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長野県岡谷南高校漕艇部の守屋先生より

長野県岡谷南高校漕艇部の守屋先生より

長野県岡谷南高校漕艇部の守屋先生よりコメントを頂きました!!オートギャラクシー水江様お世話になります。岡谷南高校の守屋です。この度はコースターを購入させていただきありがとうございました。さっそく福井国... Read More

最新ブログ

☆シャチョウサン暫く!!

☆シャチョウサン暫く!!

Mrナンダナさん来日!!数年ぶりに再会!Mrナンダナ・・新宿にて☆シャチョウサン暫く!9月29日(月)朝一番ミーティング中に聞き覚えのある外国ナマリノ日本語で電話が有った。オー、MRナンダナ!(スリラ... Read More

生まれました!メ・ダ・カ♪♪

めだか2
生まれました!
以前ご紹介しましたメ・ダ・カに待望の赤ちゃんが出来ました!
現在、親めだかに食べられ無い様に(信じられないけど食べちゃうんですね・・・)
小さな入れ物に入れてあります。
見えますか~?
体長5mmぐらいで目玉が黒いです。メチャクチャ俊敏でなかなか上手く撮れません・・・
すみません
めだか赤ちゃん1_640 めだか赤ちゃん3_640
もう少し成長したら親メダカと一緒にしたいと思います。
めだかの学校
「めだかの学校」の歌碑
荻窪用水の小川がモデルだそうです

頑張って育てるぞー!

 

小田嶋

“うらら”の公園デビュー♪

“うらら”の公園デビュー
山田家のペットのうららが、2回のワクチン注射を無事終え、ついに公園デビューを果たしました。

西東京市の西東京いこいの森公園に着き、生まれて初めてケージの外へ。始めは緊張していたみたいでしたが、そのうち慣れてきた様子で、妻と一緒に公園内をはしゃいで散歩していました。
公園デビュー 002 公園デビュー 003
無事公園デビューから帰宅したときには、「ちゅかれたニャー」と一言、疲れ果てリクライニングチェアーで晩御飯まで横になっていました。
公園デビュー
ちゅかれたニャー
山田 隆康

名古屋に大型バスを買いに行きました

名古屋2 163大型送迎バス90人乗りを
名古屋に買いに行きました!

平成24年2月27日、大型送迎用バスの買取りの話が来た。
“平成15年式の三菱フソウ90人乗り大型送迎用バスですがいくらで買ってくれますか?”
東京、大阪等規制地域でも使用できるNOX-PMの排ガス対策車両だ。
新車を調べたら当時1700万円近くしていた現在の中古車価格の情報を色々集めてみたが同型の中古車が少なく流通相場が判らない。

大型車を中心に扱っている同業者にも聞いてみたが正確な価格提示がない。マイクロバスであれば弊社かなりのユーザーファイルもあるし輸出のマーケットも持って居る。
見込みでストックも考えられるが大型バスのユーザーは無い。売り手希望の某大学のお客様と買取りについて価格提案したがスムーズではなかった。今回のこの大型バスお客は居ないし特別欲しい車両ではなく買取りは困難ではないか?と判断をしていた為この話は進まないまま2週間ほど経過した。
大型バス2_640 大型バス_640
90人乗り大型バス
その後タイミング良く、本当にタイミングよく60人乗りのバスを探している名古屋のお客様から電話で問い合わせが有った。
名古屋、大阪で使用したい。排ガスクリアーした高年次式の送迎用バスは無い?
4月の新規事業に向けて至急探しているんですが?このお客様当然付き合いの有るデーラー、中古車業者に相談をしたがピッタリ希望のバスは中々見つからない。時間が無くて困っているとの事、早速ご利用方法、条件、予算等をお尋ねする。
この名古屋の某企業の役員さん非常に紳士的な方で現在他にも大型バス、マイクロバス等数台使っているとの話。これまであちこちの業者にも声をかけて探してもらっているがなかなか見つからないんだよ。

即ちこのクラスのバスの相場もある程度知っている。椅子の正座席は何席以上、オプションは最低○○と○○が必要です。
その内容のバスは他の業者から○○年式が○○○万円で提案があったがそれでは予算に合わない。当社の予算は○○○万円くらいまでは組んである等、有りのままの状況をお話頂いた。

“これなら買取りユーザーとの値段交渉がしやすい”・・しかし対象車両の売りたい某大学の責任者も当然今まで付き合いの有る出入り業者が買取り条件を出している。
その価格を下回って提示すればこの話は瞬間にパー!その学校も当然高ければ高いほど良いに決まっている。
しかしいくら提示してよいか判らないしなかなか情報が取れない。
名古屋のお客様の購入希望の予算に合せかなり電話でねばった。時々世間話をしながら・・その大学の新車の購入経路、メンテナンス工場等の環境も聞いた。

少しづつ担当者の話が見えてきた。そこで再び名古屋の紳士の会社“K”株式会社へ売り価格の提案をした。
いつもの通り電話と写真で・・両社とも弊社を知らない僕も両社の責任者とは一度も面接もしていない電話とNETのみの対応である。

しかし電話で頻繁にやり取りをしている内にお互い相手の誠意、動きは判るものである。何日か両社とやり取りをして両社の折衷価格で折り合うことが出来た。即ち成約である。
両社の責任者の方ともに弊社を信頼して頂いており書類の流れ、送金等について話し合いはかなりのスピードで進んだ。
このビジネススタイルは海外のインポーターへ輸出する方法と同じである事を感じた。
中古車輸出 中古輸出
中古車輸出車ストックヤード
海外のお客様は日本のデーラーから中古車を輸入する場合は現物の車両を見ないで先に現金を振り込んでくる。・・即ち日本側のデーラーを全面的に信頼しているのである。
ケニヤ7_640 bazaar_640.jpg
ケニアのバイヤー達
しかしこの商談“K”株式会社の役員との電話商談で寸分でも疑惑の会話が入っていたら多分この商談はまとまらなかったと思う。何故なら弊社がこの大型送迎用バスをストックするリスクが有ったからである。
いつもなら買取りで訪問する事は少ないのですが、このクラスのバスは良くチェックしておかなければ後で痛い目にあう。
まずバスの所有者の某大学を訪問、そのバスを見せて頂いた。

走行距離は6万KM走、全く傷は無いエンジンの音も快調・・これなら大丈夫!その足で名古屋の紳士の会社“K 株式会社”を訪問し詳しく内容を説明して正式に成約することが出来た。
僕はこの業界40年以上の経験があるが今回のような良いタイミングで売り手、買い手双方ともに良心的なお客様と知り合えた上、この様なコンデションの良い車両に巡り合えたことは今まで一度も経験をしたことはなかったし今後もないだろう。
今回のビジネスは結婚相談所のやり手のオバサンが仲人をしたような仕事だった。
双方に喜んで頂けた久し振りに清々しい仕事が出来た。
名古屋2 144 名古屋2 149
名古屋城
名古屋 346_640名古屋 348_640名古屋 349_640
名古屋の観光名所「徳川園」
名古屋2 164 名古屋 352_640
名古屋城の金のシャチ鉾   徳川園の金のシャチ鉾
さて、買取り先の某大学とK 株式会社約束日時を決めた相手希望日が偶然3月9日(金)翌日は土曜日この時期、月が替わったばかりでそんなに忙しくない。サテ、と・・・つづく
水江 一正

我が家に天使がやってきた♪

我が家に新しい家族がやって来た!
3月10日にペットショップのコジマから我が家に新しい家族がやって来ました。
アメリカン・ショートヘアーの2か月のとってもやんちゃな女の子です。
URARA 006 URARA 004
名前はうららです。
URARA 003
春に因んでうららにしました。
名前のようにずうっと穏やかにいてほしいものです。

ウララ~♪
山田 隆康

め・だ・か♪♪

め・だ・か メダカ
我が家に新しい仲間が増えました。
青いめだか1匹透明なめだか2匹のめだか3匹です!
めだか上_640
某、道の駅にふらっと寄った際、衝動的に買ってしまいました。
めだか購入_640
大きな入れ物に入替えて今日から観賞です!  かわいい~
めだか横_640
めだかの寿命は1年から2年ぐらいと言われているようですが
頑張って長生きをしてもらおうかと思います。
春から夏にかけては産卵もするらしいので楽しみです。
成長してきましたらまた紹介いたします!
小田嶋

東日本大震災、世界中からの支援・真心が届きました。

東日本大震災に対する国際社会からの支援と励まし
東日本大震災発生後から現在に至るまで,世界163の国・地域及び43の国際機関から日本に対する支援の申し入れがありました(2011年7月20日現在)。これまで米国の支援(Vol.72),各国支援チームの活躍(Vol.73),中国及び韓国の協力(Vol.74)などをお伝えしてきましたが,今回は,国際機関,後発開発途上国,子どもたち,姉妹都市,スポーツ界など,世界各国から届いたさまざまな日本支援のエピソードの一部を紹介します。

多彩かつ効果的な国連機関の支援活動
東日本大震災後に,各国の緊急援助チームとともに多くの国連機関が様々な支援のために日本を訪れましたが,被災者の生活に密着した支援を行ったのが国連世界食糧計画(WFP)と国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)でした。WFPは,支援物資の国内輸送やNGOの能力強化を行うとともに,食糧備蓄用の可動式倉庫とプレハブを各被災地に設置。倉庫は救援物資の一時保管場所,ボランティア受付センター,地元商店による朝市などに,そしてオフィス設備が整ったプレハブは,ボランティアセンター,NGOの事務所診療所などに活用され,地元の人々より大変役立っているとの感謝の声が多く寄せられました。また,UNHCRは, WFPの輸送協力も得て小型のソーラー・ランタンを宮城県石巻市に提供し,電気などのインフラが復旧していなかった被災地の夜に心温まる明かりを灯しました。
海外支援
2004年スマトラ沖地震の恩返しを!(スリランカ,インドネシア,モルディブ)
地震国・日本は,これまで他の被災国に対する防災や復興支援に大きな力を注いできました。たとえば2004年のスマトラ沖地震の際,日本は3万人以上の犠牲者を出したスリランカや約17万人が犠牲となったインドネシアにいち早く医療団を派遣しました。東日本大震災後,スリランカのカランナーゴダ駐日大使は「スリランカの人々はそのことをとても感謝していて,忘れていません」と語り,福島県田村市の避難所を訪問。自ら炊き出しに加わり,被災者に温かいカレー料理をふるまいました。

スマトラ沖地震などで親を失ったインドネシアの首都ジャカルタ近郊の養護施設の子どもたちからは,「僕たちも同じように被災した仲間だから,悲しまないでがんばって」といった励ましの寄せ書きが在インドネシア大使館に届きました。また,同じスマトラ沖地震の際,日本の援助で建設された防波堤によって壊滅的な津波被害を逃れることができたインド洋に浮かぶ小さな島国モルディブでは,震災直後より日本を支援する多くの国民の声が政府に届けられました。そこで大統領は義援金のほかに特産物のツナ缶を日本に送ることを発表。お金を出すことができない貧しい国民もツナ缶を持ち寄り,合計なんと約69万缶が日本に届けられました。日本に送付する際に,被災者の便を考慮して,缶切りで開けるタイプからプルトップ式に作り変えてくれたことも,モルディブの人々の真心を表しています。
海外支援2
LDCs(後発開発途上国)からの力強いエール
国連が定めるLDCs( Least Developed Countries/後発開発途上国)とは,開発途上国の中でも特に開発が遅れている国々のことで,アフリカ,東南アジアなどの48ヵ国が分類されています。これらの国々は経済基盤が脆弱で,国民の所得水準が極めて低く,一人当たりの国民総所得 (GNI) の3年平均推定値が750米ドル以下とされています。日本はこれまでこうした国々の内戦からの復興や国の安定化,経済発展や開発,人材育成などに積極的に貢献してきました。東日本大震災では,ブータン,スーダン,タンザニア,カンボジア,エチオピア,東ティモールなどLDCs17か国からも次々に義援金が届きました。これらの国々は,深刻な貧困に直面しているにもかかわらず国をあげて日本の復興を支援し,祈ってくれました。

広がる市民による日本復興への祈り
LDCsの国々では,市民の間でも日本を支援しようとする機運が広がっています。コンゴ民主共和国では,NGO団体が,震災犠牲者へ追悼の意を込めたマラソン大会を企画・実施しました。すると元JICA研修生,元国費留学生などを含む約300名にのぼる市民が競技に参加。開会式,閉会式では,震災被害に対する弔意,人々の連帯の重要性及び被災者への激励の言葉が繰り返し述べられました。同じくアフリカのジブチでは,3月23日を震災被災者に捧げる「日本国民との連帯の一日」とし,首都の「東京広場」(日本の援助で整備された主要道路の起点のロータリー付近)でゲレ大統領が主催する式典を開催。この式典には閣僚や政府関係者,宗教関係者,市民など約800人が参加しました。また,アフガニスタンでは,未だ国造りに向けた努力が続いていますが,人々の間では,復興支援活動を続けている日本への尊敬の念は強く,カブール,カンダハール等の各都市で集会や募金が行われ,仏教遺跡で有名なバーミヤンでは支援決議の採択が行われました。
海外支援コンゴ  海外支援ジプチ
海を越えて届く子どもや学生たちのまっすぐな思い
世界各国の子どもや学生たちが学校ぐるみで日本への励ましのメッセージや支援イベントを行っているケースも数多くあります。「我々もかつて同じように恐ろしい災難を経験し,美しかった故郷を失いました。しかし,我々は『皆の意志は城となる』ことを知っています。皆さんも,『あきらめない』という言葉とともに拳を握りしめ,立ち上がれるはずです」。これは2008年の中国・四川省での大地震で被災した四川省都江都江堰中学生及び教員から重慶の日本総領事館に届けられたメッセージです。3月23日には,ベトナム・ハノイ国家大学内の人文社会科学大学が,海外支援ベトナム
「頑張れ,日本!あなたたちはひとりじゃない」というチャリティイベントを開催し,教職員・学生約500名が参加。参加者によって1万羽の折り鶴が作られましたまた,ブルガリアのソフィア市第18総合学校では,日本語を勉強する生徒が,日本大使館前の木や市中心部にある桜の木(日本が寄贈)に折り鶴を飾り付けました。
海外支援ブルガリア
姉妹都市等で広がる温かい支援の輪
長年友好を育んできた海外の姉妹都市からも多くの支援の手が差し伸べられました。宮城県仙台市と姉妹都市提携を結んでいるベラルーシの首都ミンスクでは,震災発生直後から市内にある交流のシンボル「仙台広場」に,多くの市民が訪問。犠牲者を悼み,花束やろうそく,折鶴などが手向けられ,中には日本語で書かれたメッセージも見受けられました。同じく仙台市と姉妹都市であるフランス・レンヌや米国のダラスとリバーサイドでも,被災地支援の輪が広がっています。

福島県白河市と姉妹都市であるフランスのコンピエーニュでは,募金活動のほか,市民メッセージや幼稚園児が作った折り鶴を白河市に送りました。また,フランスのシャモニー(山梨県富士吉田市と姉妹都市),イシーレムリノー(千葉県市川市と行政間交流),ナント(新潟市と姉妹都市),スイスのグリンデルワルド(松本市と姉妹都市)といった被災地以外の姉妹都市でも日本を支援に取り組んでいるケースは少なくありません。さらに豪州の首都キャンベラにあるMerici College School(長崎県佐世保市・清和女子学院高校の姉妹校)の生徒が,3月25日に日本の復興を願って300個の風船を飛ばしました。同校ではこのイベントに先立って1週間の募金活動も実施されました。
海外支援ベラルーシ  海外支援豪州
世界のサッカー界が一丸となって日本を応援
震災後の3月26日,ロンドン五輪出場を目指すU-22日本代表チームは,日本でウズベキスタン代表チームと親善試合を行う予定でした。しかし震災により国内開催が不可能となったため,ウズベキスタンの首都タシケント市内に試合会場を移して開催。試合開始前に両国選手が「GAMBARO JAPAN !」の横断幕を掲げて記念撮影を行ったほか,黙祷が捧げられると,客席から「WITH YOU JAPAN !」のメッセージとともに日の丸が掲げられました。日本人選手も活躍する欧州サッカーの各国トップリーグの試合で,震災直後より犠牲者への黙祷が捧げられたり,選手達は喪章を腕に巻いてプレーしたことが連日報じられました。
海外支援サッカー
たとえば,3月19~20日,スペイン・サッカー連盟が,全5部リーグの試合で,冒頭,被災者に対する1分間の黙祷を行いました。競技場中央に日・スペイン両国の国旗をあしらったシートや日本との連帯を示す横断幕を用意したり,電光掲示板に各選手による被災地への応援メッセージ等を流すなど,各チームが工夫を凝らして日本に対する弔意と連帯を示しました。また,4月7日,ブラジル・クリチバ市では元鹿島アントラーズ選手のアルシンド氏,元日本代表監督のジーコ氏らの呼びかけで親善試合が開催されました。アフリカでも,チュニジアで行われたアフリカクラブ選手権の試合で,黙祷や「頑張れ日本」と漢字で書かれたボードが掲げられました。

「世界は日本と共にある」ことが復興へのパワーに
震災直後より,多くの国の首脳や外務大臣が各国の日本大使館を訪れ,震災犠牲者への弔意を述べ,記帳などを行っています。また,米国やマレーシアをはじめ,議会決議で日本支援の姿勢を打ち出す国もありました。3月18日,エルサルバドルのフネス大統領は,震災後も帰国せず同国内で活動を続けていたJICA青年海外協力隊員41名を招き,隊員と日本国民を激励する式典を開催し,次のように述べました。「日本が常に我々に提供してくれた計り知れない支援について忘れることはできない。

本日,私の政府とすべてのエルサルバドル国民は日本の惨事を自分の国のことのように苦しんでいることを心よりお伝えしたい。また,同胞が苦しみ,家族の状況が懸念される状況下,多くの隊員がボランティア活動の継続を望んでいることは我々に感動を与える。ここにいる隊員の皆さんは家族や友人の不幸に直面していないことを願うが,仮に直接的な被害を受けた人がいても,エルサルバドルの大統領,政府,国民が一緒にいることを知ってほしい」──今回の震災後,世界中の多くの国が日本に向けてこのフネス大統領と同様の心温まるメッセージを届けてくれました。「世界は日本と共にある」。この感動は復興に向けて歩み始めている私たち日本国民の大きな糧となることでしょう。
海外支援エルサルバトル

東日本大震災・・・帰郷

東日本大震災・・・帰郷
やっと夜が明けた・・・
ボランティアの方達のご支援で食事の配給が始まった。
長い列が出来、水と缶詰のカンパンかお湯を入れると10分位で五目のおこわご飯が出来るというパックのどちらかをもらえた。
東日本避難 099_640
缶詰のパンとカンパン
私はご飯が無性に食べたかったのでおこわの方を頂いた。久々に食にありつけたので非常に美味しく感じた。10時頃になると「関東方面の方は何時になるか分かりませんが宇都宮線が回復するそうです」と放送が・・・
うれしい~帰れるのだ・・・仲間と手を取り合って喜んだ、デモ他の友人達は東北方面だからいつになるか・・・そう思うと自分達だけ喜んだのが恥ずかしい思いである・・・チョット思いやりにかけたかなと思いつつ。
12時頃にマイクロバスが到着、友人達と手を握り合って別れた・・・頑張って!!と云いつつ・・・
宇都宮線小金井の駅で数時間待って満員の電車に・・・停電の為かなりの徐行運転、電車の中は蒸し風呂状態、途中一人の女性が気分が悪くなったらしくよろけながら風のあたる私達のところに来た。

私の前に座っている少年がさっきからこの女性のほうをチラチラと見ている、早く変わってあげなさいよ!と私は思うのだが・・・デモ、その女性も途中で下車(地元の人なのかしら・・・)
長い時間かかってヤット大宮近くに来た、すると目の前の少年が急に私に席を譲ってくれた。「もうすぐだからいいよ」って少年に言うと「僕もお尻が痛くなったので」小さな声で・・・
その時思った、キットこの少年はさっき女性に席を譲れなかったことが気になっていたのだろうな、デ私に席を
譲ったことで罪悪感が少し薄れるかもって。

私は少年の好意に甘えることにした。あと2駅だけど・・・
目の前に立っている少年がペットボトルを持っていた、我々が昨日から支給されていたのと同じペットボトルを・・・
「君も塩谷中学校にいたの?」「そうです」な~んだ仲間か・・・急に親しみを覚えた。
同じ痛みを分かち合った仲間である。

「どこで乗り替えるの?」「良く分からないんです」「じゃ~このお姉さん同じ方向だから一緒に途中まで帰れば・・・」
私は大宮駅で二人と別れた。握手を交わして”GOOD LUCK”と・・・
今、ACのCMが毎日のように流れるが・・・心は見えないが心遣いは見える、思いは見えないが・・・
このCMを見るとなぜかこの少年を思い出す。
ACCM.jpg
塩谷中学校で避難生活を味わった、一日だけの人も数日間いなければいけなかった人も、今後の人生が
キット幸せに暮らせますように祈っています。
そして被災された方々の一日も早く癒される日々が戻ってくることを祈っています。
日本は強い国です!キット立ち直れる!!
K・Aより                                             

東日本大震災・・・塩谷中学校にて

東日本大震災・・・栃木県・塩谷中学校にて避難生活    ・・・続き
東北新幹線”はやて”に篭城すること10時間余り、やっと鉄道側からの決断として、復旧の見込みはたたないので近くの小学校か中学校に避難をする事に決定した。・・・決断が遅すぎる・・・

その間、飲まず食わず(私は非常食なるものはいつも持っているので、同席した女性とチョコなどを食べてはいたが)
マイクロバスの手配がやっと数台用意することが出来たとの事で新幹線から梯子を伝って降りた。
車椅子の人や、老人、子供を優先するので梯子を降りるだけでもかなりの時間がかかった。
真っ暗な中を星の明かりだけで皆黙々と歩く・・・誰かが「星がこんなにきれいだなんて・・・」
本当に異常なほど美しかった・・・地震の惨状が信じられないくらい・・・。

凍えそうな寒さの中、皆で励ましあって歩いた・・・ただひたすら歩いた。
やっとマイクロバスに乗って何と暖かかった事か、このまま家につれて帰って・・・と。
マイクロバスで走ること30分、午前2時頃に高台にある塩谷中学校に到着。
アルミの袋に入った毛布を1枚とペットボトルの水を1本づつ渡され、初めての経験なので「これど~したらいいの」と戸惑っていた。
周りの人たちをよく見たら毛布を体に巻きつけ、アルミの袋の中に入り込んで皆思い思いの場所で寝ようとしていました。
ここは塩谷中学校の体育館、広々としていて風通しが非常に良い、暖房など無い。
塩谷中学校
お世話になった塩谷中学校
ここに800人~1000人程避難している。
寝なければ、イヤまずは携帯だ!バッテリーが全然無い、誰とも連絡が取れない・・・皆同じ思いなのかコンセントがある場所はすでに携帯が無数に差し込んである。
私の持っている携帯の機種は少ないらしく、やっとのことで探し充電をさせてもらうことにした。
やっと新幹線の中で親しくなった仲間達と輪になって寝ようとしたのですが、寒い・・・とっても寒い。
ひょっとして、私の人生もここで終わりかと・・・朝起きたら凍死していたなんて・・・。
東日本避難 078_640  東日本避難 067_640
広い体育館、皆思い思いの場所で
実家に帰るという女性は持ってきた服ありったけを着ていました。私は1泊の予定だったので何もありません。
仕方無くもう4時頃だったのでそのまま起きていることにしました。
東日本避難 077_640
 余りの寒さにダンボールを頭からスッポリ
知り合いになった女性達も眠れないらしく、4人で輪になって世間話、一人の女性は気仙沼から来ていて自宅が海岸に近いそうで、「キット帰れても家は無いと思う」と何でもないように話す。

子供達は手が離れて別に暮らしていて、彼女は一人で暮らしているそうで・・・デモ強い精神力だ、私だったら
キット取り乱して泣いてばかりしているかも。
私はやりきれなくてソット「不謹慎かもしれないけど寒くて眠れないし、電車で飲もうと買っていた缶ビールが
あるけど飲まない?」皆から二つ返事でOKって!紙コップがあったのでそっと音がしないように生ぬるくなった
ビールを分けて飲んだ。苦いけど美味しい~キットこの味は一生忘れないでしょう。
東日本避難 071_640
ほろ苦~いビールでした
やっと白々と夜が明けてきた・・・長~い夜だった。・・・続く

東日本大震災・・・一日だけの避難生活

東日本大震災・・・一日だけの避難生活
AG様、ブログ拝見いたしました。
あの3・11からはや1ケ月が経ちました。
まさかとは思いましたが、あの日に東北方面に行かれていたとは・・・
奇遇だとは思いますが私も同様の体験を致しましたのでメールを送らせて頂きました。
私の場合は仕事ではなく友人のところに遊びに行くために東北方面に向かっていました。
はやて

大宮から2時22分の新幹線「はやて」に乗り、
駅弁2のどごし

旅行の醍醐味である、駅弁とビール、おつまみなどを買い込み、気軽な一人旅でしたので早速車窓から外の景色をつまみにし、弁当とビールに舌鼓を打ちながら食しました。
食後のコーヒーを車内販売のお姉さんから購入し、飲もうと思っていたまさにその瞬間に、新幹線が異常な動きを・・・ジェットコースターのように激しい横揺れが・・・そして前の席の人達が宙に浮きました。

隣の席の人たちは買ったばかりのビールが飛んで消えました。
永い・・・(一瞬だったかもしれませんが、本当に長く感じられました)揺れの後に停電・・・一体何が起こったのかわかりませんでした。
私はひたすら買ったばかりのコーヒーの行方を捜していました。
すると車内から地震だ~!!という叫び声、まわりが騒然としだしました。

何度となく続く余震、鉄橋の上に新幹線が乗っている状態なので、その揺れはまるで高層ビルの上で感じるようなものでした。
そのたびに皆の悲鳴、そんな中で冷静に乗務員さんがこぼれたものの後片付けをして回っていました。
車内放送で・・・新幹線は地震でも大丈夫ですから、落ち着いて下さい・・・と。
と、言われても・・・怖いとにかく怖い・・・

昼間だから外は明るいので停電でも何となく過ごせる・・・
でも、情報が何も無い、車内放送も1時間に1度くらい、それも「復旧の見込みはまだたっていません」だけ・・・
誰かが携帯で家族から情報を入手したらしく、宮城県で地震発生、かなりひどいらしい・・・と
私も自分の携帯にワンセグがついていたことを思い出し恐る恐るTVをつけてみた。
すると、青森県八戸が津波で流されている光景が・・・隣に座っている女性(彼女も青森の実家に帰るため
一人旅)とあまりの光景に声も出ませんでした。
大津波_640  東日本大震災2_640
私達の置かれている状況がこれでよく分かりました。
ジタバタしてもしょうがない、徐々に日が暮れていく・・・車内は暗闇、かすかな月明かりが頼りなだけである。
節電のため、非常灯もトイレの電気も消してある、水も流れない。段々と冷気が車内に立ち込める。

私の後ろに座っているおばあちゃんが一言「寒い・・・」、お年は86歳だとか広島からだそうで東京のお孫さんの所を経由して東北の親戚の所に遊びに行く途中との事だそうである。
私は思わず「これ使ってください」と持っていたカイロをあげた・・・寒がりの私にはカイロは必需品だからいつでも持っている。
そのおばあちゃんの家族からしょっちゅう携帯に電話がかかってくる、でも取り方が分からないので・・・
じゃ~なんで持っているのかな?GPS機能でもついているのかな??・・・
隣に座っている中年の男性が親切に教えてくれている。

その電話におばあちゃんは(声が異常にデカイので皆に聞こえる)「今、電車が止まっている、何にも説明が無いのでどうなっているのかチーットモ分からん!」・・・そんなこと無いよ1時間に1回くらいは放送が有るよって云ってあげたかったけど・・・私も疲れているので聞き流すことにした。
隣の中年の男性もおばあちゃんの相手に疲れたのか、寝たふりをしている。
夜は無常に深々と更けていく・・・今世の中はどうなっているのだろうか?
携帯のバッテリーが・・・柱が1本に・・・。 ・・・続く

負けるか!・・・東日本大震災

負けるか!東日本大震災平成23年4月2日
震災  大震災
平成23年3月22日電話が掛かってきた。お宅にコンフォート(D)(AT)は有る?
もう関東近県にはディーゼル車は少ないですよ。(MT)でも良いんだが?・・ガソリン車なら有りますよ?
・・何台?6台・・後で電話する。2時間ほどしてまた電話があった。

7年~8年前お付き合いのあった岩手のT・H観光タクシーの山崎さんからだった。
「今、山の上から友達の携帯を借りて電話をしているコンフォートのディーゼル車を大至急3台~4台欲しいんだが?
ディーゼル車探して折り返し電話します。すぐには判らないから折り返し電話します」

「じゃ電話があるまでここで待っている」「すぐには返事できないですよ」「今こっちでは大津波をまともに受けてうちの事務所もタクシーも9台全部海の中だよ。」電気も水道も使えない電話も山の上のこの場所じゃないと通じないのだ」・・山崎さん住所は何処だったっけ?・・住所を調べたら岩手県下閉伊郡・・・東日本大震災のど真ん中だ!改めて大丈夫ですか?大丈夫じゃないが何とかしなければならないから・・・社員も居るし・・・
連日テレビの報道などでものすごい状況は見聞きしている。
大津波_640  東日本大震災2_640
東日本大震災7_640  東日本大震災8_640
・・・3月30日再々度受電コンフォートガソリン車でも良いんだが未だ有る?有りますよ。
ジャー明日の朝AM10:00頃までお宅の会社へ行くから・・・分かりました用意しておきます。
AM10:00前に弊社埼玉の中古車展示場に来た。夜中に出て9時間掛かったよ。御疲れ様でした。
安くしてよ!山崎さんのいつもの調子だ。いろいろ折衝の上、売買価格が決った。

現地の状況の話をする。・・・意外と明るい?・・・いやこのしゃべり方はこの人の性格だ
こんなに明るく振舞えるはずは無い。命の次に大事にしていたタクシーそして事務所も自分の家まで流されてそんなはずは無い?夜、独りになると相当つらい思いをしているのだろう?
今各地で東日本大震災の被災者に向け日本中が一丸となって応援キャンペーンをやっている中で僕はいつもと同じ商談をして成約をした?それも山崎さん苦しい中、弊社を頼って夜中9時間以上をかけて来てくれたお客様に対して?・・・現地の惨状を聞いているうちそんなクールな自分が恥ずかしく自分を責めて涙が出てきた。・・・
東日本大震災4_640  東日本大震災_640
そして事務所にあったなけなし金8万円これを見舞金として渡し送り出した。
・・・ガンバッテ山崎さん!

今、全国に現地の情報がTVを通じて毎日流れてくる。それにはレポーターの思いがありTV局の思惑もある。
しかしやはりTVは画像でしかない?本当に判っているのだろうか?本当に現場の人達と同じ気持ちになれているのだろうか?本当になにが出来るのだろうか?
被災に遭っていない都会の人達、かたほうで水や米を買い占めておきながら・・・在庫は充分有ると言うに・・・
しかし山崎さん、この様なパワーのある人達が東北地方を立て直すのだ。健康であれば仕事は出来る!
いつもは美しい下閉伊郡 下閉伊郡2 いつもは楽しい
いつもは美しい・美味しい下閉伊
終戦後、資源も無く日本中焼け野が原、その上世界中の友達を敵にして戦った孤独な国日本だった。
その日本人働いた働いた、何も欲しがらずに良く働いた。朝早くから夜遅くまで・・その結果。今は世界がうらやむ大発展をとげた。
我々日本人にはそのDNAが脈々と受け継がれているはずだ。

今迄の東北地方をさらに2廻り3廻り大きくした自然災害に強い超近代的な地域をオールジャパンで創りあげていけると信じています。
そしてやはり日本の底力は凄い!と世界に再度奇跡を見せつけなければなりません。
政治がダメで大借金の国日本ですが譲り合い、助け合っている日本今ほど日本中の国民の一体感を感じる事は無かったと思います。
それに戦後当時の日本と違い今は世界中に仲間がいる。日本を応援してくれている。
tomodachi.jpg  海外支援
"tomodachi"
コネクションがある正確な情報もある。世界一の技術もある。
忍耐強い、我々働き者日本人が立ち直れないわけが無い!
ガンバレニッポン!負けるな日本!

水江一正

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