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奈良の世界遺産めぐり
奈良の世界遺産めぐり
日本の国宝の5分の1は奈良に有ると言う。
“仏像見るなら奈良、庭園見るなら京都”に習い数十年前に訪れたことも有る世界遺産に登録されている日本有数のお寺を4日間の駆け足で回ってみよう。と言う事で興福寺、春日大社、東大寺、元興寺、薬師寺、唐招提寺、法隆寺等を目的とした。
さすがにどの寺も1.300年以上昔に建立された木造建築、日本人が誇りとする教科書にも出て来る名寺ばかり、そこに安置されているどの仏像も神秘的で奥が深く恐れ多くテーマに出来ませんでした。
この薬師寺は世界遺産にも登録されている法相宗の大本山、本尊は薬師如来、開基は天武天皇だそうだ。拝観料1.100円を払って中門をくぐって国宝の金堂の中に入る。すぐ目の前に薬師如来像、日光、月光菩薩の薬師三尊像が鎮座されておりました。観光客が少なかったせいも有りゆっくりと拝観出来た。つややかな黒褐色の光沢のある優しそうなお姿にしばし時を忘れる。
インドからはるばる日本へ来られた薬師如来は仏の世界のお医者様、両脇の日光菩薩と月光菩薩の看護師とチームを組んであらゆる悩みを直して下さり余人の願い事をかなえて下さる仏様だそうだ。“今助けて下さる仏様”だそうだ。僕は厚かましくここでも“健康と仕事の安全”をお願いした。
お参りをしている中で、薬師寺で写経道場が有る事を知りました。写経道場の場所を聞くと道を挟んだ先にあり広々とした敷地に赤い建物“お写経道場”の看板が掛かっている。“チョット敷居が高いなー”“字の下手な僕にその資格が有るのか?”“写経中のぞかれるのも嫌だし”等と苦手意識が頭をかすめるがエエイ!と玄関を入った。そこには数人が順番を待っていた。受付の女性も忙しく対応している。さあ僕の番だ!2.000円を納めて“輪袈裟”を首にかけ何か木の実を口に含みいざ道場へ、既に数百人の人達が熱心に細い筆で半紙に向かっている。
半紙の下には“般若心経”の手本の下書きが有る。それをなぞって書き上げていくのだ。毛筆など数十年使っていないが“恥ずかしがらず気持ちで書け!”もう一人の自分に励まされ1時間半ほどで書き上げた。書き終えた他の人に見習って中央の納経台に収める。順番に重ね置く為当然前の人の写経が見える。既に提出されている写経は物凄く上手い。信心深い人達はチョクチョク書いているのだろう。兎に角終わった。久振りに清々しい気持ちになった。少々戸惑ったが書き上げてよかったと思った。再び受付で“この写経はその後どうなるの?”“薬師寺のお写経はお納め頂くと復興された御堂の中で永代供養されます。”“へーこの薬師寺で永代供養される?とんでもない力を貰えるような気がした。
水江 一正
伊勢神宮への初詣
伊勢神宮への初詣
今年の初詣では日本人の総氏神様“天照大神様”をお祀りしている伊勢神宮へお参りをしよう。昨年末より情報を集めて見た。
日本一の大神様への初詣で日本中から参拝客が押し寄せるだろう?色々アクセスを考えてマイカーはあきらめた。
伊勢市駅前のレンタカー会社のスタッフが外宮近くまで乗せて行ってくれた。位置関係が良く判らなかった僕にはこの上ないくらい親切だった。
外宮を回り内宮へはシャトルバスがピストン運転をしている。全国から参拝に来ているマイカーの交通渋滞を窓左に見下ろして専用レーンをスイスイと10分程で到着。
五十鈴川にかかった宇治橋を渡りいよいよ大鳥居、
五十鈴川を見下ろして
先ず深々頭を下げて参拝のご挨拶。間もなく手水舎がある。
“柄杓を右手に持ち左手を清めそして右手を清め、口をすすぎ、もう一度左手を清める残った水で柄杓の柄を洗う”さあ!身を清めていよいよ参拝だ。正月の参拝は初めてだ。
改めて境内を見回す。全国の神社の中でも格段に格式が違う、と言う意識が有るせいか凛とした澄んだ静寂と全てを許してもらえそうな居心地の良さを感じる。
“日本人”で有る喜びを感じる。全ての参拝者がこの場の威厳に圧されて小声の会話になる。真っ直ぐ伸びた1.000年以上の杉の大木を両側に人の流れに添って右側を歩く。
整然と右側通行・・
さすがよく整備されていて自然と背筋が伸びる。昨日雨が降ったのか参拝者の為に散水したのか玉砂利は少し湿っておりほこりも少なく歩きやすい。
“天照大神様、今から2.000年前奈良の都、皇居内でお祀りされていたが“倭姫の命”がよりふさわしい場所を求め諸国を巡りました。
伊勢の国に至った時に”「伊勢の国は素晴らしいのでこの国にしようと思う」とお告げが有り五十鈴川の川上に御宮を建て伊勢に鎮座された”とある。
“神楽殿”元寇の役の際、神風を吹かせたと言われる神を祀っている。日祈宮を御参りしていよいよ正宮、皇大神宮だ。参拝客の行列が出来ているのですぐに判った。
予想通りだ、かなりの参拝者の数だ。何十分かかったのか階段を一段づつ半歩づつ前の人の流れに合わせてゆっくりと登って行く。しかし不思議とストレスは感じないし警備の人もマイクで”お急ぎの方は右の階段で上がって下さい、その代り正面での参拝は出来ません”と注意を呼び掛け続けている。慣れて周りを見ると横からするすると待つことなく階段を上り祭壇近くで割り込んで来ている参拝者も居る。“大神様この様なふらちな人達にも幸せが来ますように!”と太っ腹な気持ち、本宮正面で手を合わせた。
二拝二拍手一拝いざ手を合わせるとお願いが多くて纏まらない。身体健勝と事業隆昌をお願いしてもう一度丁寧にお礼を申し上げて場を離れた。
・・何とも清々しく感じた。気温が低いせいも有るが62万人の参拝客全員が“今年こそは”と同じ願いが知らず知らずそう言う気持ちにさせてくれているのだろう。
今年最大の初イベントが無事終わった。
さてこの後、食事をして帰京するのみだ。参道に続いているおかげ横丁で昼食を考えたがどこも満員、
折角だから雰囲気だけでもとレトロな街並みに添ってビール片手にふわふわはんぺん、焼き鳥、コンニャク羊羹等などの買い食いをして・・これだけ人を集めて貰える商店街何をやっても売れそうだ。
有名な”赤福”の店
権利金はスゴイのだろう?等と考えながら。新幹線の時間を気にしながらシャトルバスで伊勢市駅に向かった。
PM14:00過ぎまともな昼食は取っていない為、小腹が空いているが食堂らしき店が無い。ふと気が付くと古い建物のうどん屋が有った。丁度良いうどんでも食おう。
しかし入口には6組、7組の客が並んでいる。後で知ったのだがこの店伊勢うどんで有名な“山口屋”だった。20分以上はマッタだろう?やっと順番が来た。
メニューの写真を見た。麺はいつも食するうどんの2倍近く太いし軟らかい出汁は真っ黒??・・何だこりゃー??しかし店先には相変わらず行列が出来ている。
きっと名物で美味しいのだろう?僕はきつねうどんを頼んだ。聞くと煮干しやサバ、鰹節から出汁を引いた秘伝のたれで毎朝その日の分だけを自家製麺で1時間かけて茹でるのだそうだ。・・出しは旨いがうどんに腰が無い。
きつねうどん
スーパー等で売られている鍋焼きうどんの様だ・・これが並んで食す伊勢うどんか?と妙に感心しながらも完食した。
時間を見るとPM15時少し前だ。名古屋発新幹線は?17:02分・・急ごう。しかしこの伊勢市駅から名古屋行は1時間に1本しかない?(しまった!考えもしなかった)
それも次の電車はPM15:25分・・直ぐ乗り換えられても10分遅刻だ!駅員に相談したが空席があれば変更可能だったが正月休みで指定席は満席とのこと、取りあえず名古屋駅まで行った。座って帰れる方法は?こだまの自由席なら?・・・空いていた。豊橋、浜松、掛川、三島・・等の各駅停車だ。1時間余計にかかったが無事東京駅に到着した。
着席できずデッキで100分立ちっぱなしを覚悟していたがヨカッター!・・これもヒョットシテ?
今年は“おいせさん”の“ごりやく”を頂けそうだ。
今年は良い事が有りそうだ!(^。^)
水江 一正
”電力の鬼”松永安左エ門
8月14日はもう帰宅予定日だ。
船の便数が少なく否応なしにAM11:30発のジェットホィールで帰らねばならない。
宿の主人に1時間少々で観るところを聞いた。4分~5分のところに“松永安左ェ門記念館”が有るとの事。面白いから行って見たらどうですか?恥ずかしながら松永安左ェ門?聞いたことが有るような無いような。4分~5分のところに有ったまわりよりやや大きめの普通の住宅の為通り過した。来館者も少なく館長らしきオジサンが色々説明をしてくれた。
松永翁の遺品の数々
この人物の事が好きで仕方がない様子。来館者が少なかったせいも有りつきっきりで・・この壱岐の島の出身者らしく後に日本の電力業界を動かす“電力の鬼”と言われた人物らしい。国家管理されていた電力をGHQを味方にして分割民営化したり“産業計画会議”を主宰して今の日本の基礎を造った1人らしい。
当時民間主導の電力会社を起こし後に日本を動かす“電力の鬼”と呼ばれる人だった様だ。その後電気事業は国家管理に置かれる政策が取られ東邦電力の解散を機に現所沢で茶道三昧に明け暮れた。その後、池田勇人、木川田一隆らと一緒になって日本発送電公社が分割民営化を実現させた。昭和26年には“産業計画会議”を主宰し東名高速道路、名神高速道路の計画をした。・・とある。昭和26年と言えば日本に自動車が41万台道路は穴だらけ、ほこりだらけの人力車や牛や馬が荷物を運んでいた時代に現在8.000万台の自動車が行きかうイメージを持って居た人だ。
当時九州の路面電車
その先見性と行動力は卓越している。それだけに敵も多かった様だ。福澤諭吉の親戚から500円借りて「福松商会」を立ち上げ商品ブローカーや石炭で大儲けするがその為にインチキしたり談合破りをして拘置所にぶち込まれたり、日露戦争後株に手を出して大儲けするがその後大暴落して破産するが2年足らずで財界に復帰して九州北部の電気事業を掌握する等など聞けば聞くほど破天荒な人生を歩んだ人らしい。時にヤクザの女房を囲い命がけで守った等などの話を聞いた。ピンチを潜り抜けるたびにヒントを掴む明るい性格で肝が据わり美男子の為女性関係も派手で作家“梶山季之”が小説にしたらもっとも面白い財界人物と言わしめたとの事。それやこれや大きな人生の浮き沈みが有り最後の総決算としてなんと終戦後74歳で国を建て直すとの強い思いで当時の総理大臣吉田茂と対立しながらもGHQを取り込んで民間主導の電力会社の分割民営化を成し遂げたそうな。
松永の話を聞く”経営の神様”松下幸之助
その他政財学官トップで構成する「産業計画会議」を主催、専売公社の廃止、国鉄民営化、高速道路の整備など今の日本の基礎を築いた人らしい。「電力の鬼」と呼ばれた凄まじい人生を送った人だ。日本人の74歳と言えば退職後の人生を考え年金はナンボ入る?何処かにアルバイト先ある?等と考える人が大半の様な気がするが。彼には資金提供者も取り巻くブレーンもしっかりした人が居たんでしょうね?そんな大物がこの小さな壱岐の島の漁村から出生したらしい。・・この島の人達の誇りは判る気がする。
水江一正
神々の宿る島”壱岐”
神々の宿る島壱岐、三度目の訪問
今年の暑さは尋常ではない。その上、弊社が扱っているマイクロバスレンタカーの動きが活発であった為7月の下旬になりやっと夏休みのスケジュールが組める事になった。しかし沖縄も北海道もこれからの予約は難しいだろう。地図を見てどこか島にしよう!魚は旨いしロマンの有る壱岐の島はどうだろうか?今度行くとなると3度目になるが何故か気になる島である。
早速ホテルの予約だ。やはり上位ランクのホテルは全て満室、マイクロバスを買って頂いた宝来荘さんも満室の案内が出ている。電話してもいつも話し中、相当忙しいのだろう。
今年はダメか!しかし間際になればとキャンセル待ちを狙って7月末に何件か電話を掛けたところ“旅館網元”で今キャンセルが出たとのことラッキー!!人気ランキングも悪くないし予算もほどほど・・と言う訳で早速予約した。しかし博多から島へ渡る船の本数が少ない為PM16:00のジェットフォイルしか取れなかった。島に着くとPM18:00過ぎ、予約をしていたレンタカー屋と契約して旅館着がPM19:00過ぎになってしまった?いつもこれだよ、1日目を無駄にしたような気分等と反省しながら取り敢えずザブンと一風呂浴びた。かろうじて夕食には間に合った。
今日半日を過ごした博多の温度は36度とめまいがする程暑かった。船待ちの間、櫛田神社や川端通り商店街など博多市内を回っていた為相当汗をかいた。


先ずビール!ハーイただいま。配膳されている料理、刺身の盛り合わせアワビの地獄焼き、揚げ物、焼き物等かなり豪華だ。ア~ウメ~!この一杯の為に毎日遅くまで働いている気がした。この宿は老舗旅館ではないが若いカップルには人気が有る様だ。お客様の年齢層が比較的若い、料理は結構ボリュームが有るし若女将は気さくだ。この島には独特の“シマトク通貨”と言うのが有る。観光案内所で現金を両替してスマホで支払うと20%の割引になる。かなり大きな割引だ。前回は帰る間際に知った為失敗したが今回はシッカリと初めに交換をした。
朝一番の訪問先は“月読神社”この島有数のパワースポットだ。


古事記にも記されているらしいイザナギ、イザナミのミコトから最初にお生まれになったのが天照大神、次にお生まれになったのがここのツキヨミのミコトそしてその弟がスサノウのミコトだそうだ。この神は三貴神と呼ばれ他の大神とは別格だそうだ。小さな神社だがそのいわれが本当らしく背筋を伸ばしキリットして御参りをした。
又この島には多くの古墳がある。それも旧石器時代までさかのぼる程の古墳群だ。その一つが原の辻遺跡だ。


登呂遺跡、吉野ヶ里遺跡に並ぶ特別遺跡だそうだ。“魏志倭人伝”にも記されているらしく小学校の教科書にも載る。詳しくは“一支国(いきこく)博物館”で見る事が出来る。大陸との交通の要所で早くから技術や文化が取り入れられているとの事。巨大なスクリーンで当時の生活の説明が有り面白かった。上映後、観客より〇〇年頃の中国の朝廷は?とか当時の平均寿命は?とか面白い質問が飛んでいた。1万数千年前~2300年前、台湾や大陸から日本列島に移り住んでいた丸顔で鼻が高くえらが張っているのが特徴だそうだ。
先日の新聞で日本の貝塚で見つかった女性の遺伝子がラオスやマレーシアの遺跡で見つかった遺伝子と似ているとかいずれにしてもここに展示されている30Mほどの小さな木船で良くたどり着いたものだ。久々歴史の勉強をした。もう昼過ぎだ少々小腹が空いた。帰りに立ち寄る予定にしている“あまごころ壱場”と言う島内最大の土産物売り場が有る。
この島に来ると必ず立ち寄るところである。少し改装したらしくウニを中心として品数も増えていた。兎に角この島はウニとイカとマグロが旨い。ここの2階に“ウニ屋”と言レストランが有る。ここのウニ丼は地元のムラサキウ二を中心に世界のウニを10g単位で計り売りしてくれる。チリやアルゼンチン、メキシコ等からも輸入されているらしい。10gづつ色々頼んでみた並べて見れば色とか大きさは幾らか違うし食べ比べて見ると濃厚さや甘さが少し違う気がするが1種類単品で出されても判らないと思う。東京ではミョーバンタップリの苦いウニしか食べて居ない僕にとってはチョッピリリッチな食事であった。
時計を見るとPM3時を少し回っていた。ここ壱岐の島は麦焼酎発祥の地であるここからの帰り道に蔵元の一つ“壱岐の蔵酒造”が有る。当地では有名らしいし当然本日の日程に入っている。世界が認めた“産地指定”だそうだ。



例えばウィスキーはスコッチ、ブランデーはコニャック、ワインはボルドーの様に焼酎は壱岐焼酎と熊本の球磨焼酎そして沖縄の泡盛が指定されたそうだ。壱岐土産にはぴったりだ。最近焼酎はあまり飲まないが試飲コーナーがあったので意地汚く価格の高い焼酎から何杯も試飲した。“美味い!”グラスが小さいので口で含んでゆっくりと味わうせいかどれも格別美味しく感じる。責任者が細かく丁寧に説明をしてくれる。納得した。へ~これが本物の焼酎の味か?・・等と感じる。自分でも判りやすい性格だと思う。何本か土産用に宅配を掛けてそしてここでスマホを出して“シマトク通貨”を使う1万円で2千円引きになるかなり得した気がする。時計を見るともうPM4時過ぎだボツボツ宿に帰らないと・・港で借りたレンタカー“日産ジューク”に乗り込んだ。15年式でコンディションは良い、しかし“わ”ナンバーで無いのが気にかかるが?・・保険には入っているだろうマッイイカ?今日の刺身料理は何だろう?等と仕事を忘れて空っぽの頭で考える。今日一日、至福の時間でした。
水江一正
久し振りの小豆島
久し振りの小豆島
エンジェルロード・・天使の散歩道?
今日は少し強行スケジュール朝6:00過ぎ朝食なし朝一番の小豆島向けの高松港フェリー乗り場へ向かったが年末のせいか大型トラックもかなり乗り込んでいる。ここのフェリー一日約1時間おきに15便の就航が有る。朝食はフェリーの中でうどんとお稲荷さんで済ませた(ハッキリ言って美味しくない)。人口14.000人少々のこの島に約1時間おきにこれだけの大型トラック、一般車両が運び込まれてる。
小豆島には50年ぶりに来た。
土庄港について早々感じたが他の島と違い魚の匂いがしない。普通港に着くと漁船が多くそこら中に干物を干しているイメージが有るものだがそれが無い。
いつもの漁港らしくない
名産はオリーブ、醤油そして手延べソーメンだ。チョットオシャレな島という感じ・・
早速四国の見どころTOP7の一つ“エンジェルロード”・・自分の年を考え今サラでもないが港から近いので寄ることにした。しかし残念!時間が早すぎて未だ潮が引いておらず散歩道は一部しか繋がっていなかった。
この島の見どころの一つに醤油で全国区の丸金醤油が有るが
丸金醤油さん
その他小粒では有るが輝いている醸造醤油屋で150年以上続く杉桶仕込みの“ヤマクロ醤油”と言う工場が有るらしい。カーナビでセットしたが迷って迷ってやっとたどり着いた。
想像したより小ぶり?
小ぶりな醸造元である。菌を外から持ち込むといけないので入口で丁寧にほこりを払ってもらい薄暗いモロミ蔵へ案内して貰った。高さ2m以上の杉樽の回りや壁にはびっしりと酵母菌が付着している。
びっしりと菌が付着
蔵はうす暗くあまりきれいな感じはしない。
薄暗い室内
説明を聞くと現在大手の醤油工場は殆どスティールのタンクで大量生産をしていて杉の樽を使っているところは無いらしい。これだけ大きな木の樽を造っている業者はもう日本では1軒から2軒しか無いらしい。
貴重な”樽”
今使っているこの樽も後数十年でダメになるとの事でここの社長は自ら樽工場に弟子入りして次の世代の為の杉樽を造っているとの事。若いのに相当なつわものだ。
この島の醤油はもともと大阪城築城に当たり石を切り出す為に訪れた人達がもたらしたとの事。瀬戸内海の晴天少雨な気候で良い塩が採れる。そして近県から集荷できる品質の良い大豆、小麦等が揃い今はブランド化しているとの事です。
見学を終えて試飲・・醤油なんてどれも同じ?と思っていたがこの豆は丹波の黒豆を使って・・等々と色々説明を受けながら小皿に有る醤油を付けて指をしゃぶるとなるほど違う。
試飲の醤油が無造作に並んでいる
当然土産にと4本セットで〇〇〇円、容器も小さく少々高いがたまには小豆島のブランド醤油も・・と買って帰った。持ち帰った醤油は今まで使っている醤油と分けて刺身、冷奴、卵かけごはん、おひたし等々とじかに味わえるものに使っている。確かに美味しい気がする。暫くしてフト、テレビを見るとあのNHKでここの社長の苦労話が放映されていた。アッあの社長が出ている。この醤油に非常に親近感を持てた。今ではこの醤油、食卓の真ん中に置かれ美味しく食事を楽しませてくれている。アッソウソウこの蔵を訪れる前には納豆を食べてはいけないらしい。納豆菌は強すぎてここの主役の酵母菌や乳酸菌を脅かすそうだ。
僕がお気に入りの”ヤマロク醤油”さんのHP
小豆島と言えば“二十四の瞳”の映画村、
”二十四の瞳”映画村
この島の分校で女教師を演じた高嶺秀子扮する大石先生と12人の子供たちのドラマだ。
”二十四の瞳”のポスター
僕も小学生だったのでストーリーはあまり覚えて居ないが小学校の推薦映画で見に連れて行かれた事を覚えている。

新任の女教師をこの子供たちが落とし穴を掘って怪我をさせる。・・くらいなレベルの見方しかしてなかったが実は反戦をテーマの映画だったらしい。田村高広、月岡夢路等の当時の大女優も出ていたのを今知った。
映画村の中は建物や日用品等、昭和の時代をそっくり残しており
子供の頃を思い出す!?
食べ物の少なかった戦後の子供の頃の何とも言えなさを思い出させてくれた。古い木造の分教場にはベルの代わりに木版を木槌でたたいて授業を知らせる等

校庭には今でも遊べるように竹馬や自転車の車輪回しが置いてある。僕も子供の頃には竹馬の経験はあるので試してみたが竹は回るし立ち上がるまでのバランスが取れなくて危ない。当時僕は竹節3段位まで乗れたのに・・しかし意地を張っても仕方がない怪我をする前に辞めた。
それにしても目の前の穏やかな瀬戸の青い海も素晴らしく気持ちが癒された。ギャラリーには昭和30年代の映画俳優の写真が多く飾られている。当時僕は松竹では無かったが片岡知恵蔵、長谷川一夫、嵐寛寿郎等主演の映画を多く見た覚えが有る。あの映画は誰と見たっけ?思い出そうとしたり・・そう言えば僕らの英雄、アラカン扮する鞍馬天狗は角兵衛獅子をしている美空ひばり(杉作)を連れて新撰組と戦っていた。今考えると鞍馬天狗は尊王攘夷派の志士だったのですね?子供の頃にはそんな意味も分からず”勧善懲悪”で最後は悪をやつけてくれると信じ見ていた、等と次々と子供の頃を思い出す。
この映画村の中に土産物を売っている茶店が有る、名産の醤油のアイスクリームを食べながら久し振りに心豊かな気持ちになった。
醤油のアイスクリーム
のどかに過ごしていたら昼近くになった。次の目的地を目指さないといけない時間になった。しかし折角来た小豆島旨いものでもを食って行こうと地元の人に魚料理の美味しい店を教えてもらいナビをセットして訪ねて行った。・・残念2件とも休みだった。そうだよね?今日は12月31日でした。では早く高松に帰り食事に有りつこうと急いで土庄港のフェリー乗り場に向かった。残念!大きなゲートが上がりフェリーがゆっくり離岸始まったばかりだ。これで全く無駄な1時間待ち!!遅い昼食は又まずいフェリーのうどん!?
水江 一正
”うどん県”と金毘羅詣で
キツネうどんと金毘羅詣で!
“騒ぐ年、酉年”の年末が来た。やはりこよみは当たるのか?弊社も色々の事が有り大変だった。しかし良い経験をした。
今年も年末近くになり息抜きの旅行、今回は四国を選んだ。今年も旅行業者には頼まずに往復のチケットは行きは高松空港、帰りは高知空港でまずは搭乗券を確保出来た。さて宿泊旅館が問題だ。NETで見てやはり良さそうなホテルは殆ど業者に抑えられている。しかし空いていると何故か不安になるがレビューをチェックして妥協する。“今年は少しグレードが下がるような気がする。
”温泉に入って時間が来れば食事”と・・気まま旅と言う訳で12月30日PM12:30頃高松空港に到着した.
日頃利用しているタイムズレンタカーのカウンターで“讃岐うどん”の美味しい店は?するとカウンターのお姉さん“すぐ隣に有ります。
地元で有名な”かわたうどん”
市内へ行く途中にも沢山ありますが隣の店も有名ですよ”歩いて2分、丁度昼時と有って20数人程が並んで行列が店の外まではみ出しているいる。
店の外まではみ出している行列!・・何時間待ち?
しかし店の造りは結構大きいし、さすがうどん専門店だけあって回転は速い。

12~13分程の待ちで席に着けた。店の造りの割には意外と品数が少なく気をてらわないところがイイ!好物の“きつねうどん”を注文した。

僕の大好きな”きつねうどん”
結構時間が掛かっている。注文を受けてから麺をでるらしい。店内を見回して見るとオデンの鍋や”お稲荷さん”が有り勝手に取ってきて後で櫛の本数で計算をするらしい(回転寿司と同じルール?)。ネタはスジ、大根、ナルト、コンニャク等関東と同じ種類だスジと大根、コンニャクを取って来た。出汁が違う薄口だが良く煮込まれて旨い・・待っていても苦にはならないし店も手がかからない・・上手いこと考えたものだ。その内きつねうどんが来た。どんぶりを覆うような1枚の大きなあぶらげその下にうどんが有る。かなり太麺だ、僕はラーメンでも麺にスープが良く絡む細麺の方が好きだ。しかしこれが讃岐うどんなら仕方がない。コシの有る麺を2~3本すくいよく噛んで、噛んで、噛んでスープ一緒にゴクリそして大きなあぶらげを一口これも薄味だがしっかりと出汁を含みジュワ―と一緒に甘みが口の中に広がる関東と違い薄口の出汁だが旨い!この地域の出汁にはコンブ、カツオの他イリコが入っているらしい。青魚には独特の匂いが有るらしいが何らかの方法で料理されているのだろう。美味しくてどんぶりの出汁を残さず頂いた。取りあえず“日本一のうどん県”香川の名物を先ず食した。関西に来た気がした。
さて今日の予定はここから40分~50分の先の“讃岐の金毘羅さん”の御参りだ。階段は全部で1,368段である。このスケジュールを決めた後、ハッキリ言って後悔をした。本宮まで“785段”の階段は絶対上らなくてはならない。毎日通っている弊社2階までの20段の階段でも登り切って一呼吸おいて2歩目を歩き出すのに・・下調べしたら途中まで「かご屋」が居るとか?しかし人の助けで御参りしても御利益はなさそうだし・・途中の店で“杖”を貸してもらえるともある。お年よりも多く御参りしていると聞く。
門前町にはいくつかの有料駐車場が有るが商店で土産を買うと無料になるとの事。

駐車場の呼び込みも必至である
さてと階段を数歩登る、
この階段・・ホンノさわりです!
この調子で780段か?等と思いながら登って行く途中参道の両側には商店街や飲食店が有り所どころヒッカカリながら登って行くと意外と進んでいる。商店街でビールも売っていたがさすがに今回は“ナマツバ”ゴクリで我慢した。
有名な”金陵”の店・・構えもGOOD!
小学生くらいの子供たち元気、元気“オバアチャンハヨウハヨウ・・あと何段?”等の会話が回り中で聞こえる。
僕にもこんな時代もあったよね~
若い男女のアベック達も多かった。何故か男の子より女の子の方が元気に見えたのは今の世の中かな?途中には“五人百姓”大きな傘をさしてべっ甲アメを売っている5人のオバアチャンが居る。何と800年前鎌倉時代から続く由緒正しい店だそうだ、境内で唯一店を出す事を許されているとの事。
”五人百姓”・・名前の由来は?
その後宝物館や表書院を見て、もう何段上ったか判らないが相当登ったと思う。やっと着いたと思った社殿は旭社とか言う別の重要文化財であった。
”旭社”
そこを過ぎると最後に百数十段の急階段となる。何回か御参りしている参拝者が“お爺ちゃんこの上だよ!”と声を掛け合っているのを聞いて階段を見上げると少しづつ本宮が見えて来始める。やっと無事着いたか!の気持ちと妙な達成感を感じた。参拝で達成感を感じた事は今までは無かった。
金毘羅さん”本宮”
ところで“金毘羅さん”は有名では有るが何の神様?実はあのヤマタノオロチを退治した“スサノウノミコト”の子供でイナバノ白ウサギでウサギを助けた“オオクニヌシノミコト”だそうだ。本来は“海の神様”で漁業、航海等海上の安全の神様だそうだがそのほか農業殖産の神、医薬の神、技芸(音楽、芸術)の神でも有るそうだ。即ちどんな願い事に関してもご利益があるそうだ。そう言えばオオクニヌシノミコトは白い大きな袋を背負っていらっしゃったからね?
785段の急な階段をコツコツ登って来ただけあって何かご利益が有りそうな気がする。
本殿までの最後の”階段”
しかし今年も又年末の御参りになった。
今日は12月30日だそのご利益、後2日で終わらなければ良いが・・
水江 一正・
輪島の朝市と白米千枚田!
輪島の朝市と白米千枚田
白米千枚田・・コントラストがサイコー!
輪島の朝市はAM8:00~PM12:00頃までやっているらしい。ここから120㎞で高速道路を使って2時間程だ。
市場近くで道に迷い山道に入ったので近くを歩いているオバアチャンに車を留めてドアーを半開きにしたまま道を聞いていた。
その留め方が悪かったのか巡回をしている石川県警のパトカーが来て不審尋問。訳を話すと快く市場までパトカーで先導してくれた。親切なお巡りさんだしっかり駐車場まで先導してくれた。既にその駐車場には白い大きなビニール袋を2つも3つも抱えて自分達の車を探している観光客で一杯だ。何となく“面白そうだな”道の両側に常設店舗が有りその前に400Mほどに渡り簡単なテント張りの出店が200軒程並んでいる。


ここが1.000年以上の歴史の有る朝市か?と感心しながら一通り見て回った。

大きく分けて生鮮魚、加工食品、農産物そして工芸民芸品に分かれている。時間が遅かったせいか生鮮魚店ではモズクとかアジの開きとか煮干し等、これなら2~3週間売れなくても問題なさそうな物が並んでいる。

農産物はキャベツが5~6個、いんげん豆、きゅうり、にんじんがそれぞれ20本程盛られている。余り迫力はない。
新鮮野菜!”コーテクダ~”
加工食品等は当然卸問屋から仕入れてここで販売されているのだろう。普通の小売り店と同じだ。工芸民芸品は常設店舗の商店だ。少々がっかりした。日本有数の“輪島の朝市”僕が期待したのは生鮮魚店では近くの輪島港で水揚げされたばかりのイカとか甘エビ、のど黒を目の前でさばきながら人だかりの熱気の中で売り買いしていると思っていた。しかしここで店を出している人達は漁師の関係者とはまた違う様だ。この場で相当永く商っているのだろう人の良さそうなオバアチャンの“コーテクダァー”の声につられて僕もこの後の旅行の酒の肴にホタルイカの干物を買っておこうと思い声を掛けた。


時間が遅かったので干物しか残っていない?
値段は書いていない。コレイクラ?無造作にその干物3~4匹を僕の手に乗せて旨いやろ?買う気になっていたせいか旨い!はかりにかけて大雑把にハイ500円、お金を払うと更に一握りのホタルイカをサービスしてくれた。これが観光客をひきつけているのだろう。その場で試食これが結構うまい、量も多かった為旅行先で食べきれず我が家に持ち帰って今でも酒の肴にしている。ここのオバアチャン達毎日ここに店を出しているが売れても売れなくても良いのかもしれない。多くの観光客とかかわっているのが楽しいのかもしれないと思った。“オバアチャンもっと安くしてよ”等と観光客も値切っているが本気の様子でもない。ノドかな日本の一コマに参加した気がした。
そしてここからもう一つの目的地“日本の原風景”と呼ばれる“白米千枚田”が有るらしい“世界農業遺産”にも登録されている。ここから7~8㎞の距離で“日本の美しい棚田10選”に選ばれているそうな。20分程で道の駅“千枚田ポケットパーク”へ着いた。


NHKの朝ドラ”まれ”の舞台だそうだ
店は広くなくかなり混んでいる。イートインコーナーもあっておにぎりとソフトクリームが良く売れている。


やはりここに来たからには”おにぎり”でしょ~
やはり棚田に来たならここで採れたおにぎりだろう?しかし先ほど輪島の朝市で色々つまみ食いした為余り腹は減ってない。梅、岩のり、キャラブキ等の中から岩のりのおにぎり1個180円を買った。少し大きめのおにぎりだ。みずみずしくモチッとした食感だ、“ウマイ”と感じたのは先入観かこの店で毎日大量のおにぎりを造っている技術なのか又は本当にこの米が美味しいのか?判らないが美味しく感じた。


千枚田の近くにある”塩の駅”・・ここの粗塩(てんぷらに付けて美味しく頂きました)
そして棚田の遊歩道へ“ワ~いいな~”普段東京でビルしか見て居ない僕には久し振りにすごく新鮮?いや自分の子供の頃の風景を思い出させてくれた。昔、出身地である岡山で町からから少し行くと段々畑が有りタオルと麦わら帽子をかぶったお爺さんが機械を使えないその急な段々畑を一日何度もクワを担いで往復し、狭い畑をコツコツと耕していた姿を・・まさしく我々の年代が知る日本の原風景だ。時間がタイムスリップしたような気がする。
棚田10選に選ばれている
特に今は8月、緑の稲に穂が付き始めすぐその先が日本海、青い海とのコントラストも日本の棚田10選に選ばれている理由だろう。美しい!入口の立て看板には1,001枚の棚田で年6tの米が出来るそうな。
オーナー制で年2万円払うと10㎏の収穫枚を受け取る事が出来るらしい。その中には小泉純一郎氏、安倍昭恵氏等の名前が有った。
田植、稲刈りは全国からボランティアが参加しているらしい。何となく汗臭さも感じさせられる場所で稲刈りに参加して見たい気もした。時々東京のイベントで見る数十万個のLEDで飾られたイルミネーションより数十倍感動した。日本創生を言われ始めて数年になるが我々が余り身近に感じることが無い、余り目にする事が無く旅行先で人づてに聞いて来てみたが、この様な日本の原風景をもっとアピールして日本人はもとより外国人観光客に知ってもらい喜んでもらうべきだと思った。何となく我慢強く耐え忍びこれまでになった日本人である事を誇らしく感じた1日でした。
水江一正
夏休み!加賀120万石を観光✾
夏休み!加賀120万石観光
金澤といえば”兼六公園”
今年の夏休み当社では8月13日、14日、15日を中心に前後に分けてそれぞれスタッフがローテーションを組んでバランスよく休暇を取る事にした。今年は気にもしていなかったが8月11日(金)が祭日だ?ン?そんな祭日有ったっけ?2016年、昨年から出来たのだって。「山の日・・山に親しむ機会を得て山の恩恵に感謝する」日だそうだ。8月の真ん中を休むと一カ月の売り上げがダメになる?等弱気になり僕は11日(金)から4日間先行して休暇を取る事にした。
2年前に開通した北陸新幹線に乗り新鮮な魚と温泉に期待して予定を組んだ。
昼過ぎに金澤駅に着いた。その足で“鮮魚の近江町市場”へ直行!

全国には似た様なスタイルの市場は有るがこの市場の活況は特別だ。何処が違うのだろう?平均的には多くの鮮魚店が店を出して“安いよ新鮮だよ”だがここは各魚屋がイベント会場になっている。店員が客と一緒に楽しんでいる様だ。
外国人も多い・・特に欧州系
タクシーで乗り付けた入口の近くに有る数件の食堂はどの店も既に30人以上並んでいる。各店舗は15坪ほどの広さしかない。物凄い熱気だ!
入る隙間ナシ!
地元の客より駅に近いせいか大半が観光客だ。・・これでは昼飯どころか晩飯になるかも知れない。仕方がないので食堂はあきらめて何軒か有る魚屋を選んだ。そこに岩牡蠣、ウニそしてかなり大ぶりなこの地名産のボタンエビが山積みされている。
ナ、ナント1個1,500円の岩牡蠣!
ここも20人前後の客が並んでいるが回転は良い、威勢の良い掛け声につられてポンポンと注文して発泡スチロールのお皿に入った岩牡蠣とウニ、ボタンエビを受け取った。モチロン缶ビール片手に・・が座るところが無い!もたもたしていると押し出されてしまう。グッと踏ん張って1個1,200円の大事な岩牡蠣を落とさないように抱えながら(旅先だからついつい気が大きくなる、懐も緩みっぱなし)先ずビール・・外気温は33度~34度・・ウメェ~!そしてかなり大ぶりなミルキーな岩牡蠣が口一杯に広がる。タンパク質、亜鉛、ミネラル等栄養たっぷりと聞く・・何となく疲れた体に効いて来た気がする。行儀は悪いが「お祭り」だカンベン!近くで蒲焼のいい匂いがしている。ウナギを串刺しにして焼いている。

ウナギのかば焼きの匂いについ足が・・
暑気払いにはウナギ!・・と言う訳でウナギとキモの串焼きを頼んだ。もう一度夏に乾杯!この人ごみの中で不便な食事。しかし気ままでハッピーな時間だ。
そして赤い顔をして東茶屋街(街並みの文化財)へ
レトロな街なみ
志摩・・重要文化財である
この地域は軍需工場が少なく空襲が無かったのか茶屋街や武家屋敷などが昔のままで残っている景観保護地区だ。


志摩の室内
日本風の古い建物は我々日本人には何となく気持ちを落ち着かせてくれる。時々浴衣を着た若い男女を見かけるが違和感がない。観光客用のレンタル衣装だろう。特にこの地域、自動販売機もコンビニも規制されているらしい。食べ歩きも禁止とか、茶屋とは休憩所の事らしい。甘味の店、抹茶と和菓子、うどんそば、アイスクリーム、コーヒー、雑貨屋などが今もその子孫達が今風に進化させながら営業をしている。


全てのお茶屋さんが店舗に・・
茶屋には相撲茶屋、色茶屋等が有るらしい。特に我々が昔から良く耳にするのは色茶屋の事だ。部屋を貸して芸者を呼んで仕出し料理を取って散々遊んで料金は後払い・・一見さんお断り。旦那衆が金に糸目を付けず優雅に心地よい時間を過ごしていたようだ。
いくら請求が来るか判らない飲み方は到底我々には出来ない遊びですね?それにうつつを抜かして請求書を見てビックリ!財産を取り上げられたり家族離散したり・・芝居にもなっている。そりゃそうだ!後払いだから覚えて居ないよネ?今でも赤坂・六本木等で似た様な事件を時々TVニュースで目にします。
極暑の中、忍者寺にも足を運んでみたが予約制で2時間待ち
・・・なんだコリャ~(2度と行かない!)
さて今夜の宿は福井の芦原温泉だ。
福井県は日本一幸せな県らしい。“幸せな県”とは生活、労働、安心・安全そして医療等を総合した得点らしい。2位富山、3位石川県と北陸3県が上位を占める、ちなみに最下位は大阪らしい・・何となくわかる気がする。
僕はこの地方、雪の多い裏日本で産業も観光地も余りない暗いイメージを持って居る、しかし行けば変わるかもしれない・・と言う訳で“ホテルM”を予約して貰った。
当初、僕が他のホテルを直接予約していたが新幹線の予約が不安な為、O旅行社に相談したところホテルとセットで無いと扱えませんとのこと、仕方なく僕の予約したホテルをキャンセルして取り直したホテルだ。建物、庭園はきれいだ。これは期待できるか?と内心思った。この地方の湯は当然良いに決まっている、しかし露天が無い。室内の湯船は30人以上が一度に入れそうな大きな浴槽で全体が大きなガラス張りになっているが直ぐ前は巨大な白い建物が建っている。都心の古いアパートで窓を開けたら直ぐに隣の壁になっている、そんなイメージだ。ゆっくり湯につかり外の雄大な景色を見てくつろぎながら入るのを楽しみにしていたがこの風呂は息苦しく長湯は出来なかった。僕の楽しみな時間を取り上げられた感じがして腹が立ってきた。食事にアイデアは無いし従業員は暗いし、ゆっくりと“くつろぎ”の空間を求めて来た筈なのにコノヤロー!〇旅行者の担当者の顔が目に浮かぶ。
旅行上手な人達はNETを通して効果的な予約をしているらしい。NETを見ると旅行業者RとかJが画面をシェアーしている。ホテルも安定的に客を呼びこんで貰う為、安く部屋をそれらの業者に売っているのだろう。あるホテルに直接電話した時に現在空いているが〇〇旅行業者へ電話して下さい。空いているならすぐ貸せよ!良く判らない仕組みが出来上がって居るらしい。NET業者が丸儲けになる仕組みになっている様に見える。しかしそのルールも今は少しづつ変って来ており力のあるホテルは自力で集客をしている様だ。早く予約をすれば良いのだろうが僕らの休みは早くは組めないし。やはり昔ながらのオーソドックスな予約しか無いのか?少しづつ経験しながら本物の“おもてなし”をしてくれる旅館を探すより仕方がない。何となく理不尽なNET環境にストレスを感じながらビールを飲んで早めに寝る事にした。
水江 一正
ベトナム中部の世界遺産
ベトナム中部の世界遺産
世界遺産のミーソン遺跡
ミーソン遺跡とフエの建造物群
ホイアンのホテルでAM8:00にガイドと待ち合わせホイアンの南西30㎞トゥボン川の流域のジャングルの中にミーソン遺跡が有る。
約2時間でミーソン遺跡、気温はやはり36度以上立っているだけででじわっと汗が噴き出る、入口の案内図を見ると結構広大だ。
ミーソン遺跡の入り口
ペットボトルは必須だ・・観光客の中にはハイヒールで参加している人もいる・・信じられない!赤土のジャングルの中を歩くのに?
その遺跡の入り口までは電動カートに乗せてくれる。風が心地良い、
遺跡現場までの電動カート
このままグルーッと回ってくれればよいが?等と不謹慎な事を考えて居ると数分で到着した。
当時のチャンパ王とヒンドゥ教シヴァ神を祭るチャンパ王国の聖地だ。

煉瓦創りの祠堂が70を超えて有るとの事、これらの建築は全て煉瓦を積み上げて造られているがセメントやシックイ等は使われていない。


同様の遺跡が無数にある
大した技術だ、しかし現在修復中の煉瓦はしっかりセメントで塗っている・・造りはカンボディアのアンコールワットに似ていると感じたのは僕だけかな?

現在修復中
ミーソン遺跡は4世紀~13世紀、アンコールワットは12世紀どちらかが影響しているのだろう?隣国カンボディアのシェムリアップ~このミーソンまで約350㎞~400㎞位しかない。このチャンパー王国がシェムリアップに攻め込んだこともあると聞いた。いづれにしろたまに木陰はあるが日差しの強いジャングルの中で同じような見える建物めぐりは結構きつい、ガイドは地元出身で無い為か?建物の説明は何も無い、他のグループのガイドは泡を飛ばして説明しているというのに。
思わずよそのガイドさんの話を・・
気になったのはこの近くに軍事基地が有ったそうでベトナム戦争で特にこの中部地区は激戦区となり、このミーソン地区も相当な被害をこうむったとか今でもあちこちに爆弾による大きな穴が開いている。


アメリカ軍が落とした爆弾と爆弾の跡
その他、盗掘等も多く保存管理も悪く相当大きな被害が出たらしい。
破壊されてしまった遺跡
今色々な国から援助、協力が有り少しづつ復活し始めているがこの調子ではしばらく掛りそうだ。新しく修理された煉瓦の色は白く丁度人が入れ歯をしたように見える。色は同じでなくても似た様な色に細工は出来るのではないかと思うがそれにしてもアメリカ軍のB52爆撃機、よくこんな所まで壊したものだ。
修復は日本のようには・・
そして次に訪問したのがベトナム最後の阮朝王朝“阮朝王宮”で有り中部ベトナム訪問の観光客は必ずこの地を訪れる観光スポットである。

阮朝王宮
紀元前より1,000年に及び中国の影響を受け、その中心が最後の王朝が有ったこのフエだったらしい。
この宮殿は中国の清国を宗主国としてあった為、中国風の建物が色濃く残っている。中国の風水で縁起の良いとされる龍と白虎が都を守ってくれているとの事。その後この王朝はフランスの傀儡政権となり143年間で13人もの皇帝が変ったそうな。


カイディン帝廟
フランス政府の言いなりになった政権は長続きをしており反抗的な皇帝は阻害され、植民地と言う立場で国民は苦悩の連続だったらしい。その後ベトナムの父と言われるホーチミン氏が登場をしてベトナム王朝は途絶えて“ベトナム社会主義共和国”となった。パンフレット片手によそのガイドの説明に聞き入った。現在の中国が南沙諸島を自国領と主張しているのもその流れなのだ。
紛争中の南沙諸島
さて、このフエはベトナムで最初の世界遺産登録をされたエリアでありベトナムで最も美しい町だそうだ。今でも高層ビルは少なく人々は穏やかで中華文化が多く残りその中にフランス建築も見る事が出来る何ともきれいな街並みだ(日本でいえば京都のような立ち位置らしい)。確かに古都ホイアンとは少し違う。
その中に観光としても有名な“フエの宮廷料理”が有る、当然ガイドはそのレストランを予約してくれていた。

もともと僕はベトナム料理を良く知らないが味は中華料理に近くこの地の料理は目で見て充分楽しませてくれる。“これは何?これは?”等と色々聞きながら食した。

フエの宮廷料理
ここでも大満足!今のベトナム人達、識字率が高く働き者が多く80%が仏教徒と言う日本人に近いと感じられる。僕も15年ほど前チョットした縁が有りこの国に“ホンダスーパーカブ”を毎月40フィートコンテナー数本を輸出をしていた身近な国であったが、ホンダが現地生産をする事になり中古バイクの輸出は禁止になった。


一般の中古自動車も“左ハンドル”の輸入規制で輸出禁止になった為、一気に遠い国になってしまった。現在当社が専門に扱っているマイクロバスバスはここベトナムでは右を見ても左を見ても“ヒュンダイ”を始め韓国製ばかりで残念だ。
今回お世話になった“サイトラベル”のオシャレなガイドさん達がトヨタの海外生産車“シエナ4WD”の左ハンドルで案内をしてくれたのがせめてもの慰めであった。
インドシナ半島、一つの経済圏にしようと世界が動き始めている中、ハンドル位右でも左でも良いではないか!まして高速道路が国境をまたいで繋がろうとしているのに!隣国の右ハンドルの国タイの人達は左ハンドルのベトナムには下車できないのか?等と何となくもやもやした気持ちで飛行場に向かった。
ベトナム人口9,000万人、今後世界はどの様に変わるか判らないが又この地の人達とビジネスで再び関わりを持ってチョクチョク来れるようになれば良いがと願っている。
水江 一正
ベトナムの古都”ホイアン”の熱気!
ベトナムの古都”ホイアン”の熱気!
5月連休近くなり今年は少し暖かい国にとカンボディアの“サイトラベルの鷲田さん”に相談をして見た。ベトナム中部当たりは取れますか?ダナン、フエ、ホイアンで良いですか?航空運賃〇〇万円です。ハイシーズンなのに意外と安かった。宿はホイアンで連泊・・OK、世界遺産にもなっているベトナムの古都でゆっくり、のんびりされたら如何ですか?ホーチミン、ハノイは過去数回訪問して居るからなんとなく判る。へ~ノンビリね?と言う訳で5月1日AM9:00成田発のベトナム航空でPM1:00(時差が2時間あるので約6時間かかった)にダナン空港に着いた。ノンビリどころか気温は36℃蒸し暑くめまいがしそうな気候だ。いやな予感がした。ホテルには自転車の無料貸し出しが有るとの事、訪問前のイメージとして辺りが水田で農夫が水牛で水耕しておりその農道を自転車でゆっくり走る?等のイメージを持って居た。



ところがホーチミン程では無いがバイクが道路中央を数列になって走っている、その中を乗用車が縫うように走り抜ける。エンジン音を轟かせクラクションは鳴りっ放し、危なくて道を横断も出来ない。

これでも昨日4月30日から3日間はベトナム統一記念日とかで休みの為少ない方だとの事。

休日だというのに・・
もともと今回の旅行、僕はベトナムのこの熱気が好きで選んだ国だ。何処かで昼食を取りたいが人気店を紹介してとホテルのフロントに聞いて見た。そして1枚の地図を貰いシャワーを浴びて一休みをして地図を頼りに歩いて行く事にした。
統一記念日との事で道路脇にベトナム国旗が5mおきに立てられている。愛国心の強い国だ。道路は舗装されており両側にしっかりした歩道も有るがバイクが止めてあったり数多くの露店が出店している。

中には乗用車まで歩道に止められており歩きにくい事この上なし。貰った地図を頼りにかなり歩いたが行きつかない。店の前で暇そうにしているオバサンに聞いて見た。この国は地図を見るセンスが無いのか質問の仕方が悪いのかその先右に曲がってすぐ。“サンキュウーアリガトウ”を繰り返しながらほとんど違った方向を教えてもらいながら汗かきながら2時間近くかかりようやく探し当てる事が出来た。こんなに遠いなら初めからタクシーを呼んでくれよ!・・ホテルのフロントのオネ~サンの顔が浮かぶ。僕は健康の為日常出来るだけ歩く習慣にしており1キロ、2キロ歩くのは慣れており苦にならないがこの暑さの中の場所不明は結構応えた。
やっと見つけたリバーサイドレストランはトゥボン川沿いの比較的大きな中国系のレストランだった。

早速ビール!まずはタイガビヤーで兎に角駆けつけ1杯一気に飲んだ。

何だこりゃ?ヌルイ?冷たいのは無いのか?氷を持って来てグラスに入れようとする。それはダメだ!アブネーナー、今度はシャンパンクーラーに氷を入れて持ってきた。OK!中をのぞくと殆ど水だ。

どうしてこういう発想になるのか?冷蔵庫は無いの?
マッイイヤでメニュー?分厚い革張りのメニューを持って来た。色々書いているが写真が無い、単位は一品数十万ドン、サラダは旨そうだがヤバイ為やめておこう。と言う事で何のことはない硬いオーストラリアビーフと日本流の焼きうどんとサワラ?の煮魚を取って見た。

これってベトナム料理?
想像して居たベトナム料理とはやや違っていたがお腹が空いていたのでおおむね〇。涼しい風が抜けているのは目の前のトゥボン川のお陰だ。
レストランの横はトゥボン川
この川は昔、海のシルクロードの中継地としてこのホイアンを発展させたそうな。その川に沿って歩いているとガイドブックにも載っている“セントラルマーケット”に出た。いわゆる世界遺産の保存地区の一部だ。



セントラルマーケットにて
入り口近くの果物屋には新鮮な南国フルーツが無造作に籠に溢れんばかりに盛られている。この地の果物はどれも特に甘くて美味しい、滞在中に食べるためまとめ買いした。・・多分安いのだろう?
マンゴー、ライチ、ドラゴンフルーツ、マンゴスチン、バナナ等々色々買って32万ドン?これだけ買ったのだから少し値切ってやろう!“金を30万ドンしか持って居ないから30万ドンにしてくれ!店員とやり取りしていると”店の奥からやり手そうなオバサンが出て来て袋の中から高そうなマンゴーを一個取り上げてこれで30万ドンで良い!・ライチ3個を減らせばよいだろう?・・と駆け引きしようとしたが、あっけにとられてチョン!僕の負けでした。(観光客はマーケット入口の店で買い物をするものでは無い!)しかし僕は熱気のあるこの様なやり取りが好きだ。瞬間的にもこの国の住民になった気がしている。
特にライチはサイコー(日本じゃ中々お目にかかれない)
この一角は古都ホイアンの保存地区だ。通常この地域に入るには24万ドンの入場料が必要だが(知らなかった)、迷って入って来た為、入場料は払って居なかった。壁は黄色に統一されて店の種類も衣料品店,絵画店、土産物店が多いがどの店も画一的で客は殆ど入っていない。店頭でオジサン、オバサンが小さな椅子に座ってウチワでのんびり涼んでいる。客を待っているイメージでは無い。

よくやっていけるな~?唯一混んでいる店がある、それはコーヒーショップだ。


近年ベトナムコーヒーがブームになり店を出し始めているのだろう。造りは比較的新しい、客は特にヨーロッパ人が多い。6万ドン~7万ドン(300円~350円)と安くは無いがそれだけ美味しい気がする。どの店もクーラーは無く扇風機のみ、うっかり扇風機の前に座ると悲劇である。日本の星野コーヒーでくつろぐのとはちょっと違う。驚かされたのは座っていると店の中まで民芸品やサングラスを売りに来る。それも10分おきにさっき断った同じ客に売り込む?さっき断ったじゃネ~カ!しかし不思議なのはヨーロッパ人その売り子と色々な会話をしている。(売り子も英語が多少できる。)笑いながら楽しそうに色々な事を質問している・・が買わない。この辺の神経が我々には判らない。
この地域には何ケ所か見どころが有る。福建会館もその一つだ。当然、中国人華僑の集会所である。“福建省”以前長崎でも沖縄でも石垣島でもこの省出身者の唐人墓地を見かけた覚えが有る。調べたらやはりそうだった。東南アジア華僑の大半がこの省の人達の様である。

海流の関係で日本に近く倭寇と結託して密貿易をしていたとある。台湾本省人、シンガポール、マレーシア等など、そしてその子孫が今の東南アジア経済の一部を握っているとの事もの物凄い生命力の有る民族だ。


無数にまかれたお線香が吊り下げられている
現在日本でもこの地の中国人と商談をする事が有るがかなりシビアーな条件を出す。ノンビリ日本人はうっかりすると飲み込まれてしまう。今の中国の勢いを感じる等と感心しながらもう一ケ所の目的地“来遠橋”(別名日本橋)日本人街と中国人街を結んでいた18m位の小さな屋根つきの橋だ。
屋根付きの”日本橋”
400年以上昔に日本人の先輩が4.000㎞も離れたベトナムのこの地まで木の船で星を頼りに何ケ月も掛けてこの地に到着したのだろう?そして言葉も習慣も違う現地の人達と交流をした。そしてその後、江戸幕府は鎖国した為、又何ケ月も掛けて帰国した?その人達この国の何を買って帰ったのだろう?資料館には難破船から回収したと言う皿などが多数展示されていたが、その辺をもっとガイドに聞きたかったがあいにくガイドは新人の為ガラスケースの説明書を読むだけの人だった。今のベトナム輸出品はコンピューター部品、原油、天然ガス、縫製品、水産物とある、当時とすれば翡翠、ルビー、大理石等だろうか?又胡椒とか米とかも需要が有ったのかも・・命を懸けて貿易をしたのだろう。チョンマゲをした日本人達が身振り手振りで現地の人達の為に協力をして橋を掛けたり田畑の水路を造ったりしたのだろう。その末裔たちが今でもこの地に多くいるかと思うと何となく身近に感じる。
ここホイアンの街はランタンでも有名


それから400年経った今でもベトナムには知日家が多いのは農耕民族であると同時に真面目な働き者が多いのも日本人と共通している部分が有るからかも知れない。ちなみにこの国の女性は特に働き者が多く強いらしい・・これも共通しているのか?
水江 一正
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