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ガンバレ!!Refino ジュニアチーム

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少年サッカーチーム”Refino”の大串さんからメッセージいつもお世話になっています。まだまだ、自前でバスが持てるクラブになっていないのですが、スポットでお借りできるのがホントにありがたいです。バスを... Read More

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☆シャチョウサン暫く!!

☆シャチョウサン暫く!!

Mrナンダナさん来日!!数年ぶりに再会!Mrナンダナ・・新宿にて☆シャチョウサン暫く!9月29日(月)朝一番ミーティング中に聞き覚えのある外国ナマリノ日本語で電話が有った。オー、MRナンダナ!(スリラ... Read More

東日本大震災、世界中からの支援・真心が届きました。

東日本大震災に対する国際社会からの支援と励まし
東日本大震災発生後から現在に至るまで,世界163の国・地域及び43の国際機関から日本に対する支援の申し入れがありました(2011年7月20日現在)。これまで米国の支援(Vol.72),各国支援チームの活躍(Vol.73),中国及び韓国の協力(Vol.74)などをお伝えしてきましたが,今回は,国際機関,後発開発途上国,子どもたち,姉妹都市,スポーツ界など,世界各国から届いたさまざまな日本支援のエピソードの一部を紹介します。

多彩かつ効果的な国連機関の支援活動
東日本大震災後に,各国の緊急援助チームとともに多くの国連機関が様々な支援のために日本を訪れましたが,被災者の生活に密着した支援を行ったのが国連世界食糧計画(WFP)と国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)でした。WFPは,支援物資の国内輸送やNGOの能力強化を行うとともに,食糧備蓄用の可動式倉庫とプレハブを各被災地に設置。倉庫は救援物資の一時保管場所,ボランティア受付センター,地元商店による朝市などに,そしてオフィス設備が整ったプレハブは,ボランティアセンター,NGOの事務所診療所などに活用され,地元の人々より大変役立っているとの感謝の声が多く寄せられました。また,UNHCRは, WFPの輸送協力も得て小型のソーラー・ランタンを宮城県石巻市に提供し,電気などのインフラが復旧していなかった被災地の夜に心温まる明かりを灯しました。
海外支援
2004年スマトラ沖地震の恩返しを!(スリランカ,インドネシア,モルディブ)
地震国・日本は,これまで他の被災国に対する防災や復興支援に大きな力を注いできました。たとえば2004年のスマトラ沖地震の際,日本は3万人以上の犠牲者を出したスリランカや約17万人が犠牲となったインドネシアにいち早く医療団を派遣しました。東日本大震災後,スリランカのカランナーゴダ駐日大使は「スリランカの人々はそのことをとても感謝していて,忘れていません」と語り,福島県田村市の避難所を訪問。自ら炊き出しに加わり,被災者に温かいカレー料理をふるまいました。

スマトラ沖地震などで親を失ったインドネシアの首都ジャカルタ近郊の養護施設の子どもたちからは,「僕たちも同じように被災した仲間だから,悲しまないでがんばって」といった励ましの寄せ書きが在インドネシア大使館に届きました。また,同じスマトラ沖地震の際,日本の援助で建設された防波堤によって壊滅的な津波被害を逃れることができたインド洋に浮かぶ小さな島国モルディブでは,震災直後より日本を支援する多くの国民の声が政府に届けられました。そこで大統領は義援金のほかに特産物のツナ缶を日本に送ることを発表。お金を出すことができない貧しい国民もツナ缶を持ち寄り,合計なんと約69万缶が日本に届けられました。日本に送付する際に,被災者の便を考慮して,缶切りで開けるタイプからプルトップ式に作り変えてくれたことも,モルディブの人々の真心を表しています。
海外支援2
LDCs(後発開発途上国)からの力強いエール
国連が定めるLDCs( Least Developed Countries/後発開発途上国)とは,開発途上国の中でも特に開発が遅れている国々のことで,アフリカ,東南アジアなどの48ヵ国が分類されています。これらの国々は経済基盤が脆弱で,国民の所得水準が極めて低く,一人当たりの国民総所得 (GNI) の3年平均推定値が750米ドル以下とされています。日本はこれまでこうした国々の内戦からの復興や国の安定化,経済発展や開発,人材育成などに積極的に貢献してきました。東日本大震災では,ブータン,スーダン,タンザニア,カンボジア,エチオピア,東ティモールなどLDCs17か国からも次々に義援金が届きました。これらの国々は,深刻な貧困に直面しているにもかかわらず国をあげて日本の復興を支援し,祈ってくれました。

広がる市民による日本復興への祈り
LDCsの国々では,市民の間でも日本を支援しようとする機運が広がっています。コンゴ民主共和国では,NGO団体が,震災犠牲者へ追悼の意を込めたマラソン大会を企画・実施しました。すると元JICA研修生,元国費留学生などを含む約300名にのぼる市民が競技に参加。開会式,閉会式では,震災被害に対する弔意,人々の連帯の重要性及び被災者への激励の言葉が繰り返し述べられました。同じくアフリカのジブチでは,3月23日を震災被災者に捧げる「日本国民との連帯の一日」とし,首都の「東京広場」(日本の援助で整備された主要道路の起点のロータリー付近)でゲレ大統領が主催する式典を開催。この式典には閣僚や政府関係者,宗教関係者,市民など約800人が参加しました。また,アフガニスタンでは,未だ国造りに向けた努力が続いていますが,人々の間では,復興支援活動を続けている日本への尊敬の念は強く,カブール,カンダハール等の各都市で集会や募金が行われ,仏教遺跡で有名なバーミヤンでは支援決議の採択が行われました。
海外支援コンゴ  海外支援ジプチ
海を越えて届く子どもや学生たちのまっすぐな思い
世界各国の子どもや学生たちが学校ぐるみで日本への励ましのメッセージや支援イベントを行っているケースも数多くあります。「我々もかつて同じように恐ろしい災難を経験し,美しかった故郷を失いました。しかし,我々は『皆の意志は城となる』ことを知っています。皆さんも,『あきらめない』という言葉とともに拳を握りしめ,立ち上がれるはずです」。これは2008年の中国・四川省での大地震で被災した四川省都江都江堰中学生及び教員から重慶の日本総領事館に届けられたメッセージです。3月23日には,ベトナム・ハノイ国家大学内の人文社会科学大学が,海外支援ベトナム
「頑張れ,日本!あなたたちはひとりじゃない」というチャリティイベントを開催し,教職員・学生約500名が参加。参加者によって1万羽の折り鶴が作られましたまた,ブルガリアのソフィア市第18総合学校では,日本語を勉強する生徒が,日本大使館前の木や市中心部にある桜の木(日本が寄贈)に折り鶴を飾り付けました。
海外支援ブルガリア
姉妹都市等で広がる温かい支援の輪
長年友好を育んできた海外の姉妹都市からも多くの支援の手が差し伸べられました。宮城県仙台市と姉妹都市提携を結んでいるベラルーシの首都ミンスクでは,震災発生直後から市内にある交流のシンボル「仙台広場」に,多くの市民が訪問。犠牲者を悼み,花束やろうそく,折鶴などが手向けられ,中には日本語で書かれたメッセージも見受けられました。同じく仙台市と姉妹都市であるフランス・レンヌや米国のダラスとリバーサイドでも,被災地支援の輪が広がっています。

福島県白河市と姉妹都市であるフランスのコンピエーニュでは,募金活動のほか,市民メッセージや幼稚園児が作った折り鶴を白河市に送りました。また,フランスのシャモニー(山梨県富士吉田市と姉妹都市),イシーレムリノー(千葉県市川市と行政間交流),ナント(新潟市と姉妹都市),スイスのグリンデルワルド(松本市と姉妹都市)といった被災地以外の姉妹都市でも日本を支援に取り組んでいるケースは少なくありません。さらに豪州の首都キャンベラにあるMerici College School(長崎県佐世保市・清和女子学院高校の姉妹校)の生徒が,3月25日に日本の復興を願って300個の風船を飛ばしました。同校ではこのイベントに先立って1週間の募金活動も実施されました。
海外支援ベラルーシ  海外支援豪州
世界のサッカー界が一丸となって日本を応援
震災後の3月26日,ロンドン五輪出場を目指すU-22日本代表チームは,日本でウズベキスタン代表チームと親善試合を行う予定でした。しかし震災により国内開催が不可能となったため,ウズベキスタンの首都タシケント市内に試合会場を移して開催。試合開始前に両国選手が「GAMBARO JAPAN !」の横断幕を掲げて記念撮影を行ったほか,黙祷が捧げられると,客席から「WITH YOU JAPAN !」のメッセージとともに日の丸が掲げられました。日本人選手も活躍する欧州サッカーの各国トップリーグの試合で,震災直後より犠牲者への黙祷が捧げられたり,選手達は喪章を腕に巻いてプレーしたことが連日報じられました。
海外支援サッカー
たとえば,3月19~20日,スペイン・サッカー連盟が,全5部リーグの試合で,冒頭,被災者に対する1分間の黙祷を行いました。競技場中央に日・スペイン両国の国旗をあしらったシートや日本との連帯を示す横断幕を用意したり,電光掲示板に各選手による被災地への応援メッセージ等を流すなど,各チームが工夫を凝らして日本に対する弔意と連帯を示しました。また,4月7日,ブラジル・クリチバ市では元鹿島アントラーズ選手のアルシンド氏,元日本代表監督のジーコ氏らの呼びかけで親善試合が開催されました。アフリカでも,チュニジアで行われたアフリカクラブ選手権の試合で,黙祷や「頑張れ日本」と漢字で書かれたボードが掲げられました。

「世界は日本と共にある」ことが復興へのパワーに
震災直後より,多くの国の首脳や外務大臣が各国の日本大使館を訪れ,震災犠牲者への弔意を述べ,記帳などを行っています。また,米国やマレーシアをはじめ,議会決議で日本支援の姿勢を打ち出す国もありました。3月18日,エルサルバドルのフネス大統領は,震災後も帰国せず同国内で活動を続けていたJICA青年海外協力隊員41名を招き,隊員と日本国民を激励する式典を開催し,次のように述べました。「日本が常に我々に提供してくれた計り知れない支援について忘れることはできない。

本日,私の政府とすべてのエルサルバドル国民は日本の惨事を自分の国のことのように苦しんでいることを心よりお伝えしたい。また,同胞が苦しみ,家族の状況が懸念される状況下,多くの隊員がボランティア活動の継続を望んでいることは我々に感動を与える。ここにいる隊員の皆さんは家族や友人の不幸に直面していないことを願うが,仮に直接的な被害を受けた人がいても,エルサルバドルの大統領,政府,国民が一緒にいることを知ってほしい」──今回の震災後,世界中の多くの国が日本に向けてこのフネス大統領と同様の心温まるメッセージを届けてくれました。「世界は日本と共にある」。この感動は復興に向けて歩み始めている私たち日本国民の大きな糧となることでしょう。
海外支援エルサルバトル

ミャンマーでは今、日本語が盛んになっている!

日本語が盛んになっている    ミャンマー国旗

今、世界は進歩していて世界的になっている。
それで皆は自分の生活を向上させる為には外国語が出来なければならないのである。
ミャンマーでは英語をはじめ日本語、中国語、韓国語など外国語を習うのが盛んになっている。
そこで安く勉強が出来て活用できるような目的で外国語を勉強している。
ミャンマーではみんなの目的をかなえるため、無料で教えている学校がたくさんある。
その中でもマノヤマという外国語僧院は有名です。お坊さん達が設立した学校である。
ミャンマーの僧侶
ミャンマーの僧侶達の托鉢
初級から上級まで教えている。1ヶ月は700チャットだけです。日本円にすると70円位です。
ミャンマーでのご飯一皿の値段である。大変安くて、成果がたくさんある。
この学校の日本語学部では日本人の先生も、ミャンマー人の先生も教えている。
日本人の先生は能力試験が近づくと日本から来て教えていらっしゃる。
ある先生はミャンマーへ年に2回も来て教えている。ミャンマー人の先生は三人いる。
ミャンマー外国語学院を卒業した生徒さんが先生をしている。
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ミャンマーの教室風景
日本人の先生は上級のクラスを教えて、ミャンマー人は初級から二級まで教えている。
多くの人が通えるように初級のクラスが二つある。
平日の月曜と火曜の学生はみんな若くて高等学校を卒業したばかりの学生と、まだ仕事がない人たちが多い。
ミャンマー教室風景_640
生徒達の作品も・・
今回3ヶ月のクラスには雨季なので学生が本当に少ない。15人だけである。
どんな目的で日本語を習いに来たかと尋ねると、面白いからと答えた学生が多い。
そんな中で、ある学生はこのように答えた。日本へ観光に行くからって。本当に驚いた。
ミャンマーでの日本に行くピザは難しいからである。
そう答えたのは女性の学生のほうが男性の学生より多い。
二人の父子も一緒に勉強している。娘さんは日本で勉強しようという目的だと話す。
記下の写真はある女性の先生が平仮名の書き方を教えている写真である。
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ミャンマーより Yei Yei Thien

青梅線の御嶽駅のすぐそば「元祖手打ちそば玉川屋」さんへ

暑っ~い   
暑い、暑い、暑~い、の毎日で早くも夏ばて気味の今日このごろ。
食欲もあまり無くこれではいけないと美味しいそばをもとめて青梅市御岳へ向かうことにしました。目的地は創業96年、大正4年より営業を行なっている「元祖手打ちそば玉川屋」さんだ。

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風情のあるかやぶき屋根
何でも山の水を使って打つそばは、ほど良いコシの田舎そばで美味しいと聞き早速ドライブをかねて出発。
青梅線の御嶽駅のすぐそばということでお店はすぐに見つかったが駐車場が細い路地を登って坂道にあるのでちょっと止めづらい感じ・・・気を遣う駐車場です。
(そもそも駅から近いので歩いてくる人のほうが多いのかもしれませんが・・・)
入り口はかやぶき屋根で風情を感じます。中に入ると昔ながらの造りの広い座敷に太い柱といった感じで、何故かわらないが眉毛が異常に長いだるまの大群が飾られていました。
(ちょっと怖かったので理由は聞きませんでした。)
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ギョギョ!だるまが睨んでいる!!
今回食べたのはこちら鴨汁そば1,100円・・・まずまずの美味しさでした。
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鴨汁そば・・・オススメ!?
さて、お腹も張ったしもう少しドライブでもと思い少しは涼しいだろうと涼をもとめて 奥多摩湖へ行ってきました。・・・が、涼がどこにも見つからない36度の気温。
今年はどうなっているのか?小河内ダムの駐車場に車を停めて一歩外へ・・・汗、汗、汗・・・たまらなくすぐに日陰へ避難。
先客2人がベンチにいたが、暑い暑いでぐったり状態。とても避難場所にならない。
え~ぃ、ここまで来たのだからダムは見て帰るぞと炎天下の中ダムがのぞける場所まで200メートル歩き、写真をパチリ。ダメだっ!暑くていられない。そそくさと引き返し車の中へ。言うまでも無くそのまま家路へ向かったのだった。
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秋にはオススメの場所です
涼をもとめるならもっと計画的に標高の高いところへ行くべきですね。皆様暑いので熱中症には気をつけましょう。
      涼~ 氷やさん
記 小田嶋 

オートギャラクシーのヤンゴン事務所とタイ国境の自動車事情

オートギャラクシーのヤンゴン事務所とタイ国境の自動車事情
日本からの中古自動車輸入についてMR,ザーニー君頑張っています。
5月に伊藤さんの紹介で訪問した日本大好きミャンマー人のMRザーニー君、写真のように中古自動車の事務所を立ち上げました。
事務所5_640 事務所2_640
事務所6_640 事務所7_640
オートギャラクシーヤンゴン事務所
先日ブログでご案内のとうり今ミャンマーでは日本車が大ブームです。
しかし政府からの輸入条件は左ハンドル?
今オートギャラクシーはミャンマー向け中古自動車輸出が難しく様々な困難に出くわしています。
その中でMRザーニー君は色々な情報を送ってきてくれています。
その一つ日本(横浜港)からタイの港(レムチャバン)へ、その後陸路を通じて国境(M)へ行きます。
そこには日本からの中古自転車、中古家電はもとよりミャンマー中の大手中古車業者が集まっています。
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M事務所12_640 M事務所11_640
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タイ国境のゲート(M)(タイ側)に車がストックできるゲートは20ゲートとミャワディ(ミャンマー側)にも同じく20ゲートあります。その間に川があって、その川が国境線になっている。
国境の貿易?海に囲まれた日本では想像のつかない貿易が行われています。
しかも現地通貨“チャット”で・・・
しかし日本からの輸出は2.000台/月・・・解決策は有るはずだ!
水江

安齋先生のカンボジアからの気まぐれ通信・・・No2

気まぐれ通信No2
言葉で出会うカンボジア-2-
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(チョムリアップ・リア)
 出会いよりは、別れのほうが難しいものである。結婚は勢いと誤解でいけても、離婚にはそれなりのエネルギーを必要とするのと同様です。余韻の残る別れ、さわやかな別れができたら、何処であれ一人前とみなされる。
 前回取り上げた「チョムリアップ・スオー」に対応するのが、「チョムリアップ・リア」、これも胸の前で手を合わせなくては、様にならない。「バイ・バイ」程度に軽く扱ってはいけない。近頃、片手をあげて「チョムリアップ・スオー」といって、『こんにちは』程度に使う若い人を見かけるが、これは不作法の極み、ガイドブックの会話編をHow toもの程度に扱う無知からきているといわれても仕方がない。学びを忘れた姿は傲慢につながる。

 「チョムリアップ・スオー」は、『初めまして』『お久しぶり=ご無沙汰しておりました』という意味を込めた、かなり改まった挨拶です。ですから、別れの言葉、「チョムリアップ・リア」もまた、改まった言葉なのです。旅行者が仲良くなったガイドに名残を惜しむ、そんな時の余韻の残る言葉です。時に万感を込めて使っても様になるのです。だが、気をつけなくていけないのは、明日も会う人に「チョムリアップ・スオ」は滑稽です。長の別れではないからです。こんな時、それなりの丁寧な響きで当地の人たちが使うのが、image004_20110721140745.gif(リア・ハウイ)です。意味は、『お別れの時間ね。じゃ、さようなら」といったものです。
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(ソック・サバーイ)
 もっとフレンドリイな別れはないか。あるのです。前回に取り上げた日常の挨拶「スオス・ダイ」同様、気楽に使えるのが、「ソック・サバーイ」(お元気で)です。これは、片手を上げて様になります。数日でも滞在するなら、是非、使ってみてください。当地の人たちから、それなりの<通>にみられますよ。
 実は、この言葉、「スオス・ダイ」の代わりにも使えるのです。2回目以降に会う人なら、image008_20110721140804.gif(ソック・サバーイ・テー)です。<テー>は日本語の疑問文に使われる<~ですか>にあたりますから、意味は『お元気ですか』になり、人と会う挨拶として最適です。

 余談ですが、こんな失敗例があります。カンボジア人の恋人に『さよなら』代わりに「チョムリアップ・リア」と言ったところ、恋人に怒られたそうです。半年も1年も会えない空港の別れならともかく、『長の別れ』となる「チョムリアップ・リア」は、<縁切り>と受け取られてしまいます。
数日や1週間程度なら、「ソック・サバーイ」にしましょう。
 さて、言葉は文化の窓口だ、と思っています。ですからコラムのない会話編はイマイチと思っています。あれもこれも載せて、結局使い物にならない、といったことになります。また、国の面積や人口を知っただけでは、人の心の理解には届きません。言葉が窓口なら、心は奥座敷、そんなところに一筋届く光が、言わば、T.P.Oに合った言葉の使い方。それがこの<一期一語>だ、と言えるような言葉の紹介に努めていきます。

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何処の地にも美しいあいさつがあります。
-画像;カンボジア・竹と風の学校-
カンボジア・竹と風の学校:校長
安 斉 恭 夫

ミャンマーの自由時間・・・4/5

ミャンマーの自由時間・・・(4/5)
5月3日ミャンマーで4日間の業務スケジュールを終えて1日フリー、ミャンマー観光ルート定番の黄金のシュエタゴパゴダ寺院とチャウタージ寺院の涅槃像へ連れていって貰った。
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黄金に光り輝くシュエタゴバコダ内を散策
僕はシュエタゴパゴダへは10数年前に来た事が有る。
その時はこのエレベーター大丈夫か?と思うほど古い終戦後から有る?と思われるエレベーターで昇った思い出がある。
今は綺麗に近代化され最上階までエスカレーターが動いている。入場券、外国人は1.000チャット/人、現地の人はタダ、中の境内では全ての人は素足にならなければならない。
大理石が敷き詰められているが直射日光が強く歩けない。
参拝要所には赤い絨毯がしかれている。
黄金のパゴダ・・財力のある人からの寄進も多いらしくこの空間はミャンマーでも浮世離れしているほど立派である。
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子供の誕生日なのか化粧をしてお参り
ゆっくりガイドの説明を聞きたいところだが、あまりに熱い!20分ほどで一回りして「次回ゆっくり又見せて頂きます」とお礼を言って降りた。・・・やはり涼しい時期もう一度ゆっくり参拝をして見たいと思った。
そして涅槃像、全長70Mの巨大なお釈迦様が横たわっている。御釈迦様、旅の途中食中毒で亡くなったとされている。
従って右脇を下にして心臓に負担が掛からなく胃袋に入っている悪いものが早く排出され寝方だそうである。
そして北枕これは地球の磁気の関係で身体に良いとされている。この御堂は相当広くその中に横たわっている為かなり涼しい。
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巨大なお釈迦様の涅槃像
ミャンマーのガイドブックには必ず出てくるコースのようである。
その後伊藤さんの案内でボージョーアウンサンマーケットに土産を買いに行く事にした。
アウンサンマーケット、ミャンマー  アウンサンマーケット店内_640
アウンサンマーケット店内
僕はいつもこの手の市場が最も気に入っている。日頃、地元の人達が日用品や食材を買いに来る。
日常のやり取りも目の当たりに見える。日常使われている商品も判る、どんなものがどんな国から来てどんな使い方をしているのか?非常に興味の有る場所です。
アウンサンマーケット  アウンサンマーケット2
雑貨や八百屋さん
アウンサンマーケットぞうりや  アウンサンマーケットロンジー屋
ミャンマーではサンダルが日常靴   ロンジー屋
通常日本人が旅行すると旅行業者は高級な宝石屋や土産物屋へ連れて行ってくれるが僕はあまり興味が無い。
昔はそれも有ったが当時買った置物は殆ど倉庫の何処かに入っている。
やはり冷蔵設備は無いが新鮮な肉、魚や果物、においの強い香辛料の中で客と店主が熱気を浴びたやり取りを見るのが楽しみである。
僕はそこで会社の土産としてコーヒーと胡椒とカシューナッツを買った。・・・安い!・・しかも使い勝手が良い。
この国は昔からルビー、ヒスイ、エメラルドなどが豊富に採れる。確かに日本よりは相当安いが加工は悪い。
・・・しかしそれは見るだけで素通りでした。・・・・
そしてその夜伊藤さんの取り計らいで予約が中々取れないと言う上品な中華料理の店(名前がどうしても思い出せない)で晩餐会を催してくれた。
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インポーターの仲間達    美味しい中華料理に話も弾む
滞在中知り合いになったインポーターの人達,片言の日本語で色々なガイドをしてくれたお嬢さん達、暑かったが非常に収穫の有った訪問であったが?・・・いや今後そうしたいと思っているんだが?やや自信が無い?
・・・今まで経験をしたことの無い色々な規制やルールが入り組んでいるミャンマーとのビジネス?
普通、車の輸出をする場合、海外のお客様に在庫を案内→納得後契約→申込金振込み→船積み→残金集金→船荷証券送付・・・完了!
いたって簡単なやり取りなのだがこの国はそうではない?色々なところに仕掛けが有る?しかし抜け道も有る様だ。
リスクも高いがそれなりの利益も有りそうだし・・・
ミャンマーの人達、こうして会って話をしても識字率が高く、宗教心の厚い真面目な人達ばかりだ。
その上何よりうれしいのは日本人が大好きなようだ。
大掛かりのビジネスでなくても良い。程ほどのビジネスの繋がりで今後も時々ミャンマーへ来てこの人達と永い付き合いが出来れば良いが?と思った。
水江一正

安齋さんのカンボディアブログ・・訪日研修の軌跡・越後の春・雪・月・華・・・

「カンボジア・竹と風の学校」の支援者の皆さん
カンボジアは本格的な雨季に入っています。雨季はカンカン照りの乾季と比べて、スコールが来れば過ごしやすいです。雨季に入るだけで我が家の冷房代も10~20ドルは安くなります。幸い、カンボジアには“節電”なんていうのはなく、お金がなければ自ずと節電しますし、国道を一歩外れればバッテリー生活です。それでも近頃、不定期の停電があります。

おそらく経済特区と称するところや富裕層地区は停電はないのでしょう。遠いカンボジアから見れば、“節電”騒ぎの日本の姿は奇妙に漫画的にさえみえます。電力会社に乗せられた節電騒ぎに見える私ですが、こと節電については意見は全く逆だが、橋下知事と石原知事の発言が的を得ているように思えます。どちらもムードを煽る節電キャンペーンではなく(東電、政権批判の目くらましではないか)、やるなら根拠を持って実効あるものにしろ、といったところではないだろうか。

 経済活動が大事なら、経済重点部門と一般家庭や商店等と区別した節電をすればいい、と思っている。仕事はばりばりやって、家に帰りゃちょっと我慢するか、といったことはあってもいい。が、全面自粛のような節電は知恵のあるまともな政策とは思えない、というのが実感です。
 全面的な節電キャンペーンをするのなら、効果はただ一つ、徹底した省エネ技術の革新・開発に国が政策として強力に具体的に推進すべきである。

 そうした具体的な理念や政策が見えてこないなかで自然エネルギーなんて言ったって、何年かかるんだよ、といったもので、だから皆が不透明感に苛立つのである。原発が結局のところかろうじての安全対策ができるだけであって、その実、制御できないエネルギーであったということが誰にも明白になったからには、人類史の観点からは脱原発への道は既定のことであって、それは短期的な反原発や原発依存の議論を超えたところにあるように思えます。科学・技術の問題は、新たな技術革新によって乗り越えねばならないというのは自明のことで、節電キャンペーンが具体的な技術革新に結びつかなければ、統制好きの昔懐かしさだけで痴呆状態になっている老害現象である(だから経団連も楽天から見放される!)、と思っている。

日本のニュースを見るに6月だというのに熊谷で39度を超えるなんていうのは、乾季の灼熱のインド並みである。どうか、「欲しがりません、勝つまでは」なんていう痩せ細った倫理キャンペーン“節電”なんてしないで、熱中症にならないことが肝要である。いざとなったら経済活動も熱中症で死ぬ人がでるようだったら、止めたっていいんだという図太さ必要だし、それでこそ日本人が元気でいる証左だと思っている。我慢する事なんてない。我慢していいことなんて、普通の人たちにとって日本の歴史でいいことなんて一度だってあったろうか。

 さて、かくいう私ですが、何かと忙しい毎日を送っています。学校では新特別授業の設置で新先生の訓練と授業の定着という課題で身の休まる暇もありません。まあ、これも我慢してしていることではないんで、仕方がない事ですが・・・。それで前回のメール:訪日研修の軌跡18から大分日が経ってしまいました。ここにようやくにNo.19の報告ができます。
 今回は「越後の春」第三弾です。
竹と風の学校:6月
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
カンボジア・竹と風の学校を支援する会:代表
カンボジア・竹と風の学校      :校長
      安 齊 恭 夫
住所:#171,Street 300, Bueng Keng Kang 2,
Phnom Penh, Cambodia.
Tel:(日本から)001-855-12392754
事務局(日本)080-5081-8802<小池隆夫>
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

菖蒲の花 ♪♪

6月20日
菖蒲の花 国営昭和記念公園にて
梅雨の季節なのに、普段の行いがいいのかなぁ?この日は曇りのち晴れ。
国営昭和記念公園にドッグランに行ってきました。
色々な犬種が集まっていましたが、この日はシベリアン・ハスキーのオフ会のようで、15頭が元気良く走り廻っていました。
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その後、散策していたら、菖蒲の花が目に飛び込んできました。とても綺麗で思わずシャッターを押していました。たまには緑の中で休みを過ごすのも良いものですね。
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国立昭和記念公園
<ご利用に関するお問合せ>
財団法人 公園緑地管理財団/昭和管理センター
〒190-8530 東京都立川市緑町3173
TEL.042-528-1751
http://www.showakinenpark.go.jp/
山田隆康

ミャンマーの新首都”ネピドー”・・・(3/5)

ミャンマーの新首都“ネピドー”・・・(3/5)
翌日MRザーニーがネピドー訪問をセットしてくれていた。
ヤンゴン市から約320KMの距離、夜中のAM12:30ホテルをスタートしました。
一応高速道路で片側2車線、何処まで走っても道路の両側に建物は全く無く畑と雑地で地平線が見える。
ミャンマー 300_640  ミャンマー 301_640
ただただ続く地平線・・・
地道幅は広く取っていますが、道路建設に当たり軍関係のいろいろな建設業者が利権で建設に当たったようで、
道路はスムーズに走れる箇所と技術が悪く区間によってはでこぼこのところが有り、決して快適とは言えないドライブでした。
その上技術の問題かトンネルが無く大きな坂が多いのが印象でした。
ミャンマー視察 198_640  ミャンマー視察 200_640
途中1ケ所だけあったドライブイン
首都を移した理由は、公務員が民主化勢力に合流しない為とか指導者が占星術によって占って貰ったとか?
何で海からも遠く、不便なだれも住んでいないこの地を選んだのかと?
それも理由があり海からの攻撃を避ける為とか?

・・・何処の国からの侵略を恐れているのかな?・・・その政府が最も頼っているのが中国???
いかにも軍事政権のにおいがします。
しかしこのネピドー、非常にインフラが整っており道路も広く夜間の照明は一晩中ついているし、停電も少ないとか・・・しかしこの不便な場所に行政機関が全て移転した為、困っているのは国民です。

ヤンゴンからの汽車はないし、バスも1日何本かしかなくヤンゴンにすむ公務員は毎朝AM4:00に家を出て
PM10:00頃帰宅するようです。
今は高級公務員の為、無料で住める住宅を建設しているとの事。
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ジュエリーセンター
兎に角このネピドー、高原を削って創っただけ有って道幅は広いし全て新しく非常に綺麗だ。
その上ミャンマー名物の黄金のパゴダがこの都市にも新しく創られている。
ヤンゴンに有るシュエタゴパゴダを模して創ったとか、かなり大きなパゴダである。
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最近建設された広大なバコダ
堂内の壁には大きな彫刻が施されているがシュエタゴパゴダのような重厚さは感じられなく参拝客もほとんど居ない。ただの建築物でしか思えない。
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お釈迦様の像      壁画
区画整理された中にスーパーマーケットや修理業者などが集まっている地区が有り、少しづつ全国からそれぞれの区画に転入が始まっている。
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新しく出来たショッピングモール  車の修理業者がある区画
その中心に新しく建てられたミャンマーの国会議事堂が有る。相当広大である。廻りはフェンスで囲まれている。
近づく事は出来ないが建物は一般の我々も見ることが出来る。
日曜日に訪問したせいか人も車も殆ど走っていない。
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フェンスで囲まれている国会議事堂
綺麗に舗装された、しかしだれも利用していない広い道路だけが今のこの国を象徴しているように思えた。
この遷都事業で国の財政は相当負担になっているらしい。

・・・そうまでしなくても今有るヤンゴン市のインフラをもっと生活しやすく整備し国民が活動しやすくすれば良いと思いましたが?
やはり年何回か国会が開かれる為、軍人中心の国会議員は民衆のテロを最も怖がっているとの話も聞きます。
一部の偏った国に支えられるのではなく公平な民主主義の仲間入りができる事を国民は望んでいるのではないでしょうか?
識字率90%の良識有るミャンマーの国民が・・・
水江

カンボジアから・・・安斉先生の気まぐれ通信♪

先日、偶然にオートギャラクシーの水江氏とプノンペンでお会いしました。その時、言わば在住者だから解るカンボジア気質といった話で盛り上がったところ、帰国後、水江氏からブログの依頼があり、誠実な水江氏のお人柄から快諾しました。その時、小生からの返事に一期の出会いは何かのご縁と、投稿をシリーズ化したいと申し出ました。小生、ちょっとずぼらなところもあり、気まぐれ通信となるかもしれませんが、水江氏とのご縁を大切にして息の長いものにしたいと願っております。
言葉で出会うカンボジア-1-
image002.gif  チョムリアップ・スオーimage004.gif スオスダイ
「間違いだらけのクメール語」とは言わないまでも、「間違いやすいクメール語」理解はあります。
 さて、旅行雑誌を除くと「カンボジア語会話」というコーナーがありますが、短期間の旅行者にとっては、読み物であっても実用的ではありません。なかには、『えっ、こんなこと聞いたことがないよ』というのも載っています。

例えば、「おはよう」「こんばんは」などのカンボジア語、現地の人に訊くと『これは、テレビやラジオで言うだけで、普段誰も使いません』とのことでした。どうやら翻訳造語のようです。
 この一言があれば、クメールの微笑みが返ってくる、そんな言葉があればいいのです。
旅行雑誌の会話でコミュニケーションならば、今、流行の「指さし会話」のほうがずっと役立ちますし、変な発音で誤解されることもありません。
 今回の挨拶言葉は、クメール語の紹介ページがあれば、かならず出てくるポピュラーもの。でもこれも使い方次第でちょっとディープになります。
『チョムリアップ・スオー』とカタカナ御発音でも胸の前で合掌すれば、先ずは通じます。これは朝から夜までの万能挨拶語で「こんにちは」と翻訳されることが多いですが、本当は日本語の「初めまして」に近い、または「お久しぶりです」といった改まった挨拶語です。

これが終われば、次の日に訪ねて行って、同じ挨拶語を言う現地の人はまずいません。
ホテルなどで朝会う従業員に「チョムリアップ・スオー」は滑稽です。ならば「Good Morning」のほうがスマートです。当地に住んでいるとカンボジアとは挨拶の少ない国だ、思ってしまいます。一度知り合いになると、我が家にぬーと入ってきて、ぬーと消えてゆくことが多々あります。
そのため、「おい、一言、言えや」とムッとすることもあります。元々、隣近所の付き合いしかない農民が圧倒的に多いのですから訪ねる人も訪ねてくる人も、そして会う人も小さい頃から知っているという間柄なので、挨拶無用なのでしょう。

 でも挨拶もなく黙って会えないよねーという人に便利な言葉がという人に便利な言葉があります。
スオスダイ、これは、二度目以降に会う人への挨拶としては、まず万能に近いです。知人、友人ならば「やあ」に近いし、よほどのお偉いさんでなければ、「こんにちは」になります。そして時間を選びません。
カンボジア・竹と風の学校:校長
現地発行旅行誌D.A.C.マガジン:編集長
安 齊 恭 夫
(現地在住:2002年~)
*「カンボジア・竹と風の学校」については、ネットで検索し新聞記事をご参照。
クメールの微笑み(アンコールトム・バイヨン寺院)
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あいさつ:カンボジア・竹と風の学校
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