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ミャンマーに自動車学校が有るの・・・?-(2/5)
ミャンマーの自動車学校・・・(2/5)
4月30日弊社オートギャラクシーは、現在日本全国の自動車学校から直接教習車を買取らせて頂いております。
メンテナンスのしっかりしたこの教習車をミャンマーに輸出できないか?との思いで教習車の情報収集にとミャンマーの教習所を訪問しました。
ヤンゴンには2箇所くらいしかないそうだ。
この国は昨年(2010年)の10月ハンドルが右ハンドルから左ハンドルに替わったらしい。
即ち車は右側通行になった。
昔日本でも沖縄県で左ハンドルが右ハンドルに変わった事が有る。
しかしそれとは違い国内の交通ルールが一度に車輌が右側通行に替わったのだ。
従って今後輸入中古車は左ハンドルに限るとの事である。
しかしこの教習所で教えている車輌はジープタイプの右ハンドル車である。


殆どがジープタイプ
コース内は確かに右側通行である。・・・奇妙に見える。コースも日本のように広くは無くS字カーブとか坂道発進、車庫入れ等のコース・スペースは無い。
ただエンジンをかけて前に進んでいるだけのようだ。ここで程ほどの時間練習後試験を受けて免許証をもらうのだそうだ。
日本で30年~40年前、自動車教習所の無かったころ僕らが河川 敷きの貸しコースで何時間か練習して本番の試験で免許取得したのと同じ方法だ。
右ハンドル車で練習、免許証を取得して左ハンドルの道路を走る??・・・何と矛盾している事が許されているのだろう?



日本の自動車学校風景 講習を受ける勉強室
ミャンマーも先々インフラも整備され免許証を取る人が増えるだろう。そうすれば品質の良い日本の中古教習車の
需要も有るだろう?当然、補助ブレーキ補助ミラーのついた。・・・
教習車の輸出は喜ばれるのではないか?とこっそり思っていたのだが?ダメな公算が強い。
現在ここで使用されている教習車は現地で手造りで製造されているジープで価格もUS$3,000からUS$3,500と
安い上タイヤはトラックタイヤ、バンパーもごつく少々ぶつけても問題の無い様に造られている。
各家庭で所有している右ハンドルの自家用車を持ち込んで練習しても良いらしい。

現在、日本では左ハンドルのアメ車、ヨーロッパ車が輸入されているようにこの国でも先々どちらのハンドル車でも登録を許可される事を期待したいものです。
水江一正
草津よいと~こ(#^.^#)♪♪
草津の旅 
今回はゴールデンウィークに草津へ行って参りました。

思ったより人や車が少なくゆっくり出来ました。道中のご案内を簡単にいたします。
先ずは草津へ向かう途中、突然目の前にとんでもない数の「鯉のぼり」が現れて、慌てて車を止めました。

そこは道の駅「霊山たけやま」でした。

よーく見てみると山の頂上から地上まで張られたロープ?(ワイヤー?)に沢山の鯉のぼりが泳いでいました。
何匹いるのか途中まで数えましたがあまりの多さに分からなくなってしまいました。
(後で聞いたところうわさでは100匹もいるらしいです)

暑い日だったので一休み。
アイスを食べようと売店へ行くとおやおや変なアイスが売っているぞ。
しょうゆアイスとこんにゃくアイス!迷わず1個ずつ買って早速食べてみると・・・

こんにゃくアイスは味があまりせず何だかよく分からず、しょうゆアイスは確かにしょうゆ味。
だけど・・・何だか、のどが渇きジュースを1本買って何か高くついてしまった。
さてと落ち着いたので草津に向かいますか・・・。何事も無く草津に到着。
草津といえば「湯畑」と思い、レッツゴー!初めての草津。想像を膨らませて行った「湯畑」。
以外に小さかった。

でも写真をいっぱい撮りたくてうろうろしていたら某メーカーの玄関マット会社の車が撮影ベストポジションに横付け。写真を1枚撮りたいので一瞬だけ車をどけてほしいとお願いしたら「むっ」とした表情で無言で下がってくれました。写真を撮って「すいません」と言ったら目を合わせてくれませんでした。ははっ。
またまたのどが渇き、「湯畑」の横にセブンイレブンがあったので入ろうとしたら何と温泉バージョンなのかお店のマークが茶色いではないか。一応写真を1枚ゲット。載せてみます。

続いてお隣の「熱の湯」と言うところに入場料大人500円で入りました。
ここは草津ならではの湯もみと湯もみ踊りのショーが見られる場所です。

もともと草津のお湯は51度から94度ぐらいの酸性泉でそのままでは熱くて入ることが出来ません。
そこで木の棒を使って「草津よいとーこ」でおなじみの歌を歌いながらお湯をもみ48度ぐらいまで温度を下げるそうです。

時間湯という温泉療法があり湯長の号令のもと、この熱いお湯に3分間、大勢でいっぺんに入浴をするそうです。療養と言うより何か修行のようですね!
さて、草津の湯にもつかったし、明日から私も仕事の修行をしなくては。
ミャンマー・カンボジア業界訪問・・・(1/5)

ゴールデンウィークを利用して ミャンマーとカンボディアへ行ってきました。(1)
平成23年5月13日
3月下旬ミャンマーの某インポーターから連絡が入り日野レインボー29人乗りのBest Priceを出して欲しい。
今ミャンマーへ輸出できるのかな?と思いながら・・・
FOB価格○○万円?直接何回かやり取りをして受注した。
その後日本国内にいるミャンマー人から連絡が入り当中古車センターへ来社して車輌をチェックし現金を支払って行った。
4月始め、今度はミャンマーで多角的にビジネスをしている別の日本人Mr.H氏からハイラックスサーフSSR-X、○○年式を20台~25台至急集めてくれませんか?との相談を受けた。
10数年前多くのミャンマー人が日本に来てクリーニング屋や焼き鳥屋でアルバイトをしながら日産サニースーパーサルーン、トヨタタウンエース、トヨタハイエース等を買って行った時期が有る。
どのミャンマー人もまったく同じモデル希望した。
その車が入庫すると現金を支払い弊社から自分で車輌を持ち出し船積みしていた。
その後ミャンマー国内では政治的な問題が多発し、日本でミャンマー人をほとんど見かけなくなった。
国際社会から締め出され色々な問題があったのだろう?
2011年3月、民主主義の確立を目的にとの事で総選挙が行われ国民から選ばれた?新政権が誕生した。
新大統領ティンセイン氏
国民が選んだといっても軍関係者の国会議員が85%、閣僚については全閣僚33人の内、民間人はたった4人だそうだ。
軍によるクーデターから20数年、国民による第一回選挙、不正、汚職、賄賂は当然あったのだろうがとり合えず
世界に知らしめる選挙が行われたのだ。
そしてこれから毎年国会が開かれ少しずつ民主化していくのだろう?・・・
ミャンマー人口5000万人、国民は宗教心が厚く識字率が高い。
少しずつ本物になるのだろう?
それを見越してミャンマー人インポーターや日本人ブローカーが動き出しているのではないか?

早速、船会社A・C(株)の荻原さんに頼んで直近の国別中古車輸出車輌の実績リストを送ってもらった。
1月1,177台、2月695台と決して多くは無いが輸出台数20位前後のランキング最近まではランクにも出なかったがやはり西側から制裁解除を見越した動きだろう?
ビジネスの臭いがプンプンする。今年のゴールデンウィークは曜日の組み見合わせも良くまとめて取れそうだ。
名古屋のミャンマーとの事業経歴20数年実績のある伊藤さんに久し振りに連絡を取ってみた。
現在、本人今年6月迄ヤンゴンの日本人学校で日本語を教えているらしい。丁度良かった。
メールと電話で打合せた上4月29日のチケットを取り、ミャンマー大使館でVisaを取得して情報収集の為、訪問することにした。
4月29日成田発PM12:00タイ航空TG306、ミャンマー首都ヤンゴンへはPM18:45到着、時差2時間半、バンコック乗り換えもスムーズで意外と順調だった。
10数年ぶりに訪問したヤンゴン空港広くは無いが以前より綺麗に整備されガラス張りですぐで迎えの人達と対面できる空港になっていた。

ヤンゴン
通関を終えて出迎えに来て頂いた伊藤さんやMR,ザーニーその他数人の人達と合流する事が出来た。
“熱いですね?“いや今日は35~36度、夕方雨が降って涼しい方ですよ”“ウワァーこれで涼しい?この気候とこれからお付き合いするのか?”と少々閉口した。
翌日から早速ミャンマー訪問のスケジュールが組まれ行動する事になった。
伊藤さんは学校があるからとの事で、滞在中はMRザーニーがコーディネートしてくれる事になった。
彼は日本の大学で6年間留学し日本語は勿論の事、自動車大好き人間である。
在学中も何台か船積みをしたことがあるとの事、卒業論文で“日本中古車市場の現状と未来”をテーマにしたらしい。

Mrザーニーと
伊藤さんの紹介である・・・ベストの人選だ。
先ず翌日、新車の製造工場を訪問した。ものすごく大きく立派な工場である。

インド人の財閥が経営をしているとの事、毎月500台~600台の新車を生産している。
そこの社長と直接情報交換、打ち合わせの後、新車の生産ライン、ヘルメットをかぶり見学させて貰う事にしました。


“なんだコリャー!ハイエースではないか?”確かにハイエースのかたちはしているがトヨタではないとの事。
新品の部品だが別の国から仕入れている為、若干品質に問題があることもあるらしい・・・しかし良く出来ている。
我々が見ても見分けがつかない、どう見てもハイエース10人乗りワゴンである。



この車が日本円で大体300万円~350万円でこちらでは販売されているらしい。
日本から輸入されるホンモノの中古ハイエース10人乗りの方がそれよりも高いがそれでもミャンマー人には評判がいいらしい。・・・やや安心した。
しかし日本の国産車を持ち込むためにはいくつかの壁があることが判った。
いや輸出出来ないのかも?との不安もよぎった。
続く・・・
水江
東日本大震災・・・帰郷
東日本大震災・・・帰郷
やっと夜が明けた・・・
ボランティアの方達のご支援で食事の配給が始まった。
長い列が出来、水と缶詰のカンパンかお湯を入れると10分位で五目のおこわご飯が出来るというパックのどちらかをもらえた。

缶詰のパンとカンパン
私はご飯が無性に食べたかったのでおこわの方を頂いた。久々に食にありつけたので非常に美味しく感じた。10時頃になると「関東方面の方は何時になるか分かりませんが宇都宮線が回復するそうです」と放送が・・・
うれしい~帰れるのだ・・・仲間と手を取り合って喜んだ、デモ他の友人達は東北方面だからいつになるか・・・そう思うと自分達だけ喜んだのが恥ずかしい思いである・・・チョット思いやりにかけたかなと思いつつ。
12時頃にマイクロバスが到着、友人達と手を握り合って別れた・・・頑張って!!と云いつつ・・・
宇都宮線小金井の駅で数時間待って満員の電車に・・・停電の為かなりの徐行運転、電車の中は蒸し風呂状態、途中一人の女性が気分が悪くなったらしくよろけながら風のあたる私達のところに来た。
私の前に座っている少年がさっきからこの女性のほうをチラチラと見ている、早く変わってあげなさいよ!と私は思うのだが・・・デモ、その女性も途中で下車(地元の人なのかしら・・・)
長い時間かかってヤット大宮近くに来た、すると目の前の少年が急に私に席を譲ってくれた。「もうすぐだからいいよ」って少年に言うと「僕もお尻が痛くなったので」小さな声で・・・
その時思った、キットこの少年はさっき女性に席を譲れなかったことが気になっていたのだろうな、デ私に席を
譲ったことで罪悪感が少し薄れるかもって。
私は少年の好意に甘えることにした。あと2駅だけど・・・
目の前に立っている少年がペットボトルを持っていた、我々が昨日から支給されていたのと同じペットボトルを・・・
「君も塩谷中学校にいたの?」「そうです」な~んだ仲間か・・・急に親しみを覚えた。
同じ痛みを分かち合った仲間である。
「どこで乗り替えるの?」「良く分からないんです」「じゃ~このお姉さん同じ方向だから一緒に途中まで帰れば・・・」
私は大宮駅で二人と別れた。握手を交わして”GOOD LUCK”と・・・
今、ACのCMが毎日のように流れるが・・・心は見えないが心遣いは見える、思いは見えないが・・・
このCMを見るとなぜかこの少年を思い出す。

塩谷中学校で避難生活を味わった、一日だけの人も数日間いなければいけなかった人も、今後の人生が
キット幸せに暮らせますように祈っています。
そして被災された方々の一日も早く癒される日々が戻ってくることを祈っています。
日本は強い国です!キット立ち直れる!!
K・Aより
モンゴル大使館訪問
在日モンゴル大使館訪問
先週の4月20日に東京、渋谷の在日モンゴル大使館を訪問いたしました。
大使館内の大広間に通され、商務・経済担当の参事官のダンバダルジャー・バッチジャルガル氏に面会させていただきました。
ダンバダルジャー・バッチジャルガル氏(モンゴル大使館入り口にて)
そこで、興味深いお話を聞くことが出来ました。
20数年前、モンゴル国に日本政府より400台余りのバスが寄与されたとのころです。
いずれのバスもごく最近まで稼動し、モンゴル国内の重要な交通手段として活躍したとのことでした。モンゴル政府も国民の評価は非常に高く、今現在、車にとどまらず、日本製の製品はすべて、モンゴル国民に愛されているそうです。

3月11日に東日本を襲った大震災に対し、モンゴル政府はいち早く1億円を、また市民の間に義援金活動が起こり2億円を、(モンゴルの総人口は約270万人)合わせて総額3億円の義援金として日本に寄与したそうです。日本国ならびに日本国民は心から感謝をしなければならないと感じます。これからも両国の友好関係が一層強いものになると確信しております。
海外事業部
山田 隆康
東日本大震災・・・海外からの暖かいメッセージ!
海外からのあたたかい応援メッセージ
平成23年3月11日の東日本大震災は世界各国のメディアによって大きく報道されました。
弊社の海外のお客様よりあたたかいメールを多数いただきました。一部を掲載させていただきます。
今回の震災で日本国は多大なる人的、物的損害を被りました。それに対し、世界中の人々が日本国に多大なる人的、物的支援および、あたたかい応援をいただきました。日本には大勢の仲間が世界にいると痛感しました。
日本国ならびに日本国民はこれに感謝し、より早くの復興を実現し、全世界の人々に恩返しをしなければならないと思います。
私ども、オート・ギャラクシーも微力ですが被災地にバス、タクシーをお届けいたしました。
海外のお客様ためにも、高品質な日本製のバス、教習車をより多くご提供させていただく所存でございます。
「Hello Mr. Takayasu Yamada I do hope all is safe in your area your family and friends are all safe very sorry to your country with earthquake and ocean water damage and death. Keep safe thank you」 From Australia 13th March 2011
“I deeply shocked and saddened” at the devastation caused by the Tsunami and Earth Quarter and expressing my condolences, “especially to the families of those who have lost their lives, to the injured and to all who have been affected by this terrible disaster.”
From the standpoint of daily life, however, there is one thing we do know: That we are here for the sake of others...for the countless unknown souls with whose fate we are connected by a bond of sympathy. "Many times a day, I realize how much my outer and inner life is built upon the labors of people, both living and dead, and how earnestly I must exert myself in order to give in return as much as I have received."-
My Almighty God be with all Japanese people and I hope will definitely overcome the natural disaster and rebuild their beautiful homeland.” From Tanzania 11th March 2011
Good day to you!
We are regret to hear that it was happened a bad natural disaster, Tsunami recently. We hope to wish all of you are fine in Japan. From Zambia 11th March 2011
G'day thank you for your E.mail good to hear you are all well up in Japan very sad things gone wrong we pray for you. From Australia 1st April 2011
Thank you very much for your email.
First of all we are very sorry for what happened in Japan, the earthquake & tsunamai,
as we saw in the world news, we hope you are not effected.
From Uganda 14th April 2011
モンゴル国在留日本人の皆様に心よりお悔み申しあげます。人間は自然災害をなんともできませんね。日本はモンゴルの第三隣国なので、モンゴルの国民がとても悲しみ。政府をはじめ義捐金の運動を行っています。
ご報告のゲラを送付いたします。全部をそのままに掲載しました。ご検討、お願いいたします。振込み先は明日お送りしますので、よろしくお願いします。
From Mongolia 14th March 2011
株式会社 オート・ギャラクシー
海外事業部 山田 隆康
裁判所マイクロバス差し押さえ車輌の入札参加!
マイクロバスの差し押さえ車輌の入札 
平成22年9月13日(H)法律事務所から日野リエッセⅡ平成17年式の評価をしてくれませんか?と問い合わせが有った。
当社にとっても17年式はとても欲しいマイクロバスです。
差し押さえ物件、すぐに結論は出ないだろうがとり合えず流通価格相場の案内をしておいた。
僕はこの様なオークションの参加は初めてだ。どの様な方法でやるのだろう?
2ヶ月が経ち3ヶ月が経ち法律事務所に電話したが後3ヶ月くらいは掛かるのでは?
そんなに掛かるのか?と納得した。
そのとうり半年近く経った2月24日通知書と物件目録が送られて来た。
場所は3月24日AM10:00栃木県の物件目録の持ち主の住宅だ。
いかめしい裁判所の庭かその関連施設でやるのかと思ったら一般住宅の庭先なのだ。
僕は質流れ品を競るような感じで流通相場より安いのではないか?と安易に期待をかけていた。
3月の仕入れの台数のうち日野リエッセⅡの仕入れとしてこの1台もカウントした。
さて3月24日入札当日、栃木駅近くの現地AM10:00開始、3月11日の東日本大震災の被害を蒙った栃木県、
エキスパートで時間を調べると約2時間30分かかる。・・ローカル線が順調かな?間引き運転じゃないのかなー?
遠いなー、しかしビジネス、そこまで行って遅れてはまずいと更に30分早く久米川駅へ行った。
AM6:04発、久し振りに朝のラッシュの西武新宿線。日暮里で乗り換え常磐線で北千住へ電車は遅れも無く順調だ。このまま行けば1時間くらい早く着くお茶を飲みながら価格の整理が出来る。
しかし北千住で乗り換え栃木駅?JRではない?何線?東武日光線?運賃表に載っていない?
近くの通勤客に聞いても良く判らない。駅員に聞いてプラットホームが判った。途中で快速に乗り換えるのだそうだ。
1時間以上掛かる・・・遠いナー、やはり東日本大震災の後、計画停電の関係もあり間引き運転をされている様子。
・・・早く出てきて良かった。
途中の快速への乗り継ぎも悪くロスタイムが重なる。車掌に聞いた。後どのくらいで栃木駅ですか?あと40分くらいです。
あまり時間的なゆとりは無いが30分くらい前には着けるな?・・・と思っていたら急に電車が超減速のろのろ運転が始まった。
AM8時前後、車内のアナウンス"でただ今強い地震がありました。
安全確認のためしばらくの間徐行運転を行います。お急ぎのところ申し訳有りません“15分以上のろのろ運転が続いている
・・・”ウヮーこの調子だと間に合わないぞ、ここまで来て空振りはカンベンしてよ!まして朝AM4:30起きで・・・執行官に
電話連絡を取ったが予定どうり定時に始めます。・・とつれない。・・兎に角行こう・・と神頼み・・祈りが通じたのか
栃木駅に6分前についた。

やっと栃木駅に・・・
駅前交番に飛び込み場所確認、走って、走って2分前・・・間に合った。
そこには外人ブローカーやデーラーなどの業者が12名、結構来ているな、聞き覚えのある業者も何人かいる。
あまり安くは落とせないな?
・・何となくそんな予感がした。
日野リエッセⅡ、17年式、・・執行官の説明後140万円からスタート、みるみる280万円、350万円・・この辺りから手が余り上がらなくなった。
400万円・・410万円・・420万円・・426万円!、426万円!、426万円!・・落札しました。
僕はあきれて成り行きを見ているだけ。
このリエッセⅡ、新車で640万円だよ?それも6年前に??その値段で買って幾らで売るの?

(AG)のリエッセ・・・お気軽にお問い合わせを!!
僕はこのマイクロバスの業界まだ良く判らないところがある。
・・でもこの価格差の負けはかえってさばさばするから不思議だ。ただこれから3時間かけて久米川まで無意味に帰らなければならないのかと思うと、ドット疲れが出た。しかし良い経験をした。よい宿題を貰った。
この価格差の違いもう一度分析して攻め直さなければならない。・・それが判らないと毎回この業者に負けることになる。
しかも大差で・・・何でこんな価格で買う業者が居るのだろう?
いつも僕はほとんどオークションに出かけることは無いのだが“差し押さえ物件の入札”それも(H)弁護士事務所から直接の相談があった。落とせる確率が高いのでは?との期待もあって参加した。
見事に惨敗・・その上宿題付!今朝AM4時30分に起きて往復8時間かけて・・・
帰りはAM11時過ぎ乗客の居ない栃木駅で1時間に3本の永い待ち時間の東部伊勢崎線に乗って・・・

乗客の姿が無い・・・寂しくホームにて
しかしこの様な運の悪い日の後には必ず幸運が来るのである。
それは僕の人生経験から・・と思いながら・・・
サァー明日から又忙しいぞ! 


水江一正
東日本大震災・・・塩谷中学校にて
東日本大震災・・・栃木県・塩谷中学校にて避難生活 ・・・続き
東北新幹線”はやて”に篭城すること10時間余り、やっと鉄道側からの決断として、復旧の見込みはたたないので近くの小学校か中学校に避難をする事に決定した。・・・決断が遅すぎる・・・
その間、飲まず食わず(私は非常食なるものはいつも持っているので、同席した女性とチョコなどを食べてはいたが)
マイクロバスの手配がやっと数台用意することが出来たとの事で新幹線から梯子を伝って降りた。
車椅子の人や、老人、子供を優先するので梯子を降りるだけでもかなりの時間がかかった。
真っ暗な中を星の明かりだけで皆黙々と歩く・・・誰かが「星がこんなにきれいだなんて・・・」
本当に異常なほど美しかった・・・地震の惨状が信じられないくらい・・・。
凍えそうな寒さの中、皆で励ましあって歩いた・・・ただひたすら歩いた。
やっとマイクロバスに乗って何と暖かかった事か、このまま家につれて帰って・・・と。
マイクロバスで走ること30分、午前2時頃に高台にある塩谷中学校に到着。
アルミの袋に入った毛布を1枚とペットボトルの水を1本づつ渡され、初めての経験なので「これど~したらいいの」と戸惑っていた。
周りの人たちをよく見たら毛布を体に巻きつけ、アルミの袋の中に入り込んで皆思い思いの場所で寝ようとしていました。
ここは塩谷中学校の体育館、広々としていて風通しが非常に良い、暖房など無い。

お世話になった塩谷中学校
ここに800人~1000人程避難している。
寝なければ、イヤまずは携帯だ!バッテリーが全然無い、誰とも連絡が取れない・・・皆同じ思いなのかコンセントがある場所はすでに携帯が無数に差し込んである。
私の持っている携帯の機種は少ないらしく、やっとのことで探し充電をさせてもらうことにした。
やっと新幹線の中で親しくなった仲間達と輪になって寝ようとしたのですが、寒い・・・とっても寒い。
ひょっとして、私の人生もここで終わりかと・・・朝起きたら凍死していたなんて・・・。

広い体育館、皆思い思いの場所で
実家に帰るという女性は持ってきた服ありったけを着ていました。私は1泊の予定だったので何もありません。
仕方無くもう4時頃だったのでそのまま起きていることにしました。

余りの寒さにダンボールを頭からスッポリ
知り合いになった女性達も眠れないらしく、4人で輪になって世間話、一人の女性は気仙沼から来ていて自宅が海岸に近いそうで、「キット帰れても家は無いと思う」と何でもないように話す。
子供達は手が離れて別に暮らしていて、彼女は一人で暮らしているそうで・・・デモ強い精神力だ、私だったら
キット取り乱して泣いてばかりしているかも。
私はやりきれなくてソット「不謹慎かもしれないけど寒くて眠れないし、電車で飲もうと買っていた缶ビールが
あるけど飲まない?」皆から二つ返事でOKって!紙コップがあったのでそっと音がしないように生ぬるくなった
ビールを分けて飲んだ。苦いけど美味しい~キットこの味は一生忘れないでしょう。

ほろ苦~いビールでした
やっと白々と夜が明けてきた・・・長~い夜だった。・・・続く
東日本大震災・・・一日だけの避難生活
東日本大震災・・・一日だけの避難生活
AG様、ブログ拝見いたしました。
あの3・11からはや1ケ月が経ちました。
まさかとは思いましたが、あの日に東北方面に行かれていたとは・・・
奇遇だとは思いますが私も同様の体験を致しましたのでメールを送らせて頂きました。
私の場合は仕事ではなく友人のところに遊びに行くために東北方面に向かっていました。

旅行の醍醐味である、駅弁とビール、おつまみなどを買い込み、気軽な一人旅でしたので早速車窓から外の景色をつまみにし、弁当とビールに舌鼓を打ちながら食しました。
食後のコーヒーを車内販売のお姉さんから購入し、飲もうと思っていたまさにその瞬間に、新幹線が異常な動きを・・・ジェットコースターのように激しい横揺れが・・・そして前の席の人達が宙に浮きました。
隣の席の人たちは買ったばかりのビールが飛んで消えました。
永い・・・(一瞬だったかもしれませんが、本当に長く感じられました)揺れの後に停電・・・一体何が起こったのかわかりませんでした。
私はひたすら買ったばかりのコーヒーの行方を捜していました。
すると車内から地震だ~!!という叫び声、まわりが騒然としだしました。
何度となく続く余震、鉄橋の上に新幹線が乗っている状態なので、その揺れはまるで高層ビルの上で感じるようなものでした。
そのたびに皆の悲鳴、そんな中で冷静に乗務員さんがこぼれたものの後片付けをして回っていました。
車内放送で・・・新幹線は地震でも大丈夫ですから、落ち着いて下さい・・・と。
と、言われても・・・怖いとにかく怖い・・・
昼間だから外は明るいので停電でも何となく過ごせる・・・
でも、情報が何も無い、車内放送も1時間に1度くらい、それも「復旧の見込みはまだたっていません」だけ・・・
誰かが携帯で家族から情報を入手したらしく、宮城県で地震発生、かなりひどいらしい・・・と
私も自分の携帯にワンセグがついていたことを思い出し恐る恐るTVをつけてみた。
すると、青森県八戸が津波で流されている光景が・・・隣に座っている女性(彼女も青森の実家に帰るため
一人旅)とあまりの光景に声も出ませんでした。

私達の置かれている状況がこれでよく分かりました。
ジタバタしてもしょうがない、徐々に日が暮れていく・・・車内は暗闇、かすかな月明かりが頼りなだけである。
節電のため、非常灯もトイレの電気も消してある、水も流れない。段々と冷気が車内に立ち込める。
私の後ろに座っているおばあちゃんが一言「寒い・・・」、お年は86歳だとか広島からだそうで東京のお孫さんの所を経由して東北の親戚の所に遊びに行く途中との事だそうである。
私は思わず「これ使ってください」と持っていたカイロをあげた・・・寒がりの私にはカイロは必需品だからいつでも持っている。
そのおばあちゃんの家族からしょっちゅう携帯に電話がかかってくる、でも取り方が分からないので・・・
じゃ~なんで持っているのかな?GPS機能でもついているのかな??・・・
隣に座っている中年の男性が親切に教えてくれている。
その電話におばあちゃんは(声が異常にデカイので皆に聞こえる)「今、電車が止まっている、何にも説明が無いのでどうなっているのかチーットモ分からん!」・・・そんなこと無いよ1時間に1回くらいは放送が有るよって云ってあげたかったけど・・・私も疲れているので聞き流すことにした。
隣の中年の男性もおばあちゃんの相手に疲れたのか、寝たふりをしている。
夜は無常に深々と更けていく・・・今世の中はどうなっているのだろうか?
携帯のバッテリーが・・・柱が1本に・・・。 ・・・続く
負けるか!・・・東日本大震災
負けるか!東日本大震災平成23年4月2日

平成23年3月22日電話が掛かってきた。お宅にコンフォート(D)(AT)は有る?
もう関東近県にはディーゼル車は少ないですよ。(MT)でも良いんだが?・・ガソリン車なら有りますよ?
・・何台?6台・・後で電話する。2時間ほどしてまた電話があった。
7年~8年前お付き合いのあった岩手のT・H観光タクシーの山崎さんからだった。
「今、山の上から友達の携帯を借りて電話をしているコンフォートのディーゼル車を大至急3台~4台欲しいんだが?
ディーゼル車探して折り返し電話します。すぐには判らないから折り返し電話します」
「じゃ電話があるまでここで待っている」「すぐには返事できないですよ」「今こっちでは大津波をまともに受けてうちの事務所もタクシーも9台全部海の中だよ。」電気も水道も使えない電話も山の上のこの場所じゃないと通じないのだ」・・山崎さん住所は何処だったっけ?・・住所を調べたら岩手県下閉伊郡・・・東日本大震災のど真ん中だ!改めて大丈夫ですか?大丈夫じゃないが何とかしなければならないから・・・社員も居るし・・・
連日テレビの報道などでものすごい状況は見聞きしている。


・・・3月30日再々度受電コンフォートガソリン車でも良いんだが未だ有る?有りますよ。
ジャー明日の朝AM10:00頃までお宅の会社へ行くから・・・分かりました用意しておきます。
AM10:00前に弊社埼玉の中古車展示場に来た。夜中に出て9時間掛かったよ。御疲れ様でした。
安くしてよ!山崎さんのいつもの調子だ。いろいろ折衝の上、売買価格が決った。
現地の状況の話をする。・・・意外と明るい?・・・いやこのしゃべり方はこの人の性格だ
こんなに明るく振舞えるはずは無い。命の次に大事にしていたタクシーそして事務所も自分の家まで流されてそんなはずは無い?夜、独りになると相当つらい思いをしているのだろう?
今各地で東日本大震災の被災者に向け日本中が一丸となって応援キャンペーンをやっている中で僕はいつもと同じ商談をして成約をした?それも山崎さん苦しい中、弊社を頼って夜中9時間以上をかけて来てくれたお客様に対して?・・・現地の惨状を聞いているうちそんなクールな自分が恥ずかしく自分を責めて涙が出てきた。・・・

そして事務所にあったなけなし金8万円これを見舞金として渡し送り出した。
・・・ガンバッテ山崎さん!
今、全国に現地の情報がTVを通じて毎日流れてくる。それにはレポーターの思いがありTV局の思惑もある。
しかしやはりTVは画像でしかない?本当に判っているのだろうか?本当に現場の人達と同じ気持ちになれているのだろうか?本当になにが出来るのだろうか?
被災に遭っていない都会の人達、かたほうで水や米を買い占めておきながら・・・在庫は充分有ると言うに・・・
しかし山崎さん、この様なパワーのある人達が東北地方を立て直すのだ。健康であれば仕事は出来る!

いつもは美しい・美味しい下閉伊
終戦後、資源も無く日本中焼け野が原、その上世界中の友達を敵にして戦った孤独な国日本だった。
その日本人働いた働いた、何も欲しがらずに良く働いた。朝早くから夜遅くまで・・その結果。今は世界がうらやむ大発展をとげた。
我々日本人にはそのDNAが脈々と受け継がれているはずだ。
今迄の東北地方をさらに2廻り3廻り大きくした自然災害に強い超近代的な地域をオールジャパンで創りあげていけると信じています。
そしてやはり日本の底力は凄い!と世界に再度奇跡を見せつけなければなりません。
政治がダメで大借金の国日本ですが譲り合い、助け合っている日本今ほど日本中の国民の一体感を感じる事は無かったと思います。
それに戦後当時の日本と違い今は世界中に仲間がいる。日本を応援してくれている。

"tomodachi"
コネクションがある正確な情報もある。世界一の技術もある。
忍耐強い、我々働き者日本人が立ち直れないわけが無い!
ガンバレニッポン!負けるな日本!
水江一正


