”電力の鬼”松永安左エ門

8月14日はもう帰宅予定日だ。

船の便数が少なく否応なしにAM11:30発のジェットホィールで帰らねばならない。

 

 

宿の主人に1時間少々で観るところを聞いた。4分~5分のところに“松永安左ェ門記念館”が有るとの事。面白いから行って見たらどうですか?恥ずかしながら松永安左ェ門?聞いたことが有るような無いような。4分~5分のところに有ったまわりよりやや大きめの普通の住宅の為通り過した。来館者も少なく館長らしきオジサンが色々説明をしてくれた。

         松永翁の遺品の数々

この人物の事が好きで仕方がない様子。来館者が少なかったせいも有りつきっきりで・・この壱岐の島の出身者らしく後に日本の電力業界を動かす“電力の鬼”と言われた人物らしい。国家管理されていた電力をGHQを味方にして分割民営化したり“産業計画会議”を主宰して今の日本の基礎を造った1人らしい。

  ”電力の鬼”松永安左エ門

 

当時民間主導の電力会社を起こし後に日本を動かす“電力の鬼”と呼ばれる人だった様だ。その後電気事業は国家管理に置かれる政策が取られ東邦電力の解散を機に現所沢で茶道三昧に明け暮れた。その後、池田勇人、木川田一隆らと一緒になって日本発送電公社が分割民営化を実現させた。昭和26年には“産業計画会議”を主宰し東名高速道路、名神高速道路の計画をした。・・とある。昭和26年と言えば日本に自動車が41万台道路は穴だらけ、ほこりだらけの人力車や牛や馬が荷物を運んでいた時代に現在8.000万台の自動車が行きかうイメージを持って居た人だ。

        当時九州の路面電車

その先見性と行動力は卓越している。それだけに敵も多かった様だ。福澤諭吉の親戚から500円借りて「福松商会」を立ち上げ商品ブローカーや石炭で大儲けするがその為にインチキしたり談合破りをして拘置所にぶち込まれたり、日露戦争後株に手を出して大儲けするがその後大暴落して破産するが2年足らずで財界に復帰して九州北部の電気事業を掌握する等など聞けば聞くほど破天荒な人生を歩んだ人らしい。時にヤクザの女房を囲い命がけで守った等などの話を聞いた。ピンチを潜り抜けるたびにヒントを掴む明るい性格で肝が据わり美男子の為女性関係も派手で作家“梶山季之”が小説にしたらもっとも面白い財界人物と言わしめたとの事。それやこれや大きな人生の浮き沈みが有り最後の総決算としてなんと終戦後74歳で国を建て直すとの強い思いで当時の総理大臣吉田茂と対立しながらもGHQを取り込んで民間主導の電力会社の分割民営化を成し遂げたそうな。

  松永の話を聞く”経営の神様”松下幸之助

 

その他政財学官トップで構成する「産業計画会議」を主催、専売公社の廃止、国鉄民営化、高速道路の整備など今の日本の基礎を築いた人らしい。「電力の鬼」と呼ばれた凄まじい人生を送った人だ。日本人の74歳と言えば退職後の人生を考え年金はナンボ入る?何処かにアルバイト先ある?等と考える人が大半の様な気がするが。彼には資金提供者も取り巻くブレーンもしっかりした人が居たんでしょうね?そんな大物がこの小さな壱岐の島の漁村から出生したらしい。・・この島の人達の誇りは判る気がする。

 

                                   水江一正