している”のは初めて見る。
今日一日を振り返り残念だったのは時間が無いからと入口の大門坂を素通りしてしまった。夫婦杉の間を通り抜け苔むした石畳の熊野古道を歩いて467段の階段を上り汗をかき茶店で団子を頂きながら・・
タップリと時間を取って那智大社に御参りをしなければ本物は味わえなかった。今度はゆっくり時間を取ってもう一度参拝をし直さなければならないと感じた。
昔から熊野三山は「黄泉還(よみがえり)」の地と言われ神々が隠れる深中霊地の地、熊野に入ると心を蘇らせる事が出来、新たな気持ちになる。又、熊野は「人生出発(たびたち)の地」と言われて神が住む場所とされていた。
「熊野本宮大社、速玉大社、那智大社」を参拝すると幸せになれると信じられていた・・そうな。
やはりこの神々が隠れる霊地、熊野三山を駆け足1日で参拝をするのは少し無理が有った様だ。そこで思い出す。「伊勢に7度熊野に3度どちら欠けても片参り」・・も一度ゆっくり時間を取って出直そう。これでは御利益も半分だろうな?
”日本での観光の始まりは巡礼の旅でありその起源は熊野詣であると云われている”
追記:ちょっと気になる話!
速玉神社入り口の樹齢千年のなぎの木と那智大社の樹齢850年の楠の木は共に平重盛に手植えをされたとある。すると平重盛は2百歳以上の長寿だったのだろうね?きっと桃太郎が桃から生まれたってことか?
いずれにしても一度は来て見たかった熊野・・何となく納得した様な出来なかった様な参拝だった。今年1年ご褒美貰えるように頑張ろう!
☆☆☆ミシュランガイドの三ツ星“わざわざ旅行する価値”がこの熊野には有る・・そうな 水江 一正